ep.3 蕾の君へ
「申し訳御座いません!!!!」
朝の囀りに勤しんでいた鳥も逃げ出す大音量が、ひっそりと佇む王子宮に響いた。とうとうヒロインが現れたのだと理解するのは一瞬だった。
クラウド王子との婚約と同時に彼の住む離宮へと引っ越してから早いもので1年が経過していた。ゲーム開始の時期だと分かっていたが、こうも唐突だと身構えようも無い。王宮の侍女採用事情などは流石に知らされないため、既にゲームのプロローグが終わっていたことにも気付かなかった。
森のような庭園を抜けて王子宮へと迷い込んだと言うことは、既にゲーム内時間で1ヶ月は経過している筈だ。お仕事や交流、勉強などのスケジュールを立てるチュートリアルや友人との出会いイベントなどが就職して1ヶ月目の日程に組み込まれ、その最終日にクラウド王子と出会う迷子イベントが発生する。細かい攻略情報までは覚えていないが、何度も繰り返した導入は流石に覚えていた。
急いでヒロインとクラウド王子の元へと向かうと、先に気がついたクラウド王子がずんずんと近寄って私の視界からヒロインを覆い隠してしまった。いや、ヒロインの視界に入る前に軽装の私を隠した、の方が正しいだろうか。
「おはようアリア、起こしてしまったか?朝食の準備が終わる頃だろう。冷めない内に食べに行かないか」
「クラウド、女性の声が聞こえたけどお相手しなくて良いんですか?」
「彼女の相手は他の者に任せて良いが、お前の相手は私でなければダメだ」
抱き竦めるようにして誘導され、食堂に向かって歩かされる。チラリと振り返った先では王子宮の侍従がヒロインらしき女性を介抱していた。ゲームでは、急いで来た道を戻ろうとして再び迷子になったヒロインをクラウド王子が追いかけるのだが、今回は違うようだ。
軽いワンピースドレスと歩きやすいショートブーツで過ごす私の姿は王子宮で働く人以外に見てはいけないと厳命されているらしく、また王子宮の人員も大幅削減が行われたと聞いた。人に見られることを気にする私に気遣ったのか、単純に人に見られたくないのかは分からないが、王宮の侍女が追い立てられて帰るのも仕方が無いのかもしれない。
食堂に辿り着くと、コックコートやアームカバーを身に纏った人達がテーブルに料理を並べているところだった。王子宮の人員が削られた結果、食事を並べるための人手が割けなくなったらしい。反対にまかない料理の負担が減って時間に余裕が出来た調理場の人達が、テーブルセットの仕方を勉強して担当することになったと聞いたときは面倒を掛けてしまって申し訳ない気持ちになった。今では慣れた手付きで並べているが、最初の頃はてんでバラバラでクラウド王子と一緒に笑ったのも良い思い出だ。
「本日のスープはトウモロコシとニンジンを使った甘めのもの。サラダはベーコンと胡椒で辛めに、白身魚と固めのパンをカリカリに仕上げました」
「美味しそう、頂きますね」
「アリア、今日はここで食べてくれないのか?」
クラウド王子が指さしたのは彼の膝の上だ。一度、風邪を拗らせた際に食堂で座っているのも辛くなってクラウド王子に支えられながら食べていたことがあった。それ以来、妙に気に入ったようで度々膝の上で食べるよう要求してくる。最初は王子からの指示と言うことで従っていたが、どんどん頻度が高くなっていったため断ることを覚えた。始めて拒絶したとき、嬉しそうにしていたのを覚えている。
彼は歪な生き方をしていた私を正しく矯正してくれた。嫌なことは嫌だと言う。やりたいことは臆せず言う。そんな当たり前のことがいつの間にか出来る様になっていた。今世では色々なしがらみに阻まれて出来ずにいたことばかりだった。全ての要望を叶えてくれる訳では無いが、彼は嬉しそうに私の話を聞いてくれる。それだけで、心が少しずつ解放されていった。今ではお茶会の盛装ですら多少の軽量化に成功したぐらいだ。でも今日は、ヒロインのことを忘れて欲しくてクラウド王子の膝に乗ることにした。
「あぁ、愛らしい私の蝶。お前は少し軽過ぎるからたくさん食べろ」
「太ってしまってはお茶会のドレスも着られませんよ」
「ドレスのサイズ直しなどいくらでもすれば良い。まだまだ成長期なんだ。少し健康的なぐらいが美しいぞ」
真剣な眼差しで告げられると、本当にパクパク食べてしまいたくなる。ただでさえ前世の記憶を思い出してからは食欲が旺盛になっていて、体型維持のために節制する日々を送っていた。お腹いっぱいに食べる快感を思い出すべきでは無かった。しかし既に先日採寸したドレスの製作が始まっており、体にぴったりと沿うデザインのそれをサイズ調整させることを思えば今日も腹四分目ぐらいでおさえる。
にも関わらず、不服そうに私の口元にパンを押し付けるクラウド王子と戦って腹五分目ぐらいで漸く食事を終えることが出来たのだった。
正直に言えば、かなり溺愛されていると思う。それこそ、ゲームでのヒロインよりも甘やかされている自覚はあるが、天真爛漫なヒロインを見てクラウド王子の心が動かされないか、私は未だに警戒している。
王妃主催のお茶会の日、いつも通りにクラウド王子に運ばれて行けば給仕を行う侍女の中にヒロインの姿があった。お茶会の給仕は重労働だが選抜基準が厳しく、とても新人が選ばれるものではないのだが、そこはヒロイン補正なのだろうか。ゲームでどの様に選出されたかはもうよく覚えていなかった。
「母上、アルフェリアと共に到着しました」
「王妃殿下にご挨拶申し上げます。アルフェリア・ランセル、御前に参りました」
「あぁ、美しき我が子達……よく来てくれたわ、今日も素敵よ」
王妃は絶好調に神の花オタクを拗らせて、クラウド王子に抱えられて腰を折ることも出来ない私をうっとりと見つめてくる。最早、私は王妃のこども扱いらしい。周囲の参加者達も同調するように拍手を鳴らして道を空ける。さり気なく、ヒロインの近くを通る時にクラウド王子の手をそっと撫でた。
実は、ゲームの設定との乖離はもうひとつ発生している。それはトランテ王子の婚約についてだ。ゲームではまだ16歳のトランテ王子に婚約者は居なかったが、クラウド王子の王位継承権放棄の話が本当に進んでしまっているらしく、地盤を固めるためにトランテ王子はもうすぐ20歳になるスコルピオ公爵家の長女、ルナヴィラと婚約を結んでしまった。紫髪の妖艶な花であるルナヴィラと、薄緑色の儚い花であるトランテ王子が並ぶ姿は一部の層に刺さりまくっているらしく、盛大に祝福されている。勿論王妃も大賛成していた。
ルナヴィラに向けて頬を薔薇色に染めた笑みを向けるトランテ王子に、ヒロインを気にする様子は無い。
「クラウド殿下、本日もコルデオン様はいらっしゃらないのでしょうか」
「コルデオンに会いたいのか?」
「いえ、近頃またお見かけしなくなったもので、お忙しいのかと」
「あいつはまた謹慎中だ。お前には聞かせたことが無かったが、女性と良い仲になって母上を怒らせるのが得意らしい。よく見かけなくなるのはそういうことだ。だからお前も、あまり相手にするなよ」
三人目の男は浮気性のクズだった。いや、もしかするとコルデオンは毎回本気なのかもしれない。王妃が認める相手ではないというだけで。王族や公爵家の者の交際関係は勿論神の花を愛する王妃が厳しく目を光らせている。三十代も後半となれば王妃の関心も薄れると聞くが、それまでは絶対に王妃の認める相手でなければ交際が認められず、それは殆どイコールで花同士の交際を意味する。つまり王子達は上手いこと王妃が喜ぶ相手を見つけてきたということだ。最近は王妃の関心を一手に背負うことになったヴィオレッタ王女がげんなりしているという話をよく耳にする。
「それは……、不参加でも王妃殿下がお気を配られない理由が分かりました」
「母上が謹慎を言い渡しているからな。そろそろまた顔を出す頃か。ヴィオレッタが騒ぎ始めるな」
王妃がヴィオレッタ王女とコルデオンの婚姻を強引に進めようとしているんだろう。ここまで聞けば嫌でも分かった。そしてヴィオレッタ王女には長年片想いしている人が居ることが公然の秘密として語られており、縁談を進めないよう必死で逃げ回っているのだとか。
「コルデオン様はヴィオレッタ殿下を気遣って謹慎している、とも解釈することが出来ますね」
「可能性が無いとは言わないが、方法がダメだ。アルフェリアは近付かないように。良いな?」
「お心配り、ありがたく頂戴致します」
暫し衆人環視の中で会話し、役目を終えたとばかりにクラウド王子は私を連れて王子宮へと帰ってしまった。近頃は馬車に揺られることもなく、早々に退席することが習慣化したため、お茶会中に体調を崩すことも無くなった。全て、クラウド王子によって救われていた。じわり、と胸に焦りが広がる。クラウド王子がヒロインを見初めてしまったら、私はそれを認めることが出来るだろうか。
現在は、ヒロインに対して厳しい状況になっている。このゲームは逆ハーレムものだ。逆ハーレムエンドがある、ではなく本編が後半からずっと逆ハーレム状態で続く。と言うのも、王妃に打ち勝ち国王を説得するには三人の力が必要になるからだ。ひとりでは今のコルデオンのように謹慎させられて終わってしまう。それを覆すには王妃を超える勢力を形成する必要があった。ヒロインには早々に幸せになって舞台から退場して貰いたいがそうも行かないようだ。
王子宮に着くとすぐに軽装に着替えてマッサージを受けさせて貰える。頭を切り替えて極楽のひとときをクラウド王子と過ごしていた。
「アリア、近頃何か悩みがあるんじゃないのか?」
「それは……」
フットマッサージ中、逃げられないシチュエーションでぴったりと寄り添いながらクラウド王子は詰め寄ってきた。近頃、気遣わしげな視線を向けられていることには気付いていたし、自分が挙動不審になっていることも分かっていた。言い表せない不安は口から出すのが難しく、何度も口を開いては閉じる。
「アリア、私の愛しい蝶。気掛かりなことがあるなら言ってくれ。私がお前を守るから」
「クラウド、それは、私よりも可愛い人が現れても約束してくれますか?」
「お前よりも愛らしい者か?」
小さく頷くと、クラウド王子は途端に難しい顔になってしまう。思い浮かべる人が居るのだろうか。ヴィオレッタ王女か、ヒロインか。はたまたお茶会に来ている貴族の誰かか。美しく着飾ることしか出来ない私よりも可愛い人など五万と居るだろう。行き当たりばったりな妹プレイや小さな我儘程度では誤魔化しきれない何かが、可愛くあることが自然体の人からしか得られない栄養素がきっとある筈だ。
緊張しながら待っていると、知らぬ間にクラウド王子の軽装を握り締めてしまっていた。白く柔らかいシャツが、私の手の中で潰れて熱を持っている。
「こうして、不安になると私の服を握るアリアが愛らしい。心許したときの笑顔が愛らしい。我儘を言うときのむくれた顔が愛らしい。ワンピースを揺らして駆け回るアリアを守りたくて、私はトランテに王位を継いでくれと頼み込んだんだ。お前が二度と、苦しまなくて済むように」
シャツを握る私の手を、クラウド王子が重ねて握り締める。何を言われているんだろう。いや、前から言われていたことだった。向けられていた好意だった。これまで少しずつ見せられていた想いの欠片達は、綺麗に並べた途端に重みを増して襲いかかってくる。
「何を不安に思っているんだ。私が持つ、全てを擲ってでも守りたいと願ったお前のことを、俺が傷つけているとでも言うのか」
「クラウド、あの……」
「俺が全てを失えば、お前は安心して笑えるのか?」
この日私は、初めてクラウド王子の涙を見て、初めて耐えられないほどの悲しみを抱いて泣いた。私が、愚かだったから。前世の記憶に引っ張られて、何よりも大切にしてくれた人のことを大切にしていなかったから。
ふたりで一頻り泣いた後、私は全てを話すことにした。前世の話は出来なかったが、幼い頃から見る夢としてゲームの内容を覚えている限り説明し、本当は敬虔でも真面目でも無い前世と融合してしまった自分の性格のことも、家でどんな教育を受けてきたのかも、全て、全てを打ち明けた。
勢いで書いてしまったので一旦ここまでです。
続きは気が向いたら書くかもしれません。