02 何がどうなって
「ラスピー、それに、ムーン・ルー神殿のリチェリン殿だな」
「うむ」
「は、はい」
「もし何かあれば、問い合わせるからな」
「な、なにかって」
「何もあるはずがない。ですが町憲兵殿はそうして警戒なさるのがお仕事ですからな。うむ、ご立派だ」
うんうんとラスピーはうなずいた。あからさまな追従に町憲兵は顔をしかめたが、もうここから離れてしまいたいと思っている様子もあった。
「あまりうろうろせんようにしろ」
そうとだけ言い捨てて、町憲兵は踵を返した。終わりか、と見物人たちも解散していく。
「あのー……いったい……」
呆然としていたのは無論リチェリンだ。
「有難う、リチェリン嬢。おかげで無駄な時間を省くことができた」
ラスピーは彼女に近寄ると、にっこりと笑みを浮かべた。
「あの、何がどうなっているんでしょう」
気の毒に彼女はすっかり困惑していた。
「何でもそこから」
とラスピーは石畳の色が周りと違っている通路を指した。
「先はお偉いさんの敷地か何かであるらしく、足を踏み入れただけで不審人物扱いされる怖ろしい場所であるようだ」
肩をすくめて、ラスピーは身を震わせた。
「入られたくないならば柵でも看板でもつけるべきだと私は思うが、誰だかはそう思わないらしい。首都には思わぬ罠が仕掛けてあるのだな。リチェリン嬢も気をつけるといい」
「はあ」
いまひとつ状況がつかめぬままリチェリンは相槌ばかり打つ。
「さて、ではいざコズディム神殿へ参ろうか、お嬢さん」
言うとラスピーは片腕を曲げてリチェリンに差し出すようにした。リチェリンはやはり目をぱちくりとさせてそれを見る。ラスピーはがっかりした顔を見せた。
「神女見習いは案内役の腕も取ってはならない?」
「えっ? あっ、いえ、そうではなく! あ、そうなんですけど」
「何だって?」
「いえ」
差し出された腕が「取れ」という意味だとは判らなかっただけなのだが、説明するのはやめておこうと思った。
「明文化されている訳じゃないけれど、異性との接触は避けるべきことです」
代わりにそうとだけ言う。
「同性ならばいいのか?」
「はい。……え?」
「いや、何でもない」
ラスピーはひらひらと手を振った。
「あの、どうして私がコズディム神殿を訪れると?」
腕を差し出されたことより彼女はそこに戸惑った。
「見れば判る」
というのが男の言だった。
「向こうにあるのは神殿だ。君は昨日もコズディム神殿を訪ねるところだったが、神官への相談は一度では済まないことも多い。私の誘いを断ってまで神殿を採った君のことだから、用事が済むまで毎日毎刻でも通うことはあるだろうと思った」
「私が『違う』と言ったらどうするつもりだったんですか?」
「そのときはそのときだ。最悪、力ずくという手が」
「えっ」
「いや、まさかよりによって町憲兵に喧嘩を売る訳にはいかないか」
がくりとラスピーは芝居がかって肩を落とした。
「『神殿への訪問が秘密だったとは知らなかった、申し訳なかった』と君に謝罪して君と町憲兵を煙に巻いてしまえば、どうにかなっただろう」
さらりと青年は言ってのけた。リチェリンは思わず笑ってしまった。
(少し変わっているけれど、面白い人ね)
「せっかくの再会だ。この約束を本当にして、神殿までしばし散歩を楽しもうではないか」
「お散歩が好きなんですね」
昨日もこの青年は彼女を散歩に誘ったのだ。
「目的のないそぞろ歩きというのは、いいものだ」
ラスピーはうなずいた。
「私は実は、紀行家なんだが」
「紀行家?」
聞き慣れない言葉にリチェリンは首をひねった。
「ああ。あちらこちらを旅して風景や文化についての文章を起こし、書にする仕事だ」
「そんなお仕事があるんですか」
「一部好事家や学者などには需要があるんだがね、あまり知られていないことは確かだな」
ラスピーは肩をすくめた。
「ナイリアールについて何か書くんですか?」
「その予定だ」
「じゃあラスピーさんはこの辺りの人じゃないんですね?」
「まあな」
青年は東の方を見た。
「〈はじまりの湖〉にほど近い、キートイという町だ。知らないだろうが」
「すみません」
「知らなくて当然だ。何の産業もない」
「私はカルセンという村からきています」
「ほら」
「え?」
「私もその村を知らない。お互い様だ」
「そうですね」
リチェリンは笑った。
「ではリチェリン嬢、改めて。このラスピーめに神殿までご案内することをお許し願えるかな?」
「許すだなんて言う立場ではないけれど、不思議な再会だもの。少々お話しするくらいのことは女神様もお許し下さると思うわ」




