06 一刻でも早く
「アバスターの……」
オルフィは呟いた。
「俺も、そう思った。これが本当にアバスターの籠手だって言うなら、身につけるに相応しいのはジョリス様みたいな人だ。少なくとも、剣なんて振るったこともない俺がつけてるのは間違いだよ。よく判ってる」
彼はまた言った。
「オルフィ。違います」
「カナトが魔力錠だかのことを気にしてるのは判るけど……」
「本当に判っているんですか?」
少年魔術師は厳しく問うた。
「ラバンネルの魔力錠ですよ」
「俺は、その魔術師がどんなにすごいかは知らないけど」
「そうじゃありません。ジョリス様の探していたのがラバンネル術師だったとしたらどうです?」
「何だって?」
「オルフィもそうしたことを言った。覚えていませんか?」
「言ったかも、しれないけど……」
「〈白光の騎士〉が誰かを探そうと思ったら、自分であちこち飛び回るでしょうか? いえ、人任せにするような方ではなかったのかもしれない。ですが、彼が箱を持っていたということ、それが答えじゃないかと思うんです」
「それは、つまり」
オルフィは考えた。
「ジョリス様は……箱の錠を開けるために、魔法をかけたラバンネルを探していた、と?」
「その可能性は大いにあると思っています」
カナトはこくりとうなずいた。
「オルフィはそれを開けた。ジョリス様ではなかったんです。それがラバンネル術師の意向だった」
「な、何を言ってるんだよ」
「さっきから同じことを言ってます。ラバンネル術師に予知の力があったのか、僕もそこまでは知りません。ですが彼が未来を見たのであれば、オルフィがジョリス様から箱を受け取り、アバスターの籠手を身につけていることは、大いに意味があるんです!」
三度カナトは繰り返し、まるで睨みつけるようにオルフィとヒューデアを見た。
「セル・クロセニー、オルフィを悪く思うのはやめて下さい。彼には何も罪はない」
「それはどうか」
ヒューデアは納得などしなかった。
「返す気がある、と言ったな?」
「ああ、言ったとも」
「ふたりとも。僕の話を聞いてませんね?」
「ちゃんと聞いてるよ。俺に味方してくれるのは嬉しいけど、俺が身につけてるのが正しいことだとはとても思えないんだ」
「味方とか敵とかじゃありません。これは」
少年魔術師は唇を噛んだ。
「あんまり言いたくないですけど、こういうのが〈定めの鎖〉に繋がれた事象と言うんです。ああもう、どうして判ってもらえないんだろう!」
カナトは悲鳴のような声を上げた。オルフィは戸惑ったが、ヒューデアは冷たく彼らを見ただけだった。
「お前が盗っ人でなかったとしても、俺の考えは変わらない」
「……町憲兵隊に突き出す? それとも、レヴラール王子サマに?」
「どちらでもない」
言うと剣士は、ずっと手にしたままだった剣をすっとかまえた。
「お、おい」
「命までは取るまい。だが、籠手は返してもらう」
ヒューデアの薄茶色い目が、ぎらりと光を帯びたようだった。
「それってのはー……つまりー……」
オルフィは引きつった。
「腕を切り落とされても、すぐに治療をすれば死なずに済むだろう」
(左腕ごと)
オルフィはさっと血の気が引くのを感じた。
(こいつ)
(本気だ!)
性質の悪い冗談などではない。ヒューデア・クロセニーは本気でオルフィの腕、いや、アレスディアを彼の腕から切り離そうと考え、その剣をかまえている。
「よ、よせよ」
オルフィは後退した。と言うよりも逃げ腰になった。
「俺の話は、まだ続くんだ。籠手を外すために、魔術師ラバンネルを探して……」
「どこにいるかも、生きているかも判らない『伝説の魔術師』を?」
ふん、とヒューデアは鼻を鳴らした。
「そのような時間はない、オルフィ。一刻でも早く、黒騎士を退治しなければならない」
「そ、そいつには両手を上げて賛成だけど」
オルフィは戸惑った。
「籠手がなけりゃ退治できない訳でもあるまいし」
焦った頭で言えば、ヒューデアの表情が険しくなった。
「問答無用! アイーグのオルフィ、そこへ直れ!」
「直るかっ」
腕を斬り落としてやると言われておとなしくして待っている者などあろうか。オルフィは左手を身体の後ろに隠すようにして飛びすさった。
(これは、やばい)
(逃げるしか)
だが相手は本物の剣士だ。背中を見せるのも危険だろう。
「逃げて下さい、オルフィ!」
カナトも杖をかまえた。しかし、いくらカナトが優秀な魔術師でも、まさか年下の少年に場を任せて走り出す訳にもいかない。若者は躊躇した。
「退け、子供!」
「どきません! オルフィ、早く」
叫んでカナトは彼を振り向いた。それは少年の失態だった。
仕方のないことではある。カナトは戦ったことなどないのだし、ましてやヒューデアの狙いはオルフィであったのだから。
剣士は魔術師に脅されるままにはならなかった。剣と魔術を正面から戦わせたとき、剣というのはとても不利である。魔術は殺傷力と命中率の高い飛び道具になり得るからだ。
それを知る剣士の選択と行動は早かった。
ヒューデアは旋風のように彼らの前へ飛び込むと、カナトの手から杖をはたき落とした。それと同時に少年の細い身体を回転させ、背後で両手首を捕まえた。
「魔術師は、厄介だ」
「おいっ! よせよ、カナトは関係ない!」
泡を食ってオルフィは叫んだ。
「それは俺の言いたいことだ。介入するなとの言葉を聞かないのであれば、俺とて自衛する必要がある」
「放せ! カナト、お前も魔術を使わないって約束しろ! そうすればこいつも」
「約束できるはずがありますか! オルフィじゃ対抗できない――」
「お前を放って逃げられるはずもないの!」
オルフィは声を裏返らせた。
「おいっ、ヒューデア! カナトを」
放せ、と彼は剣士に手を伸ばした。否、伸ばそうとした。だが彼の右手より早かったものがあった。
「ぐ……」
それは、彼の左手だった。
アレスディアはオルフィの左手を支配し、目にもとまらぬ速度でヒューデアに襲いかかった。
その指はヒューデアの首にかかり、彼の意志とは関わりのないところで力を込めていく。
「オ、オル、フィ……貴様……」
ヒューデアの顔が怒りか、それとも別の理由で赤くなる。
「は、放せ!」
オルフィは震える声で叫んだ。ヒューデアに「カナトは放せ」と言っているのか、籠手に「ヒューデアを放せ」と言っているのか、自分でも判らなかった。
もっともヒューデアも、首を絞められたまま少年を捕まえてはいられない。カナトを解放すると同時に突き飛ばし、剣を振り上げた。
オルフィも――いや、アレスディアもまた斬られるのを待ってはいない。まるでヒューデアの行動をなぞるかのように青年の首を放したかと思うと、平手で胸部を張り飛ばした。どれだけの力がそこにかかったものか、たまらぬようにヒューデアはよろめく。
「カナト、走るぞっ」
オルフィは転んだ少年に手を差し伸べ、彼を引っ張り上げた。その間にカナトはさっと杖を拾う。
「待て!」
ヒューデアの叫びが聞こえたが、無論、待ってやる気などない。
「ここから出るんだ。人目につくところに!」
「はいっ」
少年も同意し、ふたりは路地を走り抜ける。
「――必ず」
追いかけてももう剣を振り回せないと気づいてか、ヒューデアはその場で唇を噛んだ。
「オルフィ! それは必ず、返してもらうぞ!」




