09 逃亡
かたかたかたかた、と車軸の音はいつもより早めだった。
クートントはいつもより歩調を急かす飼い主をどう思ったとしても、素直に従って狭い街道を進んでいた。
しばし、ふたりは無言だった。
オルフィの表情はこわばり、後ろのカナトもそれを感じ取るのか、声をかけづらいようだった。
三度の逃亡。
しかし三度目は最悪だ。
町憲兵隊。手配書。
とりあえずその場から逃げれば何とかなるという話ではない。
あのあとカナトは、すぐにナイリアールから出るべきだと主張した。荷物もクートントも、下手に取りに戻れば捕まる危険性があると。
だがオルフィは頑として、クートントを置いてはいけないと答えた。「彼女」は相棒だと。
カナトは少し渋い顔をしたが、結局は魔術で助けてくれた。
厩舎と宿が離れていることもあって、荷物は諦めることにした。大事なもの――財布や「箱」も――は持ち歩いている。着替えや糧食なしでというのは気になったが、贅沢を言っていられる状況ではない。
状況。
そう、もう少しだけでも状況が違えば、オルフィだって泡を食って逃げたりしない。逃げれば罪を認めたようなものだからだ。
だがこの場合、籠手アレスディアが彼の腕にある以上、どんな言い逃れもできない。「盗んでいない」という主張には意味がない。もしかしたら、とてつもなく人が好くて親切な町憲兵が彼の言い分をみんな信じてくれる可能性もあるかもしれないが――いや、ないだろう。
「どんな可能性でも必ずある」などとミュロン老人は言ったが、僅少すぎる可能性に賭けた結果が処刑では困る。
逃げるしかなかった。
ナイリアールの外へ。
その先のことは――。
「……なあ、カナト」
しばらくぶりにオルフィは声を出した。
「はい、何でしょう、オルフィ」
丁寧にカナトは返事をする。
「俺……お尋ね者になったってことかな? もう、ナイリアンにはいられないんだろうか」
「オルフィ……」
「その、ごめんな。謝って済むことじゃないけど。カナトまで巻き込んだってことになるよな」
「何を言ってるんですか。さっき僕が町憲兵に術をかけたのは僕の意志であって、オルフィに強制された訳でも何でもない」
「そうやって俺を助けてくれるのはすごく嬉しいよ。でも思うんだ。お前は、俺についてきたりしなけりゃ……」
「それはやめましょう」
きっぱりと少年は言う。
「確かに、オルフィについてこなければ僕はいまもサーマラ村にいて、逃げることなんか考える必要もなかったでしょう。でも決めたのは僕ですよ。オルフィについていくことも、さっきの魔術についても、みんな僕の意志です。それを」
カナトはきゅっと唇を噛んだ。
「否定しないで下さい」
「……カナト」
「オルフィは『どうして』って言いますけど、正直、僕にもよく判らないんです。ただ、オルフィについていかなきゃならないって思った。正しいとか、間違ってるとか、そんなこと知りません。どうでもいい」
「おいおい」
「僕が選んだのか、運命なのか、それだってどうでもいいです。いまのところ、僕の意志と運命は乖離していません。だからそれでいいんです」
「よく、判らないんだが」
難しい言葉が入ったせいもあって、若者にはいまひとつ伝わらなかった。
「巧く言えません」
少年は嘆息したあと、ぱっと顔を上げた。
「どうせナイリアールは出る予定だったんです。くよくよ考えるのはよしましょうよ」
「ナイリアールを出たら追ってこないってもんでもないだろう?」
「王家の宝を盗んだ」者は、ナイリアン国中で追われるに決まっている。
「場合によっては、あるかもしれません」
「どんな場合があるんだよ」
苦笑いしてオルフィは尋ねた。慰めだと思ったのだが、振り返ればカナトは真剣な顔をしていた。
「仮にヒューデア氏が町憲兵にオルフィを捕らえるよう言ったとして、王家の宝なんて大仰な話にしたかどうか判りません」
「捕らえさせたかったなら、話を大きく言う方がいいだろ」
「そうでもないですよ。出鱈目と思われるかもしれない」
王家から宝が盗まれたのなら、街びとの通報よりも王城から指令がやってくるはずだと町憲兵隊は考えるだろう。カナトの言うのはそういうことだった。もっともでもある。
「だからもしヒューデア氏なら、王家の宝なんてことは言わないと思います。でも、ただ『盗難に遭った』というような訴えだとしたら、町憲兵隊はあんなに早く動かない」
「ええ?」
意味が判らなくてオルフィは片眉を上げた。
「オルフィには信じ難いかもしれませんが、盗難事件なんていうのはナイリアールじゃ日常茶飯事で、まともに犯人や盗まれたものを探してなんかもらえないんです」
「話には聞いたことがあるけど、大げさじゃなくてまじなのか」
「まじです」
カナトはオルフィの言い方を使い、真顔でうなずいた。都会は怖ろしい、とオルフィは今更ながらに思った。
「でもさっきの町憲兵は、ヒューデアの野郎と分かれて何十分とかからずに追ってきたな」
「そこが気になります。あと、手配書のことも」
「もし『たかが盗難事件』なら、そんなものが素早く用意されるはずがない?」
「その通り」
「でもそれじゃ、矛盾じゃないか」
オルフィは顔をしかめた。
「ヒューデアが大きな話にしたはずがないけど、大きな話みたいに町憲兵隊の動きは早かった」
「そこです」
カナトはうなずく。
「考えられるのはふたつ」
「ふたつも?」
「どちらもいい話じゃありませんが、どっちから聞きたいですか?」
「……どっちでも」
「では、まだましな方から」
こほん、と少年は咳払いをした。
「ヒューデア・クロセニー氏がただ者でないという可能性。凄腕の剣士といった事情は除き、アミツのことも……いえ、これは関係するかもしれませんが」




