03 コズディム神殿
コズディム神殿はほかの七神殿よりも静謐な感じがする――と言う者は多い。
やはり死者を弔う役割を持った神殿は、何らかの加護を願う人々が訪れる他神殿よりも、言うなれば「湿っぽい」のだ。
リチェリンは八大神殿をみんな回った訳ではなかったから、比較してそんなふうに考えることはなかった。もとより、大きな神殿にひとりでやってきたのは初めてだ。旅路より、首都を歩くことより、彼女は緊張していた。
入ってすぐにある祈りの間では、街びとたちが設置された椅子に腰かけたり、祭壇にひざまずいたりしている。神官が数名、祈りの言葉を唱えながら通路を行ったりきたりしている。
(ど、どうしよう)
(声をかけて、いいものかしら)
数年前、タルーと一緒に町の神殿へ行ったときのことを思い出そうとした。
(確か……広間の隅で、神官様のお邪魔にならないよう、お待ちしていたような)
彼女は入り口から部屋の片隅に移動すると、しばらく神官たちの様子を見ていた。だが生憎と彼らは彼女に気づかないと見え、リチェリンはしばらく、ただぼうっと立っていることになった。
(……いつまで待っていればいいのかしら)
(やっぱりこちらから声を――)
「どうかなされたか」
「きゃっ」
思いもかけずすぐ横から声がかかって、リチェリンは声を上げそうになった。慌てて両手を口に当てる。
見れば、左の壁に扉があった。声の主はそこから出てきたようだった。何も扉は隠されている訳ではないだろうが、壁と同じ紋様が描かれ、判りにくいようにはなっていた。
「祈りにいらしたのではない様子だが」
そう言って彼女を眺めたのは、タルーほどの年齢の神官だ。長い白髪と緑色の目が印象的だった。
「はい、実は……お願いがあって、南西部のカルセン村から参りました」
「カルセン村」
神官は繰り返した。村の名を知っているのかどうか、その反復からは何とも取れなかった。
「死者の弔いか?」
「――はい」
彼女はこくりとうなずいた。
「では、あちらの神官に相談を」
「あ、あの」
リチェリンは失礼を承知で相手の言葉を遮った。
「すみません。それだけじゃないんです。話を聞いていただけませんか」
思わずそんなことを口走っていたのは、この神官がただの神官ではないと感じ取ったからだ。
それはしかし、神官長だの神殿長だのという地位のことではない。地位を持つ神官は必ず記章を着けているが、この神官にはそれがない。そうした意味ではほかでもない、「ただの一神官」だ。
だが何か、違う気がした。
それはただ、年齢が上だというだけだったかもしれない。若い神官より年を取った神官の方が頼りになると感じられるように。
「……祈りの広間で行き合ったも、神の導き」
神官は神官らしいことを言った。
「話をお聞きしよう。――こちらへ」
年嵩の神官に連れられて彼女はコズディム神殿の奥へと進んだ。
大きな街の神殿ともなれば、相談者の数も多い。いくつもの部屋で、おそらくは哀しみに満ちた相談が成されていることと思われた。
男は一室の前で足をとめると、かけられている札をひっくり返してから部屋のなかに入った。成程、そうすることでこの部屋が使われていることを示しておくのだな、とリチェリンは納得した。
「かけなさい」
「はい」
促されてリチェリンは素直に従った。
「私は、カルセン村のリチェリンと申します」
「私はイゼフと言う」
彼女が名乗れば、神官も名乗り返した。
(「イゼフ」)
リチェリンははっとした。
(確か……寓話「許しを求める男」の名がイゼフだったはず)
罪を犯したイゼフは、どうか許してほしいと神界七大神それぞれに懇願する。神々は彼に明瞭な答えを寄越さず、イゼフはひたすらさまよい続けるという、それは解釈の難しい寓話だ。
神官に相応しい名であるような、逆に、そうではないような。
(偶然かしら?)
罪を犯し、神に許されぬままの男の名など、あまり子供につけたいとは思わないだろう。親やその周辺が寓話の存在を知らなかっただろうか、などとリチェリンはそっと思った。
「イゼフ神官」
もっとも、尋ねるようなことでもない。リチェリンは神官に目線を合わせると、早速本題に入った。
「成程。斯様な事情か」
話を聞くと、イゼフはひとつうなずいた。
「どうか、タルー神父様に正しき弔いをお願いいたします」
「メジーディス神殿には?」
「まだです」
「ではそちらに行くがよい。御魂送りの祈りは何もコズディム神官にのみ許されたものではないからな」
「あ……」
死者への祈りならばコズディム神殿だとやってきたものの、タルーはメジーディスに仕える者だった。神殿は分け隔てをしないが、この場合は先にメジーディスに声をかけるのが筋であるとイゼフは言ったようだった。リチェリンは少し頬を熱くした。
「恥じ入ることはない。弔いならばコズディムと考えるのは当然故」
「でも私は、神女見習いなんです」
考えが足りなかったとリチェリンはうつむいた。
「お時間を……取らせてしまって申し訳ありませんでした」
「いや、神女見習いだからと言って、養い親の死に動じぬ訳にはゆくまい」
その言葉にリチェリンは驚いた。タルーのことは村の神父としか話していないのに。
「違ったか?」
「い、いえ、そのようなものでした」
「驚くことではない。南西部の小さな村で神父のもとに見習いがいるとなれば、考えられることは少ない故」
面倒を見られていた孤児であるのだろうと、イゼフははっきりとは言わなかったが、そう推測したようだった。実際には少々違うものの、ここで彼女自身の身の上を詳細に伝えるのもおかしな話だ。リチェリンはただ小さくうなずいた。




