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主な登場人物:
ルーベン・マドラス:『ツヴァイ迷宮』第5層で命を落とした冒険者。マドラス伯の嫡男。
アンリ・ワッケナル:ルーベンがリーダーである『マドラス団』の副団長。
レティーシャ・ブロワ:『マドラス団』団員。魔法が使える。
リューゼ・ファルナー:『マドラス団』団員。ルーベンの婚約者。
リュート・カーライフ:『マドラス団』団員。後衛で魔法使いを務める。
ロータル・マドラス:マドラス伯。ルーベンの父親。
デレク・オーデナリー:『銀狼団』リーダー。粗暴で悪名高く、『悪狼』と呼ばれる。
ドット・ロイスター:『銀狼団』壁役。登場人物では一番の大柄。
オリヴァー・ハート:『銀狼団』団員。すばやい動きで中衛を務める。
クラリス・ドラクロワ:『銀狼団』団員。弓で後衛を務めるが、一部、魔法も使える。
グリュック:ホッタイト族と呼ばれる小人型の亜人。『銀狼団』に所属している。
ロズウェル:元神官。『銀狼団』で神職を務める。
レト・カーペンター:メリヴェール王立探偵事務所の探偵。
メルル:メリヴェール王立探偵事務所の探偵助手見習い。この物語の主人公。
「おい、今の声は何だ!」
男はランタンを手に大声をあげた。
鋼鉄の鎧で身を包み、腰には大きな剣をぶら下げ、背中に大きなリュックを背負っている。ダンジョンなどを攻略する冒険者の出で立ちだ。
事実、男が立っているのは明かりの無い迷路状の、どこかの通路と思われる場所だ。男はランタンを左右に動かしながら辺りを探った。
「い、今の声、ルーベンのじゃなかったか……?」
男の左手から声がすると、似たような恰好の男が姿を現した。同じように手には明かりの灯ったランタンがある。
「ねぇ、ルーベンに何かあったの?」
今度は背後から声が聞こえ、男が振り返るとそこに若い女の姿があった。革製の鎧を身に着けており、彼女もまた、冒険者であるとわかる。長く豊かな茶色の髪をひとつにまとめて後頭部から垂らしていた。
「リューゼ、君か」
男は額をぬぐいながらつぶやいた。背後からとつぜん声をかけられたので冷や汗をかいたのだ。
「誰か早く来て! ここよ!」
男の右手から甲高い女の声が響いた。男は声の聞こえた通路の奥に目をやった。
「レティーシャだ。あっちは『あの部屋』があったところだな」
男はそう言うと駆け出した。残りのふたりも後に続く。
通路はいくつも直角に曲がっている。彼らは先を急ぎ、間もなくひとつの部屋にたどり着いた。
部屋は小さな扉がひとつあるだけだったが、その扉は大きく開かれていた。男が部屋をのぞくと、狭い部屋のまんなかでひとりの女が座り込んで、若い男の身体に手をかけている。その男は胴のあたりを血で真っ赤に染めて床に倒れていた。女はレティーシャという名前で、さきほどのリューゼと同じ皮の鎧をまとっている。そばかすの多い、色白の女性だ。
「ルーベン!」
のぞきこんでいた男は大声をあげて横たわる男のもとへ駆け寄った。ランタンを掲げて胴のあたりを照らしてみる。
「なんてことだ……」
若い男――ルーベン――は鋼鉄製の胸当てを身に着けていたが、胴体部分は動きやすさを重視して軽装だ。その腹部は大きく切り裂かれて血があふれている。このとき、彼はわずかに呼吸があり、呼吸のたびに血が吹き出していた。
「おい、ルーベン! しっかりしろ! 何にやられた? この部屋に罠があったのか?」
男はルーベンの身体を揺さぶりながら尋ねた。遅れて部屋に入ったリューゼがそれを見て男の肩に手をかけた。
「何してるの、アンリ! 今そんなこと聞いてる場合じゃないでしょ!」
「早くケガの具合をみて、手当てしなきゃだろ?」
続いて入った男もアンリの行動を咎める。アンリは顔をしかめてうなずいた。「そ、そうだったな……。すまん」
「謝るのは後だ。まずは胸当てを外して呼吸を楽にさせよう。それから回復魔法だな」
「ああ、頼む、リュート……」
アンリはリュートが手伝えるよう身体を半分ずらして場所を空けた。空いた場所へリュートがひざまずくと、ルーベンが口を震わせながら目を開いた。
「ルーベン! 気がついた?」
レティーシャはルーベンの顔をのぞきこんで尋ねた。
ルーベンは無言のままレティーシャ、アンリ、リュート、リューゼの順に視線を向けた。表情には何の感情も見られず、ただ彼らの顔を見ているだけのようだ。
しかし、震える口から漏れる言葉は違った。「この……、う、裏切り……者……」
それを聞いた4人は同時に目を見張り、そして、互いの顔を見やった。何か聞き間違いをしたのでは?と、互いの目がつぶやいていた。
「う、裏切りって……。どういうことなの、ルーベン……?」
レティーシャは困惑した表情を隠すことなくルーベンに尋ねた。誰もがルーベンの手当てをすることを忘れて、その顔を見つめている。
しかし、その問いに答えは返ってこなかった。
「ルーベン……!」
レティーシャは我に返ったような表情になると、ルーベンの胸に手をかけた。その手をアンリがつかむ。「よせ、レティーシャ」
レティーシャは顔をあげてアンリを見つめた。「よせって、どういう……」
「もう死んでるよ、それ」リュートが代わるように答えた。どこか冷めた表情で、ぶっきらぼうな口調だ。
「死んでる……」レティーシャはおそるおそるルーベンの顔を見つめた。ルーベンの目は虚ろで、すでに誰の顔も見ていない。さっきまで震えていた唇も今ではまったく動いていなかった。
「……ほんとみたいね」ため息交じりにレティーシャはつぶやいた。
それからほんのしばらく彼らは無言だった。彼らが胸の内で何を考えていたか、互いが知るわけもなく。ただこの場は沈黙に支配されていた。
「……ねぇ、これからどうするの?」
ようやく、リューゼが口を開いた。まるで寒いかのように自分の両腕を抱きしめている。事実、少し震えているようだ。
「どうするって……」リュートの声はまだ感情が消えたままだ。
「引き返すしかないでしょ」レティーシャが自分の膝を抱えながらつぶやいた。「早くここから戻らなきゃ。このダンジョン攻略は失敗よ」
「もちろん、ルーベンも連れて戻るんだよね……?」
リューゼが小声で言うと、「それはできない」と即座に否定の声が返ってきた。答えたのはアンリだ。
「どうして……?」
リューゼは声を震わせながら尋ねた。
「どうしてだって?」アンリはリューゼに振り返った。
「ここ5層から4層までは階段だから問題はない。だが、4層から入り口まで全部はしごだったじゃないか。
これから地上に戻るには、あれらのはしごを登らなきゃいけない。ルーベンはけっこう重い。あいつも地上にあげるには誰かが背負わなきゃいけないんだぜ。誰がするんだよ、それ」
「あ、俺ムリ。俺、そんなに腕力ないから」
リュートが手をぱたぱた振って言った。「ほら、俺、後衛の魔法使いだしさ」
「俺だってそうさ。腕力に自信があっても、あいつを背負って地上に戻るには負担が大きすぎる。それに、あいつが何に命を落としたのかわからないんだ。もし、これが何かのモンスターのしわざだとしたら、死体を背負った状態は危険じゃないか。そんなときにそのモンスターに襲われでもしたら、どう対処できる? そんな危険なマネはできない。そうだろ?」
「モンスターって……」
レティーシャは首をかしげた。「誰か、何か見た? その、魔物の類とか……」
その問いに、残る全員が首を横に振った。
「ここに駆けつけるまで、何も出くわさなかった」リュートが代表するように答える。「この階層で出くわした魔物って、リューゼが倒した大トカゲだけじゃないか?」
「私もあれ以外、何も遭遇しなかった」リューゼは手をぱたぱた振って答えた。
「そういうレティーシャはどこにいたんだ? 俺たちのいた方角にはいなかったが……」
リュートが尋ねると、レティーシャの表情がこわばった。
「な、何よ、その言い方! 私はこの部屋から右手奥にある6層の扉の前にいたわよ。
みんなは早々とあきらめたようだけど、どうにか扉を開けられないか調べてたんじゃない」
「ルーベンの声が聞こえてすぐここに来たの?」
今度の問いはリューゼからだ。レティーシャは強くうなずいた。
「6層の扉からここまではすぐだから。私も、ここに来るまでに何も出くわさなかったわ」
「でも、それっておかしくないか?」
リュートはルーベンを見下ろした姿勢でつぶやいた。
「だったら、ルーベンをこんな目に遭わせた奴はどこに消えたんだ? この部屋はレティーシャがいた通路と、俺たちがいた通路のほかに通路なんてない。ルーベンの胴体を切り裂くほどの得物を持った奴が俺たちの前を素通りしたって言うのか? 誰にも気づかれずに?」
「変なことを言うな! まるで、まるで……」
アンリは慌てたようにリュートを遮ったが、最後まで言葉を口にしなかった。しかし、彼らにはアンリが何を言おうとしていたのかわかっていた。
――俺たちの誰かがルーベンを殺したのか?――
この言葉であることは間違いない。
誰も口にしなかったが、彼らには共通の認識があった。
それは、ルーベンの傷跡が刃物によるものだとわかること。つまり、大トカゲのようなモンスターではルーベンにこのような傷を負わせられない、ということだ。
「ね、ねぇ……。私たち、このままこうしてるつもり?
このダンジョンから撤退はするのよね? これから」
誰に尋ねるでもなく、リューゼが左右に目をやりながら聞いた。ほかの者たちもつられるように辺りに視線を向けた。
岩のテーブルに置かれたランタンがこの部屋を照らしていた。部屋にはこのテーブルと、同じように岩で象られた丸椅子が数脚あるだけの、質素な部屋だった。
当然だが、何かが隠れられるような場所もなく、部屋には彼ら以外誰もいない。
そのことを改めて確認できると、リューゼ以外の者たちも身体を震わせ始めた。何とも言い難い恐怖心が、胸の奥を締め付けだしたのだ。
「そ、そうだな……。ここにいつまでもいられない。早く、ここから撤退しよう」
アンリが立ち上がると、周りも合わせるように立ち上がった。
「ルーベンはこのまま置いていくとしても……」
レティーシャがルーベンを見下ろしながらつぶやいた。「そのまま放置ってわけにいかないんじゃない? 少なくとも聖布に包んであげなきゃ」
「そうだな」リュートが同意した。「このままだと数日もしないうちに屍霊化してしまう。もっとも……、ここにダンジョン虫の類がいたら、すぐ骨だけ残して喰われてしまうがな」
「でも、すぐ、ここに戻ってこられるの?」リューゼの声は懐疑的な響きがあった。「彼が屍霊になる前に戻るってことよ、聖布を使うってことは」
「すぐ戻るのが無理だとしても、しないわけにいかないだろ?」
アンリが顔をしかめながら答えた。「このまま放置したことが知られたら、のちのち、周囲から非難されかねない。仲間の遺体を置き去りにして逃げたってな。俺たちの今後に悪影響が出る。ここは、最低限のことだけでもすませておこう」
アンリの答えに否定的な意見をする者はひとりもいなかった。わずかだがうなずく者もいる。
彼らはすぐに『聖布』を取り出すと、テーブルの上に広げた。聖布は純白の布で、ランタンの明かりを浴びると金色に輝いた。アンリとリュートの男ふたりがルーベンを持ち上げて聖布の上に降ろす。ルーベンは聖布にくるまれて姿が見えなくなった。
「これでよし」何かをやり遂げたようにアンリは満足げな声をあげた。そして、すぐ咳払いをしながら、「じゃ、じゃあ、ここを出るか」と言った。
それからの彼らの行動は早かった。まるで逃げるかのように5層を後にし、4層を抜け、何の障害にも遭わずにあっという間に最上層の1層まで戻った。そこから出口まではほぼ一本道である。
「領主に何て報告する?」
これまで誰も口をきかなかったが、ここでようやく余裕が生まれたらしい。リュートが周囲に尋ねた。
「ありのまま報告する」アンリの答えは短かった。リュートは不安そうな表情を浮かべる。「ありのままって……」
「俺たちは5層の探索を行なっていた。ルーベンは拠点にした部屋に残っていた。とつぜん、ルーベンの悲鳴が聞こえ、俺たちが駆けつけると、ルーベンは何らかの罠にかかって命を落としていた」
「え? そ、それって……」リュートは目を丸くする。「『あれ』は報告しないのか?」
アンリはリュートに振り返ると、じろりと睨んだ。「『あれ』とは何だ?」
「え、え? ほ、ほら、あれ……」
リュートはアンリから視線をそらし、視線を泳がせながらつぶやいた。「ルーベンが最期に言ったやつ……」
――この……、う、裏切り……者……。
「リュート。あのとき、あいつが何て言ったか正確に覚えているか? 俺には何を言ったか意味不明の言葉だった。なにせ、切れ切れでたどたどしかったからな。意味のある言葉には聞こえなかった」
「ええ? いや、ルーベンはたしかに『裏切り者』と……」
アンリは立ち止まるとリュートの前に立ちはだかった。
「お前は、それがたしかだと言えるのか? さっき言ったように、あいつの言葉は切れ切れで、最後まで言い切ったのかもわからない。実際にはほかの言葉だったかもしれないだろ?」
アンリはレティーシャに視線を向ける。「レティーシャ。ルーベンの最期の言葉は何だった?」
とつぜん話を振られたレティーシャは明らかに狼狽した表情を浮かべた。「え? ええ?」
レティーシャもリュートと同じようにあちこちに視線をさまよわせながら、「何て言ったのかしら……。私には正確に答えられないわ」
アンリは続けてリューゼに視線を向ける。リューゼは蒼ざめた様子で首を振った。「私にも正確にはわからない。正しく答えられる自信はないわ」
「そういうことだ。不確かな情報を報告して相手を混乱させるわけにいかない。だから、このことは報告しない」
アンリはそう言いながらリュートに視線を戻した。「そうだろ? リュート」
リュートはぶんぶんとうなずいた。「そ、そうだな。たしかにそうだ!」
彼らは大きな扉の前に立った。この扉を開けば、その先には開放された世界が広がっている。この息苦しく、不安に苛まれる暗い世界から逃げ出せるのだ。ただ、ひとりだけ、暗闇の底に置き去りにして……。
アンリは大きく息を吸った。「さぁ、ここを出よう」