04 また会う日まで
「お、落ち着いてオルフィ。ラスピーさん、そんなに悪い人じゃないわよ……たぶん」
「仮に悪人じゃないとしたって、要警戒であることは間違いない」
「喧嘩腰は駄目です、オルフィ。大事なことを忘れないで下さい」
「な、何も喧嘩を吹っかけてる訳じゃない」
非難するように言われて若者はまばたきをした。
「俺は、ふたりを守ろうとだな」
「守る?」
「少なくとも僕には必要ないです」
リチェリンは首をかしげ、カナトは首を振った。
「いや、そりゃ、カナトはもしかしたら強いのかもしれないけど、そういう問題じゃなくてだな……」
「心配性なんだな、オルフィ。いや、世話焼き気質とでも言うべきか?」
あごに指を当ててラスピーはじっと彼を見た。
「ふむ、やはり君のことも可愛く見えてきた」
「要らん! とにかくお前はもう帰れ!」
「失礼よ、オルフィ」
「あのなあ、リチェリン……」
この男が「要警戒」という意味を神女見習いは理解してくれないようだった。
「もっとも、私はリチェリン嬢をここに送り届ける約束をしたのみだからな。お役ご免と言えば、そういうことになる」
にこりと笑みを浮かべて青年は言った。
「有難うございました、ラスピーさん」
「何と。助けてもらったのは私の方だと言うのに」
にこにことしたまま、青年はリチェリンの方に手を差し伸べた。オルフィはまたしてもさっと間に入る。
「帰・れ」
「はいはい、そこまで嫌われてしまっては仕方がない」
青年は肩をすくめた。
「また会う日まで――」
「無い!」
犬のようにうなりながらオルフィは言い、ラスピーは嘆息して首を振った。
「そう言うけれど、私たちはきっとまた会うことになると思う。私の勘はよく当たるんだ」
「神殿で厄除けを買っておくね」
しっしっとオルフィはラスピーを追い払うようにした。青年は笑って手を振りながら階段を下りていった。
「ふう、ようやく行ったか」
若者は息を吐いた。
「全く、おかしな奴だっ……」
「オルフィ」
じとん、とリチェリンが彼を見た。
「いったい何なの、いまの態度は。私、オルフィがそんな子だとは思わなかったわ」
「ちょ、あのな、リチェリン」
「ラスピーさんは確かに少し変わっているけど、あんなふうに失礼なことを言っては駄目でしょう」
「あのなっ、カルセン付近じゃみんなリチェリンを神女見習いだって知ってるからおかしなことを言ってこないけどな。リチェリンだってもっと気をつけてほしいっ」
「気をつける? 何によ」
「だから……あいつ、リチェリンを誘おうとしてたろ?」
「散歩になら誘われたわ」
「それはね、散歩だけじゃ済まないの」
リチェリンとて男女のことを知らないはずはないが、自分がそういう対象にされたことがないせいか、ちっとも判っていないようだった。
「見境ないんだぞ、あいつ。最初に会ったときなんか、カナトに声をかけたんだ」
「ナイリアールを知らない同士で一緒に街を見ようって言ってました。おかしな人ですよね」
「カナトにはちゃんと説明しただろ。それで君は『誘い』の意味を判ってたじゃないか」
「ですがあのときは結局ほかのお嬢さんと一緒だったんですし、今日はリチェリンさんに声をかけていたんですし、やっぱりクジナの趣味ではないんじゃないですか?」
「前にも言ったけど」
こほん、とオルフィは咳払いをした。
「両方ってのもいるらしいって」
「それは……その」
カナトは目をしばたたいた。
「ずいぶん、精力的ですね」
「適切すぎる表現だ」
オルフィは額に手を当てた。
「あのね、オルフィの言いたいことは判るわ。でも勘違いよ」
「どこが!」
思わずオルフィは叫ぶように言った。
「ラスピーさん、紀行家なんですって。あちこちを旅していて、旅先での出来事を文章に起こして本にするのだそうよ」
「紀行家だって? そんなの、聞いたことないな」
「私も初めて聞いたわ。でも実際、本を出しているそうよ。生憎と持ち歩いてはいないということで見せてはもらえなかったけれど」
「出鱈目じゃないのか?」
「オルフィ」
リチェリンは叱るように「弟」を呼んだ。
「どうしてそんなふうに、疑ったりするの」
「疑わしいから」
簡潔にオルフィは答えた。
「紀行家ってのは、見境なく女の子や……男にも声をかけて『散歩』しまくるもんなのかよ?」
「吟遊詩人が歌の題材を求めて彷徨するのに似ていると言っていたわ。街を知っている人に案内してもらうのもいいけれど、知らない同士で歩いて道に迷ったりするのもいい題材になるんですって」
「そんなの、自分ひとりで迷えばいいだろ!」
「それじゃどの街でも同じ話にしかならないから、そのときどきで目についた人を誘うそうよ」
「……そんな話に納得したのかよ」
「疑う理由もないじゃないの」
「おおありだろうがっ」
「ないわよっ」
「まあまあ、おふたりとも」
カナトが仲裁した。
「僕の判定では、あのラスピーという人は、端的な言い方をしてお金持ちです」
「そう言えば、着てるものが上等だとか言ってたな」
「ええ。今日も、簡素ですが質のいいものを身につけていたようです」
こくりと少年はうなずいた。
「紀行家という言葉は僕も初めて聞きましたけれど、察するにお金持ちの道楽だと思います。本を著すなんてことをするのは学者か、さもなくば魔術師くらいでしょう。あくまでも研究のためであり、儲かる行為じゃないというのはだいたいお判りですよね」
「神官も著すわ。もちろん、お金儲けのためではないけれど」
「そうでしたね。すみません」
「謝ることないじゃないの」
リチェリンは笑った。オルフィはカナトの悪い癖が出たと思ったが、それだけでもなかった。少年はいま「魔術師」の立場から「神官」の立場に近いリチェリンに謝罪したのだが、幸か不幸かそれはオルフィにもリチェリンにも通じなかった。
「お金持ちが道楽で本を書いている、つまり、本が売れないと暮らしていけないということはありません」
「じゃ、趣味か」
「そんなところでしょうね」
「野郎。結局、趣味で女に声をかけてるんじゃないか」
「僕の言わんとしたのはそういうことです」
カナトは肩をすくめた。
「確かに悪い人には見えませんでしたし、女の人を強引にどうこうという感じではないですけど、オルフィの心配はもっともですよ、リチェリンさん」
どうやらカナトはオルフィ寄りで発言をしてくれたようだった。それは彼なりの倫理観もあるだろうが、おそらくはオルフィの想いを知っている――知ったばかりである――ため。
(妙なことを妙なタイミングで話しちまったなあ)
オルフィは苦笑いを浮かべた。
「判らなくはないけれど……」
リチェリンは万事納得とはいかない様子で顔をしかめた。
「何だよ。まさか、あいつが気に入ったんじゃないだろうな」
胡乱そうに問うてからオルフィははっとした。
「俺が、邪魔をしたとか、思ってるんじゃ」
その言葉にリチェリンは目を見開いた。
「ちょっと! 何てこと言うのよ、オルフィ!」
「それはないですよ、オルフィ」
ふたりに睨まれ、若者は首をすくめた。
「悪かったよ。俺は、その、心配で……」
そしてもごもごと言い訳をする。
「心配しているようには聞こえなかったわ」
「僕には聞こえましたが、伝わりませんよ、それでは」
「え?」
「カナトっ」
「それより、場所を移しませんか」
焦るオルフィをしり目に、少年は平然と辺りを見回した。
「こうして神殿の入り口を陣取っているのは、訪れる信者の方にも神殿にも迷惑だと思います」
年下の魔術師は冷静に指摘し、兄のつもりの若者と神女見習いの娘を赤面させた。




