06 信じられない
「それにしても、盗んだ? 許可なく持ち出していたというようなことでしょうか? でも何故」
「知るもんか」
「王家の宝を……」
繰り返して、カナトは首を振った。
「そうであれば、王子殿下の激高の理由もよく判りますね」
「怒ってた」
オルフィも繰り返した。
「〈白光の騎士〉ともあろう者が、って」
「本当にジョリス様が宝を無断で持ち出し、なおかつ噂の黒騎士に敗れたのであれば、そうした発言が出てしまうのもうなずけます」
「納得するなよ」
「王子殿下の立場で考えれば、ということですよ」
「本当かどうか、判らないのに」
思わずオルフィは言ったが、子供じみた反論であることは判っていた。
レヴラールがオルフィに本当のことを伝える理由はないかもしれない。だが、わざわざ嘘を――それも、こんな嘘をつく理由など、もっとない。
「亡くなったなんて、だって、まさか……」
「問題はそれだけではないでしょう」
静かにカナトは指摘したが、オルフィはむっとした。
「『だけ』って言い方はないだろ。大変な、ことだ」
ナイリアン一と謳われる剣士が咎人に後れを取るなんて。
(クソ、まさか)
(信じないぞ)
(……信じたくない)
少なくともジョリスの死は事実なのだろう。ルタイの砦がそんな誤報を送るはずもない。それとて信じたくない、認めたくないことであったが、王子がわざわざやってきてオルフィに虚偽を告げる理由などますますもってあるはずもないのだ。
装備品というような言い方をしていた。いまにして思えば、あれは遺品ということ。
「そう、ジョリス様が箱を持っていなかったこと」
「何ですって?」
「王子はそこにこだわってた。ジョリス様が……その」
死んだとき、などとは言いたくなかった。
「その、銀色の箱を持っていなかったから」
「オルフィが持っていますものね」
うなずいてから、カナトは片眉を上げた。
「ずいぶん上手に作用したんですね。さすがは導師だなあ」
「あん?」
「ですから。こうなると『箱』が、と言うよりその中身が『王家の宝』であると考えてほぼ間違いなさそうです」
「や、やっぱり、そう思うか?」
オルフィはすっかり血の気の引く思いだった。
「となると、王子殿下が『王家の宝』である箱の中身をご存知ないとは思えません」
「……そう、か」
レヴラールはオルフィの左腕のことをちっとも気にしなかった。箱の中身が籠手だと知っているなら――確かに、知っていそうだ――包帯の下を気にとめそうなものなのに。
「それに、第一、『箱』そのものを気にとめられなかったのは僥倖としか言えませんね」
中身だけではない、箱自体もオルフィが持っていた。サクレンに託すことを拒否し、斜めがけにして身体につけていた。王子に相対したときも、無論そのまま。
「俺が持ってるはずもないと思ったんだろ。預かったりしなかったかとか訊かれたけど……」
「えっ、何てお答えしたんです」
「俺が何か言うより先に、『平民ごとき』に渡すはずがないって自分で否定した」
「幸運でしたねえ」
感じ入ったようにカナトは息を吐いた。
「王子殿下があと数秒でも長く最初の考えをお持ちでしたら、僕はオルフィに再会できなかったかもしれません」
「それは、つまり、投獄されたりとか?」
あまり言いたくないことを言った。
「そうです」
少年は認めた。オルフィは乾いた笑いを浮かべた。
「箱にも術をかけた方がいいかもしれませんが……同じ術を多用すると、肝心の左腕にかけたものが薄れることにもなりかねない。籠手と包帯への術を確実にしておいた方がいいだろうと、僕は思いますが」
「カナトがそう思うんなら、そうしてくれ」
何も投げやりなのではない。魔術に関して何も知らないオルフィより魔術師たるカナトの判断の方が信頼できるに決まっているからだ。
「そう言えば、術の習得の方はどんなもんなんだ?」
「一朝一夕には、なかなか」
カナトは首を振った。
「大まかな形は学びましたが、導師のように完璧に施すには時間がかかりそうです」
すみませんと少年は言い、今度はいつものようにオルフィが謝るなと言った。
「もっとも導師は、あとは実践しかないと。試してみたいんですがいいですか」
「え?」
「もう、導師の術は切れています」
「あ、そうなんだ」
その差異はオルフィには判らない。彼自身には感じられないからだ。
「あんなふうにふらふらして……またおかしな人間に絡まれなくてよかったですよ」
「そうだな」
オルフィは嘆息した。
「衝撃的、すぎて」
「……判ります」
こくりとカナトはうなずく。
「僕だってとても驚いています。ましてや、実際に会って頼まれごとをしたオルフィは」
「ジョリス様が黒騎士に負けたなんて、とても信じられないよ。でも王子が嘘をつくことも、あるとは思えない」
彼は繰り返した。
「嘘ではないにしても、不正確という可能性はありますよ」
「何だって?」
「王子殿下は直接ご覧になった訳じゃないでしょう? 伝聞です。誰がジョリス様の死を見届けたのだとしても、戦って敗れたというのはやはり直接目にしていなければ判らないはず」
「誰かが、見てたんじゃないのか」
苦々しくオルフィは言った。
「黒騎士がどこかの子供をまた狙って……もし村の近くだったりしたら、剣戟の音に何ごとかと飛び出してきた村人だっていただろう」
「それは充分、有り得る話ですね」
でも、とカナトは言った。
「子供を助けようとして、不利な条件で戦われたのかも」
「有り得る」
オルフィはうなずいた。
「正面切って一対一で戦って、ジョリス様が負けるもんか」
彼のこの言葉も、根拠がないと言えばない。〈白光の騎士〉はナイリアン一の剣士だと言われているが、オルフィがその剣技を見たことはない。
しかし彼は信じていた。公正な条件であれば、ジョリスが敗れるはずがない。英雄アバスターが無敗であるのと同じように。
「もっとも」
カナトはちらりとオルフィを見た。
「『宝を盗んだ』ことと、どんな条件であっても『敗れた』ことに変わりはないかもしれませんが」
オルフィは黙った。
「……なあ、カナト」
「はい?」
「実は俺、夢を見たんだ」
「夢ですって?」
「ああ。昨夜のことさ。俺が騒いで、お前も目を覚ましただろ」
「ええ。嫌な夢を見たと言っていましたね。それが何か?」
「……ジョリス様が」
オルフィは唇を結んだ。夢の話であっても、言いたくない。
「黒騎士に敗れる、夢だったんだ」
嘆息ののち、どうにか彼は告げた。
「それは……」
「まさか昨夜、本当にそんなことがあった訳じゃないよな? いつだとかってことは、王子は言ってなかったけど。確かカナトは、悪夢は話せば散るって言ってただろ。まさか、まさかさ、俺が……言わなかったせいで」
「そんなことはないはずです」
カナトはオルフィの不安を一蹴した。
「夢で先視をすることは、稀にですが、予知の力を持つ魔術師以外にもあると言います」
考えるようにカナトは両腕を組んだ。
「ですが、予知という感じではありませんね。ルタイからどんな駿馬を飛ばしたところで、昨日今日の出来事が王城にまで伝わるとはちょっと考えにくいです」
最低でも丸二日はかかるはずだとカナトは言った。
「じゃあ、偶然?」
「オルフィがジョリス様を案じるあまり、眠りの神が悪戯をしたというのが普通の考えだと思います」
「そう、か」
「でも、オルフィ」
少年魔術師は若者を見た。
「どんな状況だったんですか?」
「え?」
「その夢です」
「どんなって……」
彼は思い出したくない光景を思い出した。
「夜の、街道みたいだった。俺が黒騎士に会ったときと同じで、近くには誰もいないように思えた。そこでふたりが剣を交えていて」
激しい攻防だったと感じられた。力は拮抗しているように思えた。だが不意にジョリスが大きく距離を取り、そのあとで。
最後まで説明できずにオルフィは口を閉ざした。カナトは結果を推測して、判りましたと答えた。
「やはり、オルフィの不安が映し出されたものに思えます。妙な心配はしなくていいですよ」
「でも、俺、もしかしたらと思うんだ。いや、俺が夢に見たからどうって言うんじゃなくて」
そっと彼は包帯を巻いた腕に触れた。
「――ジョリス様がこの籠手を身につけていたら、そんな、万一の事態なんて起きなかったんじゃないかって」
「……どうでしょう」
答えようのない疑問に、カナトはやはり答えられなかった。
「ジョリス様が籠手の力をご存知だったとしても、彼はそれを使わずにオルフィに預けて黒騎士探索を続けた訳でしょう。オルフィが『自分が持っている』ことに責任を感じる理由はないですよ」
若者の考えを読み取ってカナトは指摘した。




