12 忘れるといい
女は顔面を蒼白にして立ち尽くした。
突然の訪問者は、もてなしの茶や席に着くことすら断り、彼女とふたりになると大事な話があると告げた。
それはあまりにも怖ろしい話で、彼女は自分が悪い夢を見ているのだと思った。
いや、思いたかったと言うのだろう。これが現実だということはよく判っていた。
「まさか……そんな、ことが……」
「認めたくない気持ちは私も同様です、ピニア殿」
男は占い師に向かって言った。
「だが、事実です」
「わ、私は、あの方の星が消えるところなど視ていません!」
「では彼がいまどうしているか、読むことがお出来になりますか?」
「それは……」
占い師ピニアは唇を噛んでうつむいた。
「ある朝、気づけば、見えなくなっていました。ですが私とて、望む星を全て見ておくことができる訳でもない。ただ遠くて、見えなくなっただけのことと……」
「生憎ですが」
男は首を振った。
「もう二度と、ジョリス殿の星は天に輝きません。ご遺体はまもなく首都に到着しますが、しばらくは内密にということになるでしょう。オードナー家にだけはお知らせしないとなりませんが」
「オードナー閣下もまだご存知ではないのですか?」
ピニアは驚いた顔を見せた。
「それを……何故、私に……?」
「私はあのときのことを忘れていません」
彼は言った。
「ピニア殿が目にした星のことを伝えるため、王城へやってきたときの」
「コルシェント術師」
占い師は戸惑った顔をした。
「まさか、私の言葉がこのことを指していたとでも」
「異なことを仰る。予言の意味するところを貴女ではなく私が判断するのですか?」
「わたくしはまだ未熟なので」
彼女は目を伏せた。
「自らの視たものを把握しきれないこともあります」
「三十年前と同じ星の動き……」
コルシェントはゆっくりと言った。
「我らはそれを反乱、そして黒騎士の件に結びつけた。ですが思いがけずと言っては失礼ながら、キンロップ殿が正解を掴み当てたのかもしれませんね」
あのとき祭司長は、〈白光の騎士〉ファローが〈漆黒の騎士〉ヴィレドーンに斬られたことの再来ではないか、というようなことを口にしていた。
ピニアは黙った。コルシェントは片眉を上げた。
「信じられませんか。私が嘘をついていると?」
「いえ、そのようなことは断じて。ですが、何かの誤りでは……」
彼女は慎重に言ったが、コルシェントは嘆息して首を振るだけだった。
「お尋ねしたい、ピニア殿」
「は……」
「貴女は何か隠してはいませんか?」
目を細めて魔術師は問うた。
「隠すですって? 私が、何を」
「ジョリス殿に伝えたことを」
ずばりとコルシェントは続けた。
「ピニア殿、私はね。貴女が口にした言葉はほかにもあったのではないかと考えています。ジョリス殿に、件の『箱』を持ち出させるだけの決意をさせた――」
「箱」
占い師はぴくりとした。コルシェントはわずかに口の端を上げた。
「ご存知でしたか。彼が王家の宝を盗み出して逃げたことを」
「盗むだなんて! ジョリス様はそのようなおつもりでは」
憤然と言いかけてピニアははっとした。
「わ、私は、何も……」
「死してなお、彼は貴女の英雄ですか。ふふ、少し羨ましいですね」
すっと魔術師は占い師に一歩近づいた。
「私はこの件について、陛下から全権を任されています」
コルシェントは静かに告げた。
「キンロップ殿は〈ドミナエ会〉の対応でお忙しいですから」
「陛下から……」
ナイリアンの民として、王の命令には従わなくてはならない。だが彼女には、話すことなど。
「王子殿下からもお話をお聞きしています。――疑わしい者も、既に」
「え……?」
「いや、そのことは、貴女には関係がない」
コルシェントは首を振った。
「告げなさい、ピニア。貴女が視たものを全て。ジョリスの星、ヴィレドーンの星、それから?」
「全てお話ししました! 私は、隠しごとなど」
「だがあの騎士がアバスターの箱を持ち出したことを知っていた。ジョリスと連絡を取っていたのではないのか? あやつが箱をどうしたかも、知っているのではないのか!」
「し、知りません! 確かに、あの方がナイリアールを出る前にお話をしました、ですがその後は何も!」
魔術師の口調が変わったことにおののきながら、ピニアは本当のことを言った。
「何を話した。あやつはどうやって封じを解いた」
「わたしは、何も……」
「魔術師の助力があるはずだ。お前ではないのか」
「存じません!」
ピニアは怖ろしさを覚え出した。
コルシェントはいったい、何の話をしているのか。
少なくともこの男は、ジョリスの死をともに惜しむためにやってきたのでは、ない。そのことははっきりと理解できた。
「あやつは封印を解いたのだ。そしてどうしてか、中身を名もなき若造が手にしている」
まるで目の前にいるのが憎い盗人だとでも言うように、コルシェントはピニアを睨んだ。
女はただ身をすくませた。状況がさっぱり判らないばかりではない。コルシェントは魔術師として、彼女の遥か上を行く魔力の持ち主だ。宮廷魔術師ともあろう者がむやみやたらと魔力を振るうはずはなかったが、もしそうされれば――。
「判っているようだな」
コルシェントはピニアの瞳を捉えた。
「余すところなく全て語らせることも、私には可能だ。そうされた対象がどうなるかは、判らぬが」
「何も知りません、本当です!」
「それはどうかな? 占い師殿」
コルシェントは片手を上げた。ピニアは身を固くした。
「ゆっくりとお話ししようではありませんか。時間はたっぷりある」
微かに笑みを浮かべて、彼はその手を女の頬に添えた。
「以前から、貴女は魅力的な方だと思っていた。堅物の騎士……それも死んでしまった男のことなど、もう忘れるといいでしょう」
「何を……やめて……下さい……」
次に感じた恐怖は、異なる種類のものだった。内密の話があると言われて宮廷魔術師とふたりきりになることには何も抵抗を覚えなかったが、この段になって急に意識された――させられたのは、彼らが男と女だということ。
「時間はたっぷりある」
コルシェントは繰り返した。
「貴女だけに話を強要はするまい。私の話もいたしましょう」
ただし、と男は続けた。
「話す以上は、私の言うなりになっていただきますが、ね」
その瞳が怪しげな光を帯びた。
「何、を」
ピニアが話して聞かせてくれと頼んでいる訳ではない。何であろうと一方的に伝え、聞いたからには逃さないという台詞はあまりにも乱暴だった。口調が穏やかなものに戻ったところが、却って怖ろしさを誘う。
「貴女と時間を持つことは、私の望みでした。興味深いのは何も〈星読み〉の力ばかりではない」
うっすらと笑みを浮かべ、魔術師は占い師を見つめた。
「美しい」
ゆっくりと男は言った。
「顔立ちばかりではない。若く均整の取れた身体……その薄物の下に隠されているものを想像しない男などおりましょうか?」
かすかに笑みを浮かべながら魔術師は続けた。
「貴女と相向かって、邪な思いを抱かぬ男はおりませんでしょう。ええ、かのジョリス・オードナーとて同様。清廉なふりをしても、心のなかでは貴女を犯す妄想をしていたに違いありませんよ」
ジョリスへの侮辱的な言いようにピニアは頬を怒りに染めた。だが急激に寄せられた男の身体に、反論の言葉を失う。
「貴女とて、同じでしょう? 男を知らぬからこそ、甘い夢に身を委ねる」
耳元で笑いを含んだ声が囁かれた。
「憧れの騎士殿と睦み合うことを想像して、幾夜ご自分を慰めましたか?」
「な……」
続く、彼女自身への侮辱。いや、屈辱と言ってもいい。
「ごまかさずとも結構ですよ。私には全て、包み隠さず……いえ、何ひとつ、隠せなくして差し上げましょう」
魔術師は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「さあ、ふたりだけの話を続けようではありませんか。その奥にある、貴女の寝室でね」
(第4章へつづく)




