08 「蛮族」
神殿のある街区に向かう道すがら。歩きながらカナトは、いったいどんな話を聞けると思っているのか、聞きたいと考えているのか、そうしたことをオルフィに問うた。
「だって、何かあいつ、気になるんだよ」
彼はまずそう答えた。
「……それで?」
カナトは促した。
「それでって」
オルフィは首をかしげた。
「それだけだけど」
「それだけですか」
カナトはがくりとした。
「どんなふうに気になるんです? まさかクジナの恋ということはないでしょうけど」
「あるかっ」
「すみません、冗談です」
「その謝罪は受ける」
苦々しくオルフィは言ったが、カナトは真顔でこう続けた。
「オルフィはジョリス様に恋してるんですもんね」
その言葉にオルフィは激しくむせた。
「おいっ!」
「だって。そのようなものじゃありませんか。オルフィがもう少しジョリス様に対していい加減だったら、こんな羽目に陥ってないですよ、たぶん」
「う」
そこは否定しきれないものがあった。
「だ、だからってなあ!」
「恋というのはたとえですよ。判るでしょうけど」
「もうちょっと違うたとえを頼みたい」
顔をしかめて彼は言った。カナトはまた謝罪し、オルフィはまた受けておくことにした。
「言っとくけどな、俺は女の子が好きだからな」
「判りましたよ。それなら、オルフィ」
「うん?」
「恋人はいるんですか?」
「う」
またしてもオルフィは詰まった。
「……生憎と」
「すみません」
「そこは、謝るな」
謝られては何だか情けない気持ちになってしまう。
「好きな子は、いるよ」
ぽつりと彼は言った。
「へえ?」
カナトは興味ありそうな顔をした。
「アイーグ村の人ですか?」
「半分は、そう。いまはカルセン村にいて」
「カルセン」
「ああ。実は、タルー神父様の手伝いをしてた子なんだ。『子』って言っても俺より少し年上だけど」
「年上の女ですかあ。やりますね、オルフィ」
「何言ってんだよ」
オルフィは苦笑いを浮かべた。
「どうして恋人じゃないんですか?」
何とも直接的に少年は尋ねてくる。
「ほかに恋人がいるとかですか?」
「幸いと言うのか知らないが、そうじゃない」
「『幸い』だと思いますけど」
カナトは目をぱちぱちとさせた。
「神父様の手伝いをしてたって言ったろ。神女見習いなんだよ」
「……ああ、成程」
少年は目を伏せた。
「すみません」
「だからそれも謝るなっての。ま、実らぬ恋ってやつだけどさ。好きなもんは仕方ないよな」
「あの」
「ん?」
「言ったんですか?」
「あ?」
「ですから、オルフィの気持ちを伝えたんですか?」
「まさか」
「伝えたらいいのに」
「困らせるだけだろ。できないよ」
彼はひらひらと手を振った。
「そうでしょうか。オルフィが幸せにするのであれば、彼女は神女にならない道もあるんじゃないんですか?」
「よせよ」
顔をしかめてオルフィは言った。
「リチェリンは、いろいろ考えた上で、神女になるって決めたんだ。何もそれしか道がないとかじゃなくて、彼女が望み、選んだことだ。それを俺のわがままで迷わせたり困らせたり、できないさ」
「リチェリンさんというのは、オルフィの幼馴染みの名前でしたね」
「あ?」
彼は目をしばたたいた。
「何で知ってんだ?」
「オルフィが話したんじゃありませんか」
「そうだっけ?」
「サーマラ村で、お師匠と話をしていたときですよ。例の荷が狙われていたんだったら、リチェリンさんに預けなくてよかったって」
「ああ、そう言えば」
そんな話もしたかも、とオルフィは思い出した。
(よく覚えてるな)
(ほんと、頭がいいんだな)
若者は何だか感心した。
「でも、オルフィの考え方はどうかなあ」
カナトは納得しないようだった。
「進める道がひとつしか見えないというのは確かに迷わなくて楽ですけど、ほかの道も存在するんだったら」
「リチェリンはもう迷ったんだ。それで決めた。俺はその邪魔はできない」
きっぱりとオルフィはカナトの言を遮って繰り返した。
「そう、ですか……」
「でもありがとな、カナト」
「え?」
「俺、いままでこの話を誰にもしたことないんだ。リチェリンに迷惑をかけたくないってのもあれば、俺自身がからかわれたくないってのもあって」
黒髪をかいて彼は言った。
「カナトはリチェリンのことを知らないから逆に言いやすくてさ、つい」
「初めて話してもらえただなんて光栄です」
はにかんだようにカナトは言った。
「でも僕も会ってみたいです、リチェリンさん」
「はは……ことが済んだらカルセン村に案内するよ。あ、リチェリンには言うなよ?」
「嫌だなあ、当たり前じゃないですか」
などと彼らはどうにも呑気なやり取りを交えながら八大神殿のある区画へと向かっていた。
「それで、ヒューデア氏なんですけど」
「うん?」
「判っているのは、北の生まれであるということと、ジョリス様と交流があったということ」
「腕の程は俺にはよく判らないけど、たぶん結構な剣士だってことと、コズディム神殿にも縁があるってこと」
「謎の人物ですね」
カナトは渋面を作った。
「アミツがオルフィを指した、と言っていましたっけ」
「そうだ、それ、よく判んなかったんだけど」
「僕も、さっき話した以上のことはほとんど知りません」
「だいたい、北の民族って何だ?」
「ああ、それはですね」
カナトは少し間を置いた。考えをまとめているようだった。
「オルフィは、ナイリアンの歴史は知っていますか?」
「歴史?」
「成り立ちです。初代であるレオラール一世が『蛮族』を廃して建国したというような」
「そう言えば、神父様が少し話してくれたことがあったかな。でも正直、あんまし覚えてないや」
素直に彼は言った。見栄を張っても仕方がない。
「国の成り立ちというのはいろいろですけれど、基本的には大抵、戦の勝者が王として君臨するという形です。いまでは新しい国が建国される余地はほとんどないですけど」
「東のラシアッドは新興国なんて言われるよな。確か」
「ええ。それでも数百年は経っているはずですからね。アレンズ地方内では二千年の歴史を誇るナイリアンや南のカーセスタ、西のヴァンディルガとありますし、トランドリンも小さいですが古い国です。マールギアヌ地方のオル・アディル、アル・フェイル、カル・ディアル三国なども古いですから、その辺に比べれば若い国と言うだけで国政は安定していると聞きます」
「ふうん」
それで?――というようにオルフィは首をかしげた。
「『蛮族』と言いますが、それは負けたから言われるんです」
「あ?」
「彼らは『野蛮な悪党』だった訳ではない。もしも勝敗が逆であったなら彼らこそが王家を名乗っており、いまのナイリアン王家の一族が蛮族と呼ばれたでしょう」
「へえ?」
相槌を打ったものの、オルフィにはぴんとこなかった。
「……北の民族は、レオラール一世に敗れた一族の末裔だという話もあります」
「へっ」
「一説です。公の史書によれば、蛮族は一掃されたことになっています。禍根を遺さないためには一族郎党皆殺しというのがいいのでしょうが」
「おいおい、物騒だな」
「戦の話ですよ。物騒で当たり前です」
少年はしかめ面をしていたが、口調はあっさりとしていた。
「本当に殲滅したのか、したつもりが残っていたのか、はたまた指導者や主だった戦士を処刑したのみで女子供など戦う力のない者は見逃したのか、何にせよ『ナイリアン王家よりも古い血筋』を名乗る種族は、この国にいくつかあるんですよ」
「へええ、知らなかったなあ」
「南西部ではあまり聞きませんものね。北の民族もそのひとつですし、エクールの民なんかもそんなふうに言われます」
「エクールってエクール湖?」
「そうです。いまでこそ細々と暮らしているようですが、昔は老いも若きも戦輪を操って戦う、力強い部族だったらしいですよ」
「へえ」
オルフィはほとんど聞いたことがない。カナトの博識に目を丸くするばかりだった。
「あ、もしかして〈はじまりの湖〉って言い方が何か関係ある?」
北東にある大きな湖エクールは、〈はじまりの湖〉とも言われる。
「当たりです、オルフィ。彼らはかつて〈はじまりの民〉と名乗っていたそうですよ。ですが王家を差しおいて始祖を名乗るとは何ごとか、と昔のナイリアン王が難色を示したことから、いまは〈湖の民〉とだけ言うのだとか」
「王様もみみっちいなあ」
思わずオルフィはぽろりと言って、それからはっとして周囲を見回したが、幸い誰も聞いていなかったようだった。




