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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第2話 大導師の影 第1章

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09 大導師

 しばし、オルフィは沈黙した。

 カナトの言葉を頭のなかで繰り返して、何か間違っていないか確認した。

 だが、間違いようがない。少年の言葉は簡潔だった。

「ちょ……ちょっと待て」

「〈閃光〉アレスディアと言うそうです。銘があるんですね」

 少年は文字を指した。

「アレ……?」

「アレスディア。瞬時の光というような意味です」

 説明をして、カナトは続ける。

「三十年前の反乱が治まったあと、アバスターが王家に残したものだそうです。ああ、やはりそうですね。王家の宝として扱われていて」

「ま、待て。頼むから」

「あ、作り手について書いてありま……」

 そこで少年は絶句した。「待て」と言ったオルフィだが、黙られると何ごとかと気が焦る。

「どど、どうした?」

「――ラバンネル」

「な、なに?」

「魔術師ラバンネル。ああ、何てことだ!」

「な、何だよ、ど、どどどうしたのさ」

「ラバンネルというのは、ナイリアンの魔術師ならば誰でも知って……ああ、そう、ちょうど英雄アバスターのようなものです。物語のような伝承ばかりを残した、偉大な魔術師」

 何とも珍しく、カナトは興奮気味だった。

大導師(マナリクタ)ラバンネルですよ! 何てことだ、彼の品に触れることができるなんて!」

「マナ……何?」

 オルフィは目をぱちぱちとさせた。

「ああ、すみません。協会には大魔術師(ヴィント)という称号があるんですが、その資格を持っていなくてもそれに類する、或いはそれを超える魔力を持つとされる魔術師のことです。強大術師(マナファド)という言い方もあるんですけれど、これはまた少々違って、象徴的な表現でして」

 「マナリクタ」も「マナファド」も尋常でないほどずば抜けた魔力を持つ魔術師のことだが、後者が具体的な個人の冠になることはほとんどない。「マナファドのような力の持ち主誰それ」と表現にしかならないのに対して前者は「マナリクタ誰それ」と使うことがある。カナトは大雑把にそうした説明をした。

「はあ」

 と、オルフィとしてはそう言うしかなかった。違いがよく判らない。

「ラバンネル」

 興奮したカナトはオルフィの様子に気づかぬように繰り返す。

「何てことだ」

「アバスターに、ラバンネル」

 オルフィがラバンネルの名を耳にしたのはこれが初めてだった。だがカナトの様子を見れば、ただならぬ存在であるのだと判る。

『ちょうど英雄アバスターのような』

 少年の言葉が耳に蘇った。

(アバスターの、籠手)

 この左手にある美しい薄青色の籠手はアレスディアなどという立派な銘を持つばかりではない、かつて英雄アバスターとともにあったものだと言うのか。

「んな……」

 オルフィは声がかすれそうだった。

「俺、とんでもないこと、しちまった……」

 「ジョリスとの約束を破った」に、もはやいろいろと加わっている。「王子に嘘をついた」もそのひとつだが、「王家の宝にして英雄の籠手〈閃光〉を勝手に身につけている」――。

「かっ、カナト!」

「はいっ?」

「そのラバンネルってのはどこにいるんだ。早くその人のところに」

「残念ですけど」

 カナトはきゅっと眉をひそめた。

「ここもまたアバスターと同じで……三十年ほど前からその消息はぷつりと途絶えたままなんです」

「それじゃ」

 判らないのだ。どこにいるか。いや、生きているのかさえ。

「……ほかには、何か書いてあるか?」

「待って下さい。……いえ、生憎と」

 該当部分を読み終えてカナトは首を振った。

「アバスターの籠手であるということと、王家の宝であるということ、そして術をかけたのはラバンネルであるということ。書かれているのはこの三点だけです」

「あのおかしな力のことは?」

「何もありません。ラバンネル術師が力を込めたというだけで充分でもありますから」

「俺にはちっとも充分に感じられないんだが」

「アバスターの英雄譚に説明が要りますか?」

 魔術師は尋ねた。

「『英雄アバスターである』ということで、どれだけ突拍子もない物語であっても受け入れられる。大導師ラバンネルというのはそれに近いんです」

「つまり、ラバンネルが術をかけたという説明は、『何でもあり』だって言ってるってことか?」

「非常に平たく言えば、そうです」

 カナトは肩をすくめ、オルフィは頭を抱えた。

「英雄アバスターに、ナイリアン王家に、大導師ラバンネルだって?」

 本当に頭が痛くなりそうだった。

「いくら何でも、俺ごときには話が大きすぎるよ」


 ――と嘆いてみたところで状況が変わるでもない。

 カナトはすぐに、引き続きラバンネルについて調べてみると言った。「読む」ことについてはオルフィはどうにも役立たずだ。彼は、導師との約束が近くなってきたこともあって、図書室を離れると昨日訪れた階上の部屋へと向かった。

「あら、ひとりなの?」

 約束には少し早かったが、導師はオルフィを迎え入れ、どこか面白そうに言った。

「確かに『対象』さえあれば術の効き具合は判るけれど」

「カナトにはちょっと調べものをしてもらってるんです」

 教え子が師の指示通りにやってこない件についてオルフィは、カナトの意志ではなく自分の頼みだと言った。

「そう?」

 サクレンは片眉を上げた。

「何か私に、話があるようね」

「それは……」

「先にカナトの成果を見ましょうか」

 そう言うとサクレンは手を差し伸べた。オルフィは目をしばたたき、それから気づいて術の「対象」、つまり彼の左腕を見せるように伸ばした。

「術をかけたのはいつ?」

「半刻以上は前じゃないかな。一刻になるならず」

 図書室にいた時間がどれくらいか、よく判らなかった。だが本を探して積み上げるまでに結構かかっていたと思う。

「そう。一刻もかからずに崩れるようでは話にならないわね」

「えっ」

「『崩れていない』と言っているのよ、安心していいわ」

「あ、ども」

 何となく礼など言った。

「参るわねえ、あの子の優秀さには!」

 それからサクレンはくすっと笑った。

「私があの域に達したのは二十も半ばを回ってからよ。自分で言うのもどうかと思うけれど、私は若くて優秀だと言われていたのに」

 くすりとサクレンは笑い、それから真顔になった。

「カナトは優秀すぎるの。強い魔力を持つ者でも……いえ、そうした者だからこそ、若い頃というのは破天荒になりがちなんだけれど」

「破天荒?」

「ああ、言動のことではないわ。魔力のことよ」

 強い力を制御しきれず、飛び出し花火(クッチェフィアン)のようにあちこちへ跳ね飛ぶものだ、などとサクレンは言った。

「でもカナトにはそれがないの。まるで二十年や三十年も訓練を重ねてきた熟練のように安定しているわ」

 優秀すぎるの、とサクレンは繰り返した。


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