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「はあ……」

 ルカは溜息を吐いた。

 リンファの笑顔が、目に焼き付いたように離れない。

 そして、嬉しそうに「ありがとう」と言ってくれた、あの声も。

「~~~~~」

 顔がぶわりと熱くなったのを軽く振って冷まそうとしていると。

「オレンジ相手に百面相かい?」

 ハッと我に返れば、アレンが困ったように笑っている。

「あ、兄上、何時から」

「ついさっき来たところだよ」

 あたふたと慌てるルカが面白かったのか、アレンはくすくすと笑った。

「悩んでいるのか?」

「ええ、まあ……」

 曖昧な返事をしつつナイフを取り出し、オレンジの皮をしゅるしゅると剥いていく。爽やかな香りがふわりと漂い、周りに満ちた。

「例えば?」

「私などがルォシー様に吊りあうのか、と……」

「なら吊りあうようにすれば良いだろう?」

 きっぱりとそう言われ、ルカは口を噤む。

「お前が努力家なことは知っている。その努力のおかげで、私は助けられてきたのだからな」

「は、はい……ありがとうございます」

 アレンに真っすぐな視線と共に褒められて、ルカはとりあえず礼を言った。じわじわと熱くなる頬を堪えながら。

 とん、とん、とオレンジを刻んで鍋に。砂糖とレモン汁を加えて、弱火で混ぜながら煮込んでいく。くつくつと鳴る音は何だか心安らいだ。

「その努力さえ忘れなければ、どこへ行ってもやっていけるよ」

「そうでしょうか?」

「ああ、間違いない」

 力強い兄の言葉に、ふわりと心が温かくなった。

 鍋のオレンジはとろみを帯び始める。もう少し煮詰めた方が好みだけど……あの方はどうだろうか。

「……お前が『嶺煌』に行ったら寂しくなるな」

「んっ!? い、いや、まだそうと決まった訳では!」

「吊りあうように努力するのではなかったのか?」

「そ、それは、そう、ですが……。それとこれとはまた別の問題ですよ」

 ヘラをあげれば、とろり、とジャムが零れ落ちた。このくらいで良いだろう、と火を止める。

 小さめのスプーンで掬い上げ、一口。爽やかな香りが鼻に抜け、オレンジの本来の甘みと砂糖の甘さが程良くマッチしている。とろりとした舌ざわりもまた心地良い。

(やっぱり母様の味ではないな……)

 まだまだ道は遠い、とルカは新しいスプーンを取り出してもう一口掬い取った。

「兄上、味見をお願いします」

「ああ」

 アレンはルカからスプーンを受け取り、口へと運ぶ。

「……ああ、おいしいな」

「ありがとうございます」

「母上のジャムは美味しかったが」

 母のことを持ち出されて、一瞬心臓が跳ねあがる。その様子に困ったような笑みを浮かべ、アレンは続けた。


「お前のジャムも充分においしい」


「これは、お前にしか出せない味だと思っている」

「そうでしょうか?」

「そうだ。お前はもっと自信を持った方が良い」

 その言葉が、リンファの言ってくれた「自身を卑下するのは感心せぬな」と重なった。

「そうですね」

 真っすぐに視線を合わせて微笑めば、アレンも微笑んでくれた。

「ああ。明日も会う約束をしているのだろう?」

 そう、デジデリオ家が治める領地を見てみたい、とリンファが希望したのだ。それを「分かりました」と了承したのを思い出し、緊張で少々胸の鼓動が早くなる。

 それを察したのだろう、アレンはくすくすと笑う。

「領民たちが楽しみにしていたよ。『美人さんが来た!』とね」

 小さな領地のため、噂が伝わるのが早い。

 失礼なことをしないよう目を光らせないと、と思いながらルカは微笑むだけに留めておいた。



 豪奢な馬車が小さな屋敷の前に停まった。

 まず侍女が降り、その手を取ってしずしずとリンファが降りて来る。白銀の髪が日光に当たって、きらきらと煌めき、その仕草さえどこか神秘的なものに魅せていた。

 昨日の今日だけれどやっぱり綺麗だな、と思いながらルカは口を開く。

「ごきげんよう、ルォシー様。来ていただけて嬉しいです」

「ああ、お誘いありがとう、デジデリオ殿。今日はよろしく頼む」

「はい。……お手をどうぞ」

 差し出された白い手を取り、ゆっくりと歩き出す。後ろには決して邪魔にならない……しかし何かあればすぐ駆け付けられる距離を保ってルカの従者とリンファの侍女が続いた。

 空は青く、柔らかな日差しが降り注いでいる。風が吹いて、草木をさらさらと鳴らした。

「わらわの領地では養蚕業が盛んでな。出来上がった絹織物は吸水性が良く、手触りも滑らかで良いものじゃ」

「そうなのですね。身に付けられているその衣装にも使われているのですか?」

「その通りじゃ」

 散策するから動きやすい衣装ではあるが、それは日光の反射で滑らかに光る。袖口や胸元にされた刺繍は熟練の職人が一針一針丁寧に仕上げたことが分かる程に繊細だが、決して衣装を華美にし過ぎない程度に引き立たせていた。

「今日の衣装も素敵です。……よく、お似合いですね」

 今更かもしれないがそう口にすれば、赤い瞳が見開かれる。

「……ありがとう」

 そしてその唇からぎこちなくもそう言われ、ルカは胸がむずむずするのを感じた。

「デジデリオ殿の領地は何を?」

 話題を変えようとしてかリンファがそう口に出す。それに有難く乗っかろうと、ルカは答えた。

「我が領地は果樹栽培が盛んですね、あとは穀物も。領地の面積が小さいので他の領地に比べ大した数は獲れませんが、質は良いと自負しております。加工したものもなかなかの利益を上げていますよ」

「ジャムもか?」

「そう、ジャムも、ですね」

 困ったように笑いながら答えると、リンファはくすくすと笑った。意趣返した、とばかりに。

 それでもその悪戯っぽい顔もまた可愛くて綺麗だから、何も言えない。

「そろそろ収穫ですから……ああ、ここは林檎ですね」

 見上げれば、陽を浴びて赤く染まった林檎が幾つも実っていた。どの実もふっくらと膨らみ、今にもぽとりと落ちそうな程の重みが感じられる。

 風に乗って鼻を擽る爽やかな香りは、紛れもなく林檎の香で。

「何度見ても見事なものじゃ。……この土地が肥沃であること、愛情深く丁寧に育てられていることが一目で分かる。それはつまり、領民に余裕があることに繋がる。正しく治められておるようじゃな」

「有難いお言葉です。兄にそのように伝えておきますね」

 兄の功績がそのように言われたことに誇らしく思いながらそう言えば、リンファは静かに目を細めた。

「確かに其方の兄君の手腕もあるだろう。……だが、それだけではないと思うがな」

「それは」

 どういうこと、聞こうとしたその時だった。

「おう、ルカ坊ちゃんじゃねぇか!」

 陽気な声が響いた。

 見れば、この林檎園の主であるソーンが豪快に笑っている。

「ソーンさん……坊ちゃんはいい加減止めてくれと」

「で、こっちが噂の龍族の嬢ちゃんかい?」

「おい、無礼な……!」

 龍族は誇り高いことで有名だ。いくらリンファでもそんな口をきかれたら……とルカが慌てて取りなそうと口を開こうとすると。

「おお、其方がこの林檎園の主か。初めてお目にかかる、わらわの名はリンファ・ルォシーと申す」

「は、はあ、お、おれ、いや私はソーンともうしあげまする?」

 毒気を抜かれたように妙な敬語を使うソーンに、リンファはくすりと微笑む。

「見事な林檎を育てておるな。色も見事じゃが、艶もまた良い。これ程のものを育てるには並み大抵の努力では出来ないこと。まことに良いものを拝見させてもらったぞ」

「へ、へへえ!!」

 リンファの背後から後光のようなものを感じたソーンは、凄い勢いで直角に礼をした。ルカもそれは感じたが、何とか礼をすることは耐えた。

「アンタ、何やってんだい!?」

 騒ぎを聞きつけたのかソーンの妻であるリオラがやって来た。

「おや、ルカちゃんじゃあないか。じゃあ、こちらがお噂の?」

「う、うん……こちらが」

「リンファ・ルォシーと申す」

「あらぁ、御貴族様に先に名乗らせちゃって申し訳ないねぇ。あたしはリオラだよ、よろしくねぇ」

「かーちゃん、痛い、いたいって!」

 リオラがにこやかに挨拶をしている間、ソーンはぎりぎりと耳を抓られていた。

「あの、リオラさん、もうそのへんで」

「あらやだっ、見苦しいとこ見せちゃって」

 おほほ、と取り繕うような笑顔を見せ、リオラはやっとソーンの耳から手を離した。おーいてぇ、と小声で言いながら耳を摩っているソーンを放って、リオラはからからと笑う。

「あんなにちっちゃかったルカちゃんが、こんな美人な嫁さんを連れてくるなんてねぇ」

「よ、嫁!?」

「おや、違うのかい?」

「い、いや、なんていうかその!」

 あわあわと慌てるルカに、リオラはまた豪快に笑った。

「まあ、ちょっと頼りないところもあるけれど、優しくて良い子だから。よろしくねぇ、龍族のお嬢さん」

「リオラさん……!」

 止めるよりも先に、リンファが口を開く。

「ああ……心に留めておこう」

 それはどういう意味なのか、聞くのは憚られて。

「まあ、そう気に病むな。ほら」

 そんな心情を察したのか、ソーンが採った林檎をぽいっと放り投げてきた。ぱしり、と上手くそれをキャッチすれば、それは見た目通りずっしりと重くて。

「今年のは去年より甘く出来たんだ」

「龍族のお嬢さんもどうぞ」

 リオラからもいだ林檎を手渡され、リンファは「感謝する」と礼を言った。

 さすがに丸かじりは、とナイフを頼もうとすると。

「こういう時はそのまま食べるのであろう?」

 リンファが微笑んでそう尋ねて来た。赤く大きな瞳は、きらきらと輝いて。

「お手本を見せてくれぬか?」

 そう言われては断る理由などなく。

 きゅっきゅっ、と服の袖で磨いてから、「いただきます」と大きく口を開けて。

 シャクッ

 軽い音と共に、たちまちに広がる爽やかな香り。甘酸っぱさが広がった瞬間、果汁がじゅわりと溢れ出た。しゃくしゃくと噛むごとに、甘い果汁が口腔内を心地よく潤す。ソーンの言葉に嘘は無かったようで、しっかりとした濃い味の林檎だ。

「うん、甘くて美味しいです」

「おっ、嬉しいねぇ」

「頑張ったかいがあったよ」

 夫婦は嬉しそうに微笑んでくれた。

「では、わらわも……」

 リンファは両手で林檎を持ち、しゃくり、と齧った。しゃくしゃくと咀嚼し、こくん、と飲み込んで微笑む。

「ああ、非常に甘くて美味だ。良い林檎をありがとう。感謝する」

「へ、へへえ! ありがとうごぜぇやす!」

「あら、ありがとうねぇ。アンタは腰が低すぎんだよ、褒めてくださってんだ、もうちょっと堂々としな!」

 べしっ! とリオラが腰をひっ叩くと、ソーンは「いてぇ! ひでぇよ、かあちゃん!」と涙目で跳び上がった。

 この夫婦のやり取りは、ルカは幼い頃から見慣れたものだ。それでも笑みが零れるのは抑えられない。

 そっとリンファの方を見れば、目を細めて笑っている。

 それに何となくルカは安堵し、同じように微笑んだ。



 「持っていきな!」「お返しはジャムでいいからよ」なんて言われて、貰った沢山の林檎は申し訳ないが従者たちに任せることにした。

「デジデリオ殿のジャムは好評じゃな」

「ええ、まあ……一部だけですけれど」

 などと話しながら歩いていくと、広場へと辿り着いた。

 ここは領民たちの交流や憩いの場として開放されており、遊具やベンチ、ちょっとしたガゼボが設置されている。

「あー、ルカ様だ!」

「ルカ様ー!」

 遊んでいた子どもたちが、一斉に駆け寄って来た。ルカはしゃがんで視線を合わせ、微笑む。

「やあ、ごきげんよう。おや、アルド。怪我してるけど大丈夫かい?」

「ちょっと痛いけどへーき! 井戸で洗ったし!」

「うん、強くなったな」

 アルドの頭を撫でてやれば「えへへ」と照れたように笑われた。

「一応、お薬塗っておこうな」

 懐から器を取り出し、ぱかりと蓋を開ける。中身を掬い取って擦過傷に濡れば、アルドはほっとしたような顔をした。

「ルカ様、ありがと!」

「うん、どういたしまして」

「あの、もしかしておひめさまですか?」

 今度はエミリーがリンファを見てそう尋ねてきた。ルカと同じようにしゃがんで視線を合わせていた彼女は、静かに微笑む。

「おや、そう見えるのか?」

「はい! だってとってもきれいだから!」

「うん、すっごくきれい!」

 エミリー、そしてオリビアは「ねー」と顔を見合わせて頷き合っている。

「……この角が怖くはないか?」

 リンファは自らに生えた黒い角を手でなぞりながら、そう尋ねた。

 すると子ども達は少しだけ顔を見合わせ。

「こわくない! かっこいい!」

「かっこいい!」

「かっこいいし、きれい!」

「きれい!」

 そう口々に言われ、リンファは目を少しだけ見開いた。そして、ふ、とその口元が緩む。

「ありがとう」

 その目元が赤くそまっているように見えたのは、気のせいだろうか。

「ねー、ルカ様あそぼ!」

「おひめさまもあそぼー!」

 2人は顔を見合わせて笑い合ってから答えた。

「ああ、少しだけな」

「構わない……いや、あそぼうか」

 子どもたちの顔がぱあっと輝いた。

「じゃあ、鬼ごっこね!」

「ルカ様とおひめさまがおに!」

「あ、こら! ……よし、待てー!!」

 子どもに追いつかない絶妙な距離で走るルカに目を細め、リンファもまた同じように静かに走り出した。



 子どもたちと別れ、その後も様々な果樹園を視察してまわる。

 ぶどう、いちじく、洋ナシに栗、などなど。行く先々で歓迎され、お土産にと沢山貰ってしまったのは少し申し訳ないような気持ちになった。

 そしてルカの自宅へと戻って来た時には、もう夕暮れが近づいていた。

 馬車の前でリンファは口を開く。

「今日は有意義な時を過ごせた」

「そう言っていただけると嬉しい、です。……でも、衣装を汚してしまって」

 一日中休憩があるとはいえ歩きまわり、子ども達と一緒に遊んだおかげで、リンファの衣装はあちこちが土や埃で汚れてしまっている。

「なに、汚れてしまったら洗えば良い。それに、領地を視察するのならこの程度想定内じゃ。案ずることはない」

 そう言って静かに微笑むリンファの瞳に、嘘は感じられなかった。それに、ルカは内心でそっと安堵する。

「気遣ってくれて感謝……いや」


「ありがとう」


「……っ!!」

 嬉しそうに微笑むリンファは、本当に美しくて可愛くて。なんだか神々しく見えてしまうのは、夕日のせいだけじゃない。

「あ、あの、そうだ。……すまない、あれを出して欲しい」

 ルカは従者に手渡された瓶を、リンファに差し出した。

「これ、良かったら貰っていただけませんか? 昨日のオレンジで作ったものです」

 小瓶の中のオレンジ色を認めたリンファの目が、僅かに見開かれた。そして静かに細められる。

「昨日の……ありがとう。有難く頂こう」

 リンファは壊れ物を扱うように優しく受け取ってくれた。触れた指先が、酷く熱く感じる。

「こちらには何時まで滞在のご予定でしょうか?」

「3日程を予定している」

 それなら、とルカはこう提案した。

「明後日、『収穫祭』が開かれるのですが、よろしければまたいらっしゃいませんか?」

 毎年秋頃に行われる『収穫祭』。この祭りは領民たちが一年間の農作業を終え、無事に実りを得たことを神や自然に感謝するために行われるものだ。

「別のご予定があればそちらを……」

「是非参加させていただこう」

「は、はい、ありがとうございます」

 少々被せるように返事をされ、ルカはとりあえず礼を言うことしか出来なかった。

 御者が馬車のドアを開けて、侍女がリンファの手を取る。

「では、デジデリオ殿。収穫祭の日に」

「は、はい。お待ちしております」

 胸に手を当てて深々と礼をすれば、リンファは頷いて侍女の手を借りて馬車へと乗り込んだ。

 ルカの従者が2人分程に分けた領地内で貰った収穫物の入った籠を侍女へと渡せば、彼女も礼を言って馬車へと乗り込んだ。

「お気をつけて」

 そう声をかけると、リンファは頷いた。

 馬車のドアが閉められ、御者が手綱を取る。

 軽い音をたてながら静かに走り去る馬車を、ルカは見えなくなるまでずっと見送っていた。

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