07 本当はどんな人物かなんて
「とにかく、術をかけてしまいませんか。そうそう何度もあることではないと思いますけれど、また食事処で絡まれたら厄介ですし」
「あ、ああ」
オルフィはうなずいた。
「じゃ……頼む」
「はい」
差し出されたオルフィの左腕を取ると、カナトは目を閉じ、手指を動かしながら口のなかで何かぶつぶつと唱えはじめた。
(もしカナトが一緒じゃなかったら)
(俺は魔術師協会になんてたぶん行かなかっただろう。となれば導師に術もかけてもらえなかった)
(王城に行く時間がずれればサレーヒ様や王子に会うこともなかったかもしれないけど、もし会ったとしたら、左腕を怪しまれて)
(ジョリス様から籠手を盗んだなんて思われたかもしれない)
投獄。死罪。そうしたことが思い浮かぶ。ジョリスが死んだいまとなっては、彼が〈白光の騎士〉から箱を預けられたなどという話を誰が信じる?
騎士がけちな盗賊に大事な箱を盗まれるという話だって信じがたいだろうが、出会ったばかりの見知らぬ若者に預けるだなんて、オルフィ当人だって思い返せば何かの間違いではと思うくらいだ。幼馴染みのリチェリンや父ウォルフットでもあればともかく、オルフィのことを全く知らない他人が信じるはずはない。
(これからどうしたらいいんだろう)
(王子が箱を……籠手を探しているなら、返すべきなんだろうけど)
(どうやって?)
正直に話さなかったのは彼の身の安全を考えれば正しかったと言えそうだ。だがいつまでも隠匿はできない。何とか外して、何とか返すしかないのだが。
(どうやって外せばいいんだ)
話はそこに戻る。サクレン導師でさえ、力ずくで外すことを躊躇うこの「呪い」。
「終わりました」
目を開けて、カナトは呟いた。
「効いてはいますが、導師の術よりかかりは弱く、継続時間も短いです。僕自身も気をつけますがオルフィも気をつけて」
「どうやって」
思わずオルフィは尋ねた。
「ええと、人と喧嘩をしないように……」
「まあ、普段から別に喧嘩っ早くはないつもりだからな」
いつも通りでいいってことかとオルフィが言えば、そうですねとカナトは苦笑した。
「でもさ、カナト」
「はい?」
「俺はずっと、君にこうやって頼る訳にはいかない」
「いいんですよ、僕はちっとも。解決するまでお手伝いします」
「有難いよ。でもさ」
ううん、と彼はうなった。
「『解決』って何だ? どの状態が解決?」
意地悪のつもりでもなく、彼はただ疑問に思っていることを口にした。
「やはり、籠手を外して……ジョリス様に返せないのであれば、サレーヒ様や王子殿下に返すこと、でしょうか」
「やっぱそんなところだよな。で、どうやって外す?」
それは最初からの問題とも言えた。
まずはジョリスに話す、ということばかりを優先し、解決方法を探すことは後回しにしていた。もしかしたらジョリスが何か知っているということも有り得たからだ。
だがもうその望みは絶たれた。
オルフィは自分の力で――カナトの力も借りて――籠手の「呪い」を解く方法を見つけなければならない。そして、運よく無事に外すことができたなら、それを可能な限り平穏に、王子なりサレーヒなりに返さなくてはならない。
「最悪、箱に入れて王城の前に置いてくるというようなこともできますから」
カナトは言った。
「それだっていささか危険は伴いますし、箱が王子殿下のところにまで行くかどうかは判りませんが、こちらの素性を隠したままでどうにかするのはそう難しいことじゃないです」
「問題は、その前段階か」
「そうですね」
少年魔術師は認めた。
「サクレン導師が、いくつか文献を当たってみると仰って下さいました。明日になったら僕もいろいろ調べてみます。オルフィもきますか?」
「調べるって、協会で?」
「はい、もちろん」
「ぶんけんって、本のことだっけ?」
「はい、必ずしも書物の形状を取っているとは限りませんけど」
「俺は本なんて読めないよ」
肩をすくめて彼は言った。
「数字や自分の名前なら読めるけど、そんなもんだ」
読み書きのできない人間は珍しくない。と言うより、できる方が珍しい。
田舎であれば店の看板すらない――住んでいればみんな知っているから必要ない――し、都会でも何を売っている店であるかは描かれている絵でだいたい判る。たいていの人間は自分の名前を書く機会もないまま一生を過ごすもので、オルフィのように名前が読めるとなればちょっとした自慢になるくらいだ。
だが彼自身としては、ちっともすごいとは思っていない。「文字が読める」などとは、リチェリンやカナトのように時間をかけてきちんと学んだ者だけが言えることだ。オルフィが自分の名前を読めるのだってリチェリンに教わったからである。
「調べものには役立てないな」
彼は頭をかいた。
「何かできることがあればいいんだけど」
いち早い「解決」のために。何しろ、自分のことなのだ。
「いいんですよ」
カナトは首を振った。
「これはもしかしたら、オルフィだけの問題じゃありません」
まるで彼の心を読んだかのように魔術師は言う。
「何だって?」
オルフィは目をしばたたいた。
「どういう意味だ?」
どう考えても彼の問題ではなかろうか。オルフィにはカナトの何を示唆したのか見当もつかなかった。
「僕の言うのは全くの想像です。何の根拠もありません。そうと判った上で聞いてもらいたいんですけど」
少年は前置いた。
「ジョリス様が持っていた箱。箱の在処を気にしているらしい王子殿下は、ずいぶんジョリス様を貶めるようなことを言っていたんですよね?」
「ああ。腹が立った」
むすっとオルフィは答えた。
「それは彼が黒騎士に敗れたからだけではなく……箱を持ち出したからでしょう」
「そう、らしいけど……」
「さっきも言いましたけれど、王子殿下の態度には納得がいく。彼は黒騎士との勝負以前の問題で、ジョリス様を〈白光の騎士〉らしからぬと判断している」
「あの人以上に〈白光の騎士〉に相応しい人間なんかいるもんか!」
思わずかっとなってオルフィは言った。カナトは首を振った。
「オルフィはそうして、ジョリス様に肩入れをしますけれど、本当はどんな人物かなんて判りませんよ」
「判るさ! カナトだって、会えば……」
言葉は途切れた。カナトがジョリスに会って話をすることは、もうない。
「――とにかく、ジョリス様っていうのは評判通りの人物なんだ。そりゃ、俺はものの五分も話したかどうかってところさ。でも、それで判ることだってあるんだ」
「すみません」
またしてもカナトは謝った。
「いや、俺こそ」
ごめん、とオルフィも謝罪の仕草をした。
「ただ僕は、王子殿下がまるでジョリス様の死よりも箱のことを気にかけていたように感じられまして……」
「それは、そうかもしれない」
思い出しながらオルフィは呟いた。
「そうだ。違和感を覚えたのはそれなんだ。問われたのはジョリス様とどんな話をしたかとか、箱を見なかったかっていうようなことで、黒騎士の件を話しても興味なさそうだった」
「王子殿下が……王城が気にかけているのは、箱の行方」
少年もまた呟くように言った。
「この想像が合っているとすれば、オルフィ、あなたはずいぶんと厄介なことになりますよ」
「言われなくても、もう既に十二分だよ」
若者は息を吐いた。
「本当にそう思っていますか? もしもあなたの腕にその籠手があると知られたら、王軍に追われることになりかねないんですよ」
「う」
捕まって死罪だの何だのということは考えてみたが、追われるという段階はあまり考えたことがなかった。オルフィは詰まる。
「……最悪、出頭するさ。カナトに迷惑はかけないよ」
「馬鹿を言わないで下さい」
少年はぴしゃりとやった。
「そういうことを言っているんじゃありません。ジョリス様がオルフィの言うように立派な人物なら、王子殿下の方が立派ではないということになります」
「ちょ、ちょっと待て」
「誰もいませんよ」
カナトは平然としたものだった。
「箱の中身、つまり籠手が彼らにとっていったい何なのか。もちろんただの籠手ではなく、ただの呪いの籠手でもない」
肩をすくめて魔術師は言った。
「ただの呪いの籠手、ねえ」
オルフィは口の端を上げた。
「協会の文献で何か判ればいいんですが」
「悪いな。頼むよ」
「はい。お任せを」
「ああ、そうだ」
若者ははたとなった。
「飯、まだだよな。店が閉まらない内に食っておこうぜ」
「はい」
カナトは嬉しそうにした。オルフィは片眉を上げた。
「そんなに、腹が減ってたのか?」
「あはは、それなりには空腹ですけど、そうじゃなくて」
少年は手を振った。
「オルフィが酷い状態から抜けたようなので、安心したんですよ」
「ははは」
年下に心配をかけるようでは情けない、と以前にも思ったことをまた思ったオルフィは乾いた笑いを浮かべたあと、「負けてるな」と天を仰いだ。




