16
ダンジョン内は常に闇のなかだから、時間の感覚がつかみにくくなる。
事務所からもらった懐中時計では、時刻は深夜だ。
しかし、メルルはベッドの上で眠りにつけず、薄明りのなか、壁をじっと見つめ続けていた。
向かいのベッドにはレトが寝ている。すでに眠っているようで、かすかだが寝息らしいのが聞こえていた。
眠れないのは、同じ部屋でレトと寝ているということにドキドキしているから……、だけではない。
メルルは整理のつけられないさまざまなことが頭のなかでグルグル渦巻いているのだ。
事件のこと。レトのこと。
『マドラス団』のメンバーが語ったこと。レトのこと。
下層で眠る死者のこと。レトのこと。
死者がいつ、屍霊になるかわからないこと。レトのこと。
もしかすると、その屍霊がこの階層まで徘徊するかもしれないと想像してしまったこと……。
――眠れない!
メルルはベッドから起き上がると、床に置かれたランタンに目をやった。
魔法の力で明かりを灯すランタンで、多少ではあるが、アンデッド系を追い払う効果があるそうだ。ランタンの明かりには、わずかだが光属性の力が含まれているのだ。
アンデッド系が徘徊するかもしれない場所で、冒険者がこのランタンを灯すのは、その効果を期待してのこともある。もちろん、『万全ではない』という但し書きは入るのだが。
ルーベンが命を落として10日経っている。通常であれば屍霊化してもおかしくない。それを防ぐために聖布でくるまれているそうだが、果たして、その効果が続いているのかわからないのだ。
ランタンの明かりは部屋の闇を完全に追い払うほど強くはない。この程度の明かりで、どこまでアンデッド系の襲撃を防ぐことができるのか。メルルには不安だった。
――この状況で、よく眠れますよ、レトさんは!
メルルは向かいで眠るレトに目をやりながら、心のなかで毒づいた。
メルルの視線は、部屋の出入口とは反対側に向けられた。メルルたちが泊っている部屋は宿屋の外に面していて、窓――おそらく木製で戸や額縁があっただろうが朽ち果てて穴だけ残っている――に目を向けると、そこに何者かがのぞいていることに気がついた。
青白い顔をした若い男で、『マドラス団』や『銀狼団』の誰でもない、見たことのない顔だった。
どんな声をあげたのか覚えていない。メルルは悲鳴をあげた。
「な、なんだ!」
レトは飛び起きてメルルに声をかけた。「どうした?」
「あ、あれ……」
メルルは真っ青になって窓を指さしている。レトはそちらへ視線を向けたが、窓の外には闇しかなかった。
レトは床のランタンを拾うと、窓から外を照らした。あちらこちら照らしたが、レトの視界にあるのは、朽ちたまま佇む建物の壁だけだった。
「なんだ、今の悲鳴は?」
寝惚け声交じりで部屋に入ってきたのはリュートだった。続けてリューゼが顔をのぞかせる。「何があったの?」
リューゼの頭の上から、レティーシャが不安そうな顔を見せた。「何?」
「あ、あの……、誰かがここをのぞいてたんです。知らない顔のひとが……」
メルルはレトが立っている窓を指さしながら言った。
「知らない顔だぁ?」
最後に部屋へ入ったアンリが顔をしかめた。「ここの誰かと見間違えてないか?」
メルルは必死で首を振った。
「ま、間違いありません! 顔の輪郭はシュッとして、眉が細長く、鼻は高くないですが、そちらもシュッとしてて、髪や目の色はわかりませんが、髪はさらさらした感じでした」
メルルが顔の特徴を説明すると、その場にいた者たちの顔つきが変わった。
「おい、お嬢ちゃん」
リュートが話しかけた。「もし、これが悪ふざけだったら、かなり悪質だぞ」
「こんなところで悪ふざけなんてしません! 本当です!」
「……ルーベンだわ……」
レティーシャが小声でつぶやいた。彼女の顔は、ランタンの赤っぽい明かりでもわかるほど蒼ざめていた。
「ば、バカ言え!」アンリがレティーシャに怒りの顔を向けた。「あいつがここにいるはずがない!」
「あいつ、屍霊になっちまったのか?」
リュートも小声でつぶやく。「だったら、ここに現れてもおかしくない……」
「それもありえない!」アンリは大声で言った。「獲物を見つけて何もせず、逃げ出す屍霊なんているもんか!」
「いったい、何を騒いでいる?」
太い声が聞こえ、デレクが姿を見せた。
「宴会をするならよそでやってくんねぇか?」
「屍霊が現れたかもしれないんです」
リューゼが説明した。「あの子が窓から誰かがのぞいていると言って……」
デレクはメルルの前まで進むと、大きな顔をぐいっと近づけた。顔には残忍な笑みが浮かんでいる。
「おい、お嬢ちゃん。寝惚けるのもたいがいにしろよ。ダンジョンの攻略に、休憩は大事なものなんだ。今は、こんな与太話につきあう時間じゃねぇんだ」
屍霊は獲物を見つけたら問答無用で襲ってくる――。デレクは当然そのことを知っているので、その場を立ち去る屍霊の話などまるで信じられないのだろう。
「お休みのところ邪魔してすみません」メルルは詫びた。「でも、寝惚けたわけじゃないんです。本当に私は見たんです!」
「彼女の言ったことに嘘はないようです」
外をのぞいていたレトの声が聞こえた。
「窓の外、この下を見てもらえませんか」
レトは窓の下をランタンで照らしている。
デレクは大股で窓へ歩み寄ると、照らし出されている地面を見つめた。
「……足跡か……」デレクはつぶやいた。
「しかも、かなり新しいものです」レトはうなずいた。「このあたりは最近まで誰も立ち入らなかった場所ですよね?」
「そうは聞いているが……」
デレクはアンリたちに視線を向けた。「お前たち、最近、このあたりをうろついたりしなかったか?」
「さ、さぁ……」アンリの答えはあいまいだった。「この建物を見つけたときにあたりを調べたりしたが、そのあたりに足を踏み入れたかどうかまでは……」
「それじゃあ、お嬢ちゃんの見間違いの可能性は捨てきれねぇな」
デレクはやれやれと言うように首を振った。「俺はもう寝るぞ」
「こ、このままにするつもりで……?」
アンリは不安そうに言った。「本当に屍霊が現れたかもしれないのに……」
「じゃあ、誰かが番をすればいいだろ?」
デレクは返した。「お前たちが交代で」
デレクはここから立ち去ってしまった。
「行っちゃいましたね……」
メルルは悲しそうな顔になった。「まるで信じてないってことですね」
「屍霊は獲物を見つけたら見境なく襲ってくる。さすがにランタン程度の光じゃ、奴らはたじろがないからね。幽霊だったら、現場に足跡は残らない。どちらにせよ、お嬢ちゃんが見たものは『それ』じゃないってことだ。『悪狼』が信じないのも当然さ」
リュートが両手をあげて言った。「もういいだろ」と言わんばかりだ。
「たしかに、彼女が見たものは屍霊や幽霊ではないでしょう。ですが、皆さんはどこか信じている顔をなさっていますね?」
レトは落ち着いた表情で4人に尋ねた。声をかけられた4人は気まずそうに互いを見やっている。
「……そりゃあ、彼女の言った特徴が、あまりにもルーベンの特徴と一致していたから……。まさかとは思うけど、どうも、ね……」
レティーシャが寒そうに自分の両肩を抱えながら言った。
「そうであるなら、あとひとつ、可能性がありますね」
レトの言葉にアンリが顔をしかめた。
「もしかして、ルーベンが生きているって話か? 残念ながらそれはありえない。あいつが負った傷は致命傷だったと断言できる。それに、あいつが死んだのを、この全員で確かめている」
「僕が言うもうひとつの可能性は……」
レトはランタンを窓枠に置いた。
「彼女が見たのは、それが死骸者だったのではないか、ということです」




