10 荒唐無稽すぎて
「だから私は彼を協会から離したわ。首都からも遠い、カルセン村のミュロン殿にあの子を預けた。どういうことか判る?」
「いえ……」
オルフィは首を振った。
「自分が群を抜いていることに早くから気づいてしまうと、どうしても驕りが生まれる。彼が自分をほかの魔術師と比較できないところで、心を鍛えてほしかったの」
「はあ……」
その説明はいまひとつ、オルフィにはぴんとこなかった。サクレンは笑みを取り戻した。
「余計な話をしたかしら。でも覚えておいて。あの子の手を借りられているということは非常に幸運なことなのよ」
「それは、思います」
こくりとオルフィはうなずいた。
「カナトがいなかったら、俺は南西部で騒ぎを起こしていたかもしれない」
術なしで王城をのこのこと訪れていればきっと捕らわれただろう、ということは昨日も思った。だがそれ以前にも問題は起きていたはずだ。
「それだけじゃないわ」
呟くようにサクレンは言った。
「それだけじゃない」
「……導師?」
「ああ、ごめんなさい」
サクレンは首を振った。
「あの子は優秀だけれど、それでもまだ幼いところもあるから、どうか頼んだわよ」
「は、はあ」
オルフィは困った。確かに彼の方が少々世慣れているかもしれないが、彼だって世間をろくに知らない田舎者でもある。
「私が昨日、あなたは拾い上げる力を持っているのだと言ったことを覚えていて?」
「はい、覚えてます」
でも、と彼は顔をしかめた。
「正直に言って、納得はできてませんけど」
「ふふ、本当、正直だわ」
サクレンは面白がるようだった。
「あなたに感じるところがある、と言ったのも本当よ。あなたは運命の奔流に巻き込まれただけではない……自ら奔流を作り出す人物かもしれない」
「は、はあ」
自ら箱を開けて籠手を装着したのだ。ある意味ではその通りかもしれない、とオルフィは苦く思った。
「違うわ」
しかし彼のその考えを読んだかのように、サクレンは首を振る。
「籠手の吸引力については説明したでしょう。開けることができたなら、誰も逆らえなかった。ただ、それをあなたが開けたということ」
「それは……」
「施術者がそのときと場所を選んだのかもしれない、という話は昨日したわね。でもそれだけじゃない、開けることを選んだのはあなたかもしれないの」
「まあ、その、そうとも言えますけど」
「違うのよ」
もごもごと言うオルフィに、サクレンは再び首を振る。
「箱と籠手については、判らない。ただ、いま私が言おうとしたのは別のこと」
じっと彼女は若者を見た。
「もしかしたらあなたはその手でカナトも拾い上げたのかもしれないということ」
「はあ!?」
「これはちょっと判りにくかったわね。忘れてくれていいわ」
ひらひらと魔術師は手を振ったが、判りました忘れます、とも言えない。
(どっちかって言うと、俺が拾われてると思うんだが)
(拾われたと言うか、選ばれたと言うか)
(同情された、のかもしれないけどな)
オルフィから頼んだのであれば、導師の言うことも判らなくはない。だがオルフィについてくることを決めたのはカナトだ。彼はそれを有難く受けている立場である。
「何て言うか」
彼はううむとうなった。
「あんまり変なこと言うと、カナトが本気にしそうなんてやめてもらえないすかね」
導師が「オルフィがカナトを拾ったのだ」などと言ったら、あの少年のことだ、本気にしてそれこそ拾われた仔犬のようにいつまでも彼についてきかねない。
それはいまのオルフィにはとても有難いことなのだが、おかしな話ではないかと思えた。いや、奇妙だと言うよりは罪悪感を覚えるとでも言おうか。まるで詐欺を働いて無邪気な少年を騙しているようにさえ感じられるのだ。
「あら、少なくとも私は本気で言ってるけれど」
導師は肩をすくめた。
「その話は、あなたと続けても〈神官と若娘の議論〉でしょう。次の話に移りましょうか?」
さらりと言ってサクレンは首を傾けた。
「どうぞ?」
「ん?」
「カナトの術は十二分に効果を発揮しているわ。寸分の乱れもない。いまはまだ慎重にやっているせいか、持続時間は短いでしょう。でも数をこなせば長くなっていくわ。つまり、もう私に指導することはないの」
だから、と彼女は続けた。
「次はあなたの話でいいのよ」
「あ、ああ……」
そういうことか、とオルフィは頭をかいた。
「実は、少し判ったことがあって」
彼は左腕をまた伸ばした。
「この籠手は、ラバンネルという魔術師が力を込めたものらしいんです」
「ラバンネル」
繰り返してサクレンは目をしばたたいた。
「ご存知ですか? カナトは、有名だと」
「そうね。ナイリアンの魔術師には伝説同然よ」
アバスターのように、と導師も付け加えた。
「ラバンネルについて教えて下さい」
オルフィは伝説の英雄については少々知っているが、伝説の魔術師の方はさっぱりだ。名前すら聞いたことがなかった。
「何から話せばいいかしら」
サクレンは目を閉じた。
「彼の活躍については、物語師に話してもらった方がいいのかもしれないわ」
「え、でも、魔術師以外にはあまり知られてないんじゃ」
「ええ、その通りよ。私の言うのは、『荒唐無稽すぎて派手に作られた物語や詩人の歌のようにしか思えないだろう』ということなの」
肩をすくめて導師は言う。
「曰く、一夜にして町を作った。曰く、腕のひと振りで海を凍らせた。曰く、動物と話をして好きに操ることができた。曰く、竜巻を呼び出して砦を崩壊させた……」
サクレンは列挙した。オルフィは苦笑いを浮かべそうになるのをどうにかこらえた。
「こう聞いたらあなたは『作りごと』と思うわね。たいていの人間がそうでしょう。吟遊詩人や物語師だって本当にあったことだとは思わない」
「事実だ、と言うんですか?」
「さあ」
知らないわと導師は肩をすくめ、オルフィは戸惑った。
「でも……」
「実際にラバンネルがああしたのこうしたの、そんなことはどうでもいいの。いえ、重要な場合もあるけれど」
いまはいいのと彼女は言う。
「どんなとんでもない施術でもやってのけたと言われている……夢見がちなところの少ない魔術師たちの間でもそう信じられている魔術師、それが大導師ラバンネル」
「アバスターが、どんな物語も否定されないように」
「そういうことね。理解が早いじゃないの」
「カナトの言葉です」
つまらぬ見栄を張らずに彼は正直に言った。
「ラバンネルって魔術師がとんでもなくすごいってことは判りました。ほかには何かないですか」
「知りたいのは消息というようなことよね」
「そうです」
真剣にオルフィはうなずく。
「まさか、サクレン導師が知ってたりとか」
「生憎と」
サクレンは首を振った。
「ラバンネル術師の行方は杳として知れないの」
「……アバスターのように」
「それもカナトが?」
「ええ」
「不思議ね。ナイリアンで生まれ育った人間なら誰もが知る英雄アバスター。同じ時代に生き、アバスターとも懇意でありながら、魔術師にしか名を知られないラバンネル」
サクレンの視線が彼の左腕に向く。
(……これは、アバスターの籠手〈閃光〉アレスディアだって話だ)
(アバスターの所有物に強い力を込めたというのは、ふたりは親しかったんだろうか)
彼はラバンネルについて聞いたのは初めてだったが、彼が知らなかっただけで、どうやらアバスターに肩を並べるほどの人物のようだ。それほどの魔術師が世に知られていないというのは不思議なような、不遇なような感じがした。
(それにしてもいちばんの問題は)
(そんなすごい人たちの絡んだすごい品を)
(何で俺なんかがつけてるかってことだ)
オルフィに自分を卑下する癖はなかったが、こればかりは心が痛いと言ったところだった。
「あなたが見つけるのかもしれないわね」
「え?」
サクレンの言葉はそのとき脈絡なく聞こえ、オルフィは聞き返した。
「ラバンネル術師の個人的なことは何ひとつ知らないわ」
だがサクレンは特に言い直すことも説明することもなく、こう続けた。
「彼ほどの人物なら弟子を取ったことくらいあるかもしれないわよ」




