12
『ツヴァイ迷宮』――。
「死」という不吉な名を冠しながら、彼らが足を踏み入れたダンジョンの第1層に、「死」を予感させるものは見当たらなかった。
ただ、天井が高く、大きな空間が広がっているだけだ。ダンジョンの第1層は、もともと巨大な洞窟に手を加えたものでないかと思われた。
このダンジョンのもとの所有者は、そこに『街』を築いていた。
扉を抜けたレトたちは、左右にレンガ造りの建物がずらりと並んでいるのを見た。風雨にさらされず、直接太陽の光に焼かれることもない。2千年を超えるほど昔の遺跡にしては、かなり状態が良いものだった。
「まるで街の商店街だ」
レトは、ランタンの明かりを掲げてあたりを見ながら評した。
「本当に、街の廃墟みたいです」
レトの隣で、メルルもつぶやいた。「こんな洞穴に街を造るなんて……」
メルルは廃墟のひとつに近づいた。窓枠だったと思われるところを指でなぞってみる。
メルルの指には白い埃がべっとりとついた。
「さすがに年季が入っていますね。千年単位の埃が積もってます」
レトは大きく開いた入り口にランタンをかざす。「ここで何か売っていたみたいだ。台に野菜とか雑貨とか並べて……」
「だいぶ小さい店のようですね」
ロズウェルがレトの隣で感想を口にした。「注意しないと、入り口で頭を打ちつけてしまう」
ロズウェルが言ったように、建物は全体的に小ぶりで、窓も店先の開口部も大きくなかった。天井もあまり高くなく、メルルはともかく、レトは注意しないと頭が当たりそうだ。
その建物の特徴は、このエリア全体の一端を示しているにすぎなかった。
ずらりと並ぶ建物は、どれもレトたちがのぞいたものとほとんど同じような造りだったのだ。
「おい、お前たち、まだこんなところをたむろしてたのか?」
急にランタンの明かりを向けられ、4人が振り返るとごつい甲冑姿の大男が立っていた。『銀狼団』の壁役、ドット・ロイスターだ。彼は、今回のメンバーで一番の巨体だった。背負っている大剣も巨大で、ひと振りで数人を真っ二つにできそうだ。
「す、すみません。すぐ行きます!」
グリュックが荷物を背負い直しながら応えた。
「グズグズするなよ、チビ」
ドットは背を向けると奥へ消えていった。
「行きましょう」
ロズウェルがレトに話しかけた。「団長を怒らせてはいけません」
第1層は街の様相をしているせいか、ダンジョンらしい、道に迷うような構造ではなかった。彼らがまっすぐ道を進むと、まもなく大きな建物に着いた。この建物だけ、天井も高いようで、レトはもちろん、トッドでさえ頭を打ちつける心配はなさそうだ。
「遅いぞ」
デレクの声に少し怒りの感情がこもっていた。
「早くキャンプの用意をしろ」
この建物は宿屋跡のようだ。岩造りで受付をする台が正面に見える。左右に見える四角い穴は、それぞれ泊まる部屋へ通じる出入口だと思われた。
「俺たちは右手だ」
デレクは親指で自分の背後を指さした。グリュックはうなずくと、右手に入っていった。ロズウェルが後に続く。
「で、あんたたちはあっちだ」
デレクは左手に指先を向けた。
言われるがまま左手に入ると、細い廊下が伸びていて、部屋の入り口と思われる四角い穴がいくつも並んでいる。
アンリが説明した「宿屋と思われる場所」は、まさにここなのだと納得できた。
「あ、探偵さんがた」
一番手前の入り口からリュートが顔を見せた。
「あんたたちは一番奥だ。ふたりでひと部屋使ってくれ。まぁ、ここには今夜だけしか泊まらないから、あまり掃除を頑張るなよ。きれいにするのは寝床ぐらいに。本格的に掃除など始められたら、このあたり一帯が埃で充満することになる」
リュートは言うだけ言うと背を向ける。右手の部屋は以前掃除しているから、すぐ休めるし、使い勝手もいいのにとぼやく声が聞こえた。
「気をつけます」
レトは落ち着いた声で応えたが、メルルは内心穏やかでいられなかった。
……れ、レトさんと、ど、同室ぅう!
レトのことをあまり男性と意識していなかったが、こういう場合は意識してしまう。いや、これに近い状況はこれまでも出張などであったが、そのときはいつもアルキオネが一緒だった。アルキオネはレトのそばで、メルルが近くにいると翼を広げて威嚇した。別に、こちらに下心はないのに、とメルルは腹を立てていたが、今回、アルキオネ不在の状況が初めてだけに、どう行動すればいいかわからなくなってしまう。
部屋に入ると、寝台が部屋の左右に分かれて置かれていた。これらも岩で切り出して造ったようだ。この寝台を見て、メルルは少しほっとした。
埃が舞わないように寝台をきれいにするのは骨だった。しかし、どうにか落ち着いて横になれるぐらいにはきれいにすると、メルルはそこで早く横になりたくなった。お腹は空いているが、かなり疲れてきたのだ。
レトは寝台の掃除に納得いかないようで、まだどこかを拭いている。
メルルはその場でごろんとうつ伏せで寝転がった。もう、このまま寝ようかな……。
「部屋の片づけ、終わりましたか」
入り口からグリュックがひょっこりと顔を見せた。「お食事の用意をしています」
「わぁ、助かります」
メルルは素直に喜んで身体を起こすと、寝台からぴょんと飛び降りた。レトは掃除が終わったようではないが、「ありがとうございます。いただきます」と拭き掃除に使っていた布を寝台に置いた。
ふたりがグリュックに案内されたのは、その建物で一番広い部屋だった。
長い石のテーブルが部屋のほとんどを占め、『銀狼団』や『マドラス団』の者たちが向かい合わせで座っていた。彼らの前にはスープなど料理の入った皿が並べられている。テーブルに置かれたランタンが料理を明るく照らし出していた。遠目ではあるが、美味しそうな温かい湯気がゆらゆら昇っている。
そう。この部屋は、まさに『食堂』だった。
「いつも遅いな、お前ら」
デレクがパンを噛み千切りながら言った。「集団行動ができないなら帰ってもらうぞ」
「すみません」
メルルは謝りながら席に座った。
「どうぞ、お召し上がりください」
グリュックが皿を差し出す。メルルはグリュックに笑顔を向けた。「ありがとうございます」
食事の間は誰もが無言だった。何の会話もない。食事中の礼儀としては正しいのだろうが、メルルは不安に思った。この空気はイヤだ。
それはアンリも思っていたようだった。
食事を終えたデレクが席を立つと、アンリは思い切ったように話しかけたのだ。
「オーデナリー殿。この後、明日の打ち合わせをしないか?」
デレクは立ち止まると、顔を半分だけアンリに向けた。「打ち合わせだと?」
「この先、ダンジョンを進むのに、各層の特徴を共有しておくべきだ。第2層、第3層で苦労することはないかもしれないが、不測の事態にどう連携するか、そこだけでも確認は必要だと思うが」
アンリの主張はもっともだとメルルは思ったが、デレクは呆れたように「フン」と鼻を鳴らした。
「そんなもの必要ねぇよ。不測の事態だぁ?
そんなものが起こったら、お前たちは俺たちの指示に従って動けばいいのよ。それだけさ。わかったか、副団長さんよ」
アンリは顔を真っ赤にさせたが、顔をそむけると「わかった」とだけ言った。
デレクの退室に合わせて、『銀狼団』のほかのメンバーも食堂から出ていく。ロズウェルも去っていき、部屋には、『マドラス団』の4人と、グリュック、そして、レトとメルルの7人になった。
グリュックは『銀狼団』がそのまま残した皿の片づけをしていたが、それを終えると彼も姿を消した。
「洗い場に皿を置いていただければ、あとで私が洗っておきます」
去り際には、そんなことを言い残していた。
「さて……」
グリュックもいなくなると、アンリが待ち構えていたように話し出した。
「教えてもらえないか、探偵。俺たちのどこが怪しいと思ったのか」
メルルは食事を終えたばかりだったが、思いがけない言葉にのどを詰まらせそうになった。
「僕が、あなたたちのどこが怪しいと思ったのか、ですか」
レトは、アンリに質問されることを予想していたかのようだ。つぶやく表情は落ち着いている。
「どうして、そんなことを?」
「とぼけないで!」
レティーシャが声を出した。「私たちから話が聞けたら終わりだってアンリに話してたじゃない! それなのに、私たちは解放されず、あんな連中の監視のもと、この不吉な場所へ戻ることになったじゃない! どうして? あなたたちが私たちを解放することを認めなかったからでしょ!」
彼女は一気にまくしたてた。アンリが顔をしかめる。「よせ、レティーシャ!」
レティーシャはアンリに怒りの目を向けた。「だって!」
「たしかに、ルーベン氏の遺体を確認するまで、結論は出せないとマドラス伯にお伝えしました」
レトは答えた。
「ですが、そこまでです。憶測程度のことまでマドラス伯に話したりしません」
「本当にそうなのか?」
リュートが疑わしげな目を向ける。レトはうなずいた。「ええ」
「それじゃあ、憶測でも私たちを疑っていることは認めるのね、探偵さん」
リューゼが静かな口調で話しかけた。「その疑いって、何?」
「あなたがた全員が隠し事をしていることです」
レトは正直に答えた。「それは、ルーベン氏を見つけたときの状況について、皆さん、何かを隠している。違いますか?」
レトの口調は穏やかなものだったが、『マドラス団』全員の顔をこわばらせるものだった。
「どうして隠していると……?」
アンリは慎重な姿勢で尋ねた。聞き方をわざと中途半端にしている。これでは、「どうして隠しているとバレた?」なのか、「どうして隠していると思い込んだ?」のどちらともとれる。おそらく、都合よく言い逃れできるよう言葉を選んでいるのだ。
メルルはアンリを信用できないひとだと思った。
「そこまでお答えするつもりはありません」
レトは淡々と答えた。
「どうして答えてくれないんですか?」
リューゼの声は感情のこもっていないものだったが、かえって怒りを含んでいるように思える。
「あなたのせいで、私たち、あの『悪狼』デレク・オーデナリーにいびられっぱなしなんですよ」
レティーシャが続けて抗議する。彼らが受けている屈辱は、レトのせいだと言いたいようだが、さすがにそれは言いがかりだ。メルルは口を開きかけると、レトがそれを片手で制した。
「再度、確認します。あなたがたは、ルーベン氏が命を落とした場面で、僕たちに話していない、隠していることはないのですね?」
レトの声は大きいわけでも、威圧的でもなかった。しかし、彼らはレトの声にたじろいだように口をつぐんだ。お互いきまり悪そうな表情で見合わせるだけだ。
「いいでしょう」レトは立ち上がった。「話してくれる気持ちになるのをお待ちします」
そう言って、食器を手に食堂から出ていってしまった。メルルも席を立つとレトを追った。




