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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第2話 大導師の影 第1章

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05 厄介ですね

 どこをどう歩いて、いま自分がどこにいるのか、ちっとも判らなかった。

 どうやって城内から出たのかもよく覚えていない。

『ジョリス・オードナーは』

『死んだ』

『黒騎士に敗れて』

『――死んだ』

 まさかとか、信じないとか、そんな反駁すらとっさに出てこなかった。あまりに衝撃的すぎて。

(ジョリス様が、亡くなった)

 王子が彼にそんな嘘をつく理由はない。レヴラール自身、強い憤りを――国一番の剣士であるはずの〈白光の騎士〉が敗れたことに対して――抱いているようだった。

『――殿下はあのように仰ったが』

『誰にも洩らすことの、ないように』

 あのあと〈赤銅の騎士〉サレーヒ・ネレストはオルフィにそう言った。

「私の権限で貴殿を捕らえておくこともできる。だが殿下がお許しになったのだ。そのような真似をする訳にはゆかぬな」

 灰色の髪をした騎士は言った。どこか苦い顔をしているようでもあった。

 だがオルフィは、他人の様子などに気を遣ってはいられなかった。

 〈白光の騎士〉が。

 ジョリス・オードナーが、死んだと。

「……だ」

「何」

「嘘、でしょう。ジョリス様が……」

「言うな」

 サレーヒは厳しく禁じた。

「レヴラール様が仰った言葉は全て忘れろ。もしもジョリス殿と黒騎士に関する不吉な噂が流れれば、アイーグ村のオルフィ、貴殿の仕業だと判るのだからな」

 騎士らしからぬ――忠義に篤いという意味では「らしい」のかもしれなかったが――脅しめいた言葉も、オルフィの心には届かなかった。

(ジョリス様が)

 それにどんな反応を返したのか、そもそも何らかの返事をしたのかさえ、オルフィはよく覚えていなかった。

 気づけば彼は城の敷地を出て、あてどもなく街をうろついていた。

 ナイリアンの第一王子が、ナイリアンの騎士が、オルフィのような「たかが平民」をそんな話で騙す必要などない。

 事実なのだ。

 ルタイの砦から、早馬が。

 黒騎士に敗れて。

 オルフィはその衝撃的な知らせで完全に頭と心をいっぱいにしていた。彼の立場、この状態においては大いに危惧しなければならないことがあると言うのに、それに気づくことのないまま、どこか知らない世界を歩いているかのようにふらふらと街をさまよった。

「――ちょっと、オルフィ! どこに行くんです、宿なら反対側ですよ!」

 咎めるような幼い声と、肩に置かれた手が、彼を久しぶりにナイリアールに引き戻した。

「え……」

 まるで深い眠りから無理矢理叩き起こされたかのように、オルフィはぼんやりと相手を見た。

「どうしたんですか?」

 少年は心配そうに問いかける。

「あの……まさか僕が判らないとか?」

「え……あ、いや……」

 オルフィは頭を振った。

「そんなこと、あるもんか。ごめん、ぼうっとしてた」

「様子が変ですよ」

 カナトは顔をしかめた。

「どこに行くつもりだったんです? 何かこっちに用事が?」

「いや、別に……」

 若者は弱々しくまた首を振った。

「〈樫時計〉亭でしたら、全く反対の街区です。宿に戻ったらオルフィがいなかったので探したんですけど、こんなところをうろついているなんて」

 広い首都だ。さまよい歩くオルフィに偶然出会う可能性はごく低いだろう。カナトは魔術を使ったに違いなかったが、いまのオルフィには、カナトがちょうど彼のところに現れたのが不思議だとか、魔術だろうとか、そんなことを考える余裕はなかった。

「ごめん……」

 彼にできたのはただ、探させたことへの謝罪を口にすることだけだった。

「謝る必要は、全然ないですけど」

 そう言ってからカナトは笑った。

「何だか逆ですね。いつもは僕が謝るのに」

 オルフィに何度も言われる内に「謝りすぎ」である自覚が出てきたと、少年は冗談めかしてそんなことを言った。だがオルフィは上手に笑うことができなかった。

「大丈夫……ですか?」

 カナトも笑みを消した。

「顔色もずいぶん悪いみたいです。とにかく宿に戻りませんか。話は……そのあとで」


 〈樫時計〉亭に戻るまで、オルフィは完全に無言だった。

 カナトを心配させたくないという気持ちはあったけれど、笑みを見せたり、嘘でも「大丈夫だ」と言ったりするだけの余裕はまだ出なかった。

 昼間だったナイリアールはいつしかすっかり日が暮れている。オルフィは何と四、五刻にも渡って街をさまよっていたことになった。

 タルーの死に覚えた衝撃とは、また違った。

 カルセン村で耳にした突然の悲報はもちろん彼を酷く驚かせ哀しませたが、彼はただ嘆くだけの立場にはなかった。カルセン村の住民ではないということも少しはあったけれど、タルーに感じていた恩は本物だ。それでも最も強かったのはやはり、リチェリンよりも動じる訳にはいかないという気持ち。

 彼女の前であったからこそ、オルフィは両足でしっかり立ち、ニクールから仕事を引き受けた。荷運びという自分の仕事がタルーの遺言を果たせる形となって、そのことが神父の弔いにもなると思った。

 痛みや哀しみをより深く感じることになる前に黒騎士と遭遇した、ということも大きかろう。

 呆然とする時間はなかった。

 だが、いまは。ジョリスのことは。

「……何てことだ」

 宿屋の一室でオルフィは、ぼそぼそとカナトに話を伝えた。

「本当、なんですか?」

「証拠がある訳じゃないけど……少なくとも俺はそう聞いた。そのことは嘘じゃない」

「オルフィが嘘をついていると言うんじゃありませんよ。でも、王子殿下がそんな……」

「王子殿下が俺を騙して何になるって?」

 彼は首を振った。

「サレーヒ様って〈赤銅の騎士〉も認めてた。はっきりとは言わなかったけど、誰にもこの話はするなと言われたんだ」

 違うのならば違うと言えばいいだけのこと。事実を隠そうとするのであればなおさら否定しそうなものだ。だが、騎士は嘘をつかず、ただ「誰にも言うな」と。

「えっ、僕に話してよかったんですか?」

 驚いたようにカナトは目を見開いた。

「カナトに話すことは言いふらすことと違うし、カナトだって言いふらさないだろ」

「もちろん、ですけど」

 少年は目をしばたたいた。このとき少年の脳裏に「どうしてその応用力をジョリス様との約束には使わなかったんですか」というような言葉が浮かんだとしても、彼はそれを口にはしなかった。

「そうしたことでしたら、導師にも言いません」

「……悪い」

「オルフィは何も悪くないでしょう」

 またしてもいつもの逆転で、カナトが首を振る。

「それにしても、厄介ですね」

「厄介?」

「そうでしょう。ジョリス様が亡くなったのであれば、誰に籠手のことを話せばいいんです?」

「あ……」

 若者は目を見開いた。

「忘れてた」

「ちょっと、オルフィ」

 それはないでしょうと少年は顔をしかめた。

「箱の……」

「はい?」

「殿下は、ジョリス様が『銀色の箱』を持っていたはずだって言ってた。俺は、知らないって言っちゃったけど」

「どうしてまた」

「だって、何だか腹が立ったんだ。いくら王子で偉いからって、ジョリス様を見下すような話しぶりでさ」

「実際、騎士よりも王子の方が偉いんですから仕方ないじゃありませんか」

「偉ければ他人を見下すのか?」

「……そう言われると、それは違いますね」

「王子の方が偉いことくらい俺だって判ってるさ。でもナイリアンの騎士っていうのは、国を守り人々に尊敬される、立派な地位だろ。〈白光の騎士〉はそのなかの最上位だ。身分が上だからってだけの理由で貶めるのはおかしいと思った」

「それは、おかしいです」

 カナトはうなずいた。

「となると、『身分が上だからというだけの理由』ではなかったのでは?」

「あ?」

 言われていることが判らなくて、オルフィは口を開けた。

「つまり、王子殿下はお怒りだったのではないですか?」

「怒ってたのは俺だよ。あ、いや……そう言えば」

 最後の方はレヴラールも腹を立てていたようだった。それはオルフィに対してではない。王子は「平民ごとき」のことなど何とも思っていない。非常に重要な話を洩らしてしまっても、全く気にしなかったように。

「確かに、怒ってた。その」

 これもまた、言うのを躊躇う話だった。

「ジョリス様が……王家の宝を盗んだ、なんて言ってた」

「何ですって?」

 カナトは口を開けた。

「王家の宝、まさか……」

「これ、だろうか」

 オルフィは左手を差し出した。

「可能性は十二分にあります」

 真剣にカナトはうなずいた。

「これが、王家の」

 オルフィはごくりと生唾を飲み込んだ。

 大層なものだとは感じていたが、まさか。


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