04 人違い
「少し休むといいだろう」
イゼフは穏やかに言った。
「メジーディス神殿には私から話をしておく。次の神父といった話はまだ考えづらかろう」
「そんな、ご迷惑をおかけする訳には」
慌てて彼女は手を振った。
「義務や使命に一心不乱となることは、喪失の痛みを一時的に後ろに追いやるだけで癒やすものではない」
神官は神女見習いの言葉を遮った。
「忙しく立ち働くことで突然の哀しみに埋没せずに済むこともまた確かではある。それが望みか?」
「……喪失の痛みは、これからやってくると思います」
少し考えて、リチェリンは答えた。
「そして、それを避けようとは思っていません。私にとってこの出来事は、家族を亡くしたにも等しい衝撃です。その痛みは逃れられるものではないし、逃れようとも思いません」
哀しく苦しい、長い時間があるだろう。自然死ではないだけに、何故あの人が、という疑問や憤りもなかなか消えないだろう。だがそれを全て受け止め受け入れると、神女見習いは思うままを口にした。
「ですから、哀しみを振り払うために立ち働くことはしません。いまはただ、タルー神父様のため、一日も早い正しき祈りを」
「一日二日遅れたところで、死者は文句を言わぬ」
と、やってきたのはコズディム神官らしからぬ言葉だった。リチェリンは口を開けた。
「ナイリアールへ着いた足でここへやってきたようだな?」
「は、はい」
それほど大きなものではないとは言え、旅の荷物を背負ったままでやってきたのだ。見れば判るだろう。それに自分は薄汚れてもいる、と気づくとリチェリンはまた赤くなりそうだった。
「宿を取り、休むといい。メジーディス神殿からは今日中に返事をもらえるよう手はずを整えておこう。明日、またここへきなさい」
そうしてイゼフは、神殿の近くにある、清潔であまり高級すぎない宿を教えてくれた。巡礼者を安く泊める宿もあるとのことで、聖印を見せて見習いだと言えば便宜を図ってくれるはずだとのことだった。
「見習いならばムーン・ルー神殿でも宿泊できるだろうが、あまり気は休まらぬであろう」
神官はそんなこともつけ加えた。確かに、必要以上の緊張をしてしまいそうだ。何だか見透かされているようでリチェリンはまた顔を赤くした。
「何から何まで……申し訳ありません。有難うございました」
少々神官らしくない――むしろ学者めいている、とでも言おうか――雰囲気もあるが、イゼフに出会えたことは幸運だったとリチェリンは感じた。ほかの神官であったなら、すぐさま葬儀を執り行う人物を手配してくれたかもしれないが、メジーディス神殿に礼儀を欠いているとの指摘はもらえなかったかもしれないからだ。
(一日二日遅れても死者は文句を言わない、だなんて)
(コズディム神官様のお言葉だと思えば驚きだけれど……もしかしたら)
(タルー神父様だって、そんなふうに仰るかもしれない)
死者を悼むことも大事だが、生者の方が、より大事である。葬儀のような儀式は死者のためと言うより生者のためだと、タルーがかつてそんなことを言っていたのを思い出した。
(イゼフ神官は、私を心配して下さったんだわ)
南西部から旅してきた、薄汚れた娘。神官は彼女を邪険に扱わなかったどころか、彼女が成すべきである仕事を手伝ってくれて、宿も紹介してくれた。
リチェリンはイゼフに何度も礼を言い、明日の約束をして分かれた。
とりあえず――これで、今日の「任務」はおしまいだ。
そう思うとほうっとため息のようなものが洩れ、身体の力が抜けた。
(宿、そうだわ、宿を取らなくちゃ)
(それから……)
明日のことについて考えながらコズディム神殿を出た彼女は、そこで誰かとぶつかりそうになった。
「あっ、ごめんなさい!」
明らかに悪かったのは自分だった。周囲をちっとも見ることなく、ぼんやり考えごとにふけりながら急に外に出たからだ。
相手とぶつかることがなかったのは、向こうが素早く気づいてさっと避けたからにほかならない。
視線を上げて、リチェリンははっとした。
「オルフィ?」
口をついて出たのは幼馴染みの名前だったが――。
「あ、ご、ごめんなさい。人違いです」
それは年齢こそオルフィと――彼女とも変わらないくらいの若者だったが、顔立ちが似通っているとは別に感じられなかった。腰に佩いた剣や革の鎧と言い、身につけているものもオルフィとは似ても似つかない。
強いて何か近いところを言うならば髪の長さくらいだったろうか。だがオルフィはいつもひとつに結わえており、こちらの人物は下ろしている。だいたいオルフィの髪は黒く、この人物は――。
(きれいな銀髪)
(白銀と言うのかしら)
娘の謝罪に、しかし銀髪の男は何の反応も返さなかった。いや、薄茶色の目で、ただじろりと睨んだ。それはいかにも苛立たしげな様子であり、まるで彼女を憎むかのような強さを持つ目線だった。
(何? この人……)
(怖い)
リチェリンはもう一度謝罪すると大きく道を開けた。青年は一言も発することなく、彼女と入れ換わるようにコズディム神殿へと入っていった。
「ああ、びっくりした」
そっとリチェリンは呟いた。
「どうしてオルフィだと思ったりしたのかしら」
ちっとも似ていない。
なのにどうして幼馴染みと間違えかけたりしたものか。
(剣を佩いて……すらっとしていて……)
(もしかしたらジョリス様だとか、騎士様たちというのはああした感じなのかしら)
リチェリンはあまり〈白光の騎士〉の容貌を想像してみたことなかったが、いまの若者が十年くらい成長すれば、〈白光〉の銘に相応しいかどうかはともかくとして、ナイリアンの騎士の座は似合いそうに思えた。
(もちろん、似合う似合わないで済むことではないけれど)
(……それでも、似合わないよりは似合う方がいいわよね)
(怖いところもあったけれど、ちょっとだけ、格好よかったわ)
あれがたとえば悪党を睨む目であったなら、ナイリアンの騎士のように立派に見えたに違いない。そんなことを思った。
(嫌だ、私ったら、何を不謹慎なことを考えているの!)
だがそこで神女見習いははっとして、ぶんぶんと首を振った。
(宿を取って身体をきれいにして、今日は早く休みましょう)
(明日になればメジーディス神殿かコズディム神殿か、どちらかから神官様がご一緒して下さるということになるはずだもの)
(決まったらすぐにでも戻れるように、休んでおかないと)
カルセン村の娘は真剣にそう考えて街への道を採った。
その前にもう一度だけ、神殿の入り口を振り返る。
白銀髪の剣士の姿は、もう見えなかった。




