02 自称紳士
(ええと、神殿神殿)
彼女は地図を片手に、実に無防備にきょろきょろしていた。ろくな観察力のない人間が見たところで、首都が初めての田舎者だと判っただろう。
(あっ、あれかしら)
建物と建物の間に、白い壁が見えた。首都は初めてだが、ほかの町で神殿を訪れたことはある。真白い壁は印象的でよく覚えていた。
すたすたと彼女は目指す方角に進んだ。
(あれだわ!)
コズディムの印章が見えた。リチェリンは足早になった。
「――お嬢さん、そんなに急いでどちらへ?」
街なかでもあれば昼間でもある、とフードをもう外していたためだろうか。にこやかに声がかかった。素直にもリチェリンは足をとめてしまう。
「向こうの、コズディム神殿です」
そして素直に答えもした。
「何と。若くてきれいなお嬢さんが、昼間っからそんな辛気くさい」
「しん……」
リチェリンは目をぱちくりとさせた。聖なる神殿を辛気くさいなどと考えたことはなかったからだ。
「そんな場所へ行くより、私と一緒にナイリアールを散歩と洒落込まないか?」
「はあ……?」
何を言われているのか、意味がよく判らなかった。彼女が男に誘われ得る年代になったとき、周りはみなリチェリンが神女見習いだと知っていた。となればおかしな声をかけるようなことはなく、従って彼女は誘いを断ることも無視することも知らなかった。
「見たところ、ナイリアールは初めてのようだ。案内をしようじゃないか。もっとも」
男は肩をすくめた。
「私もあまり詳しくはないんだが、慣れない同士、ともに歩むも一興」
「あの、慣れない同士がともに歩んだら、一緒に迷ってしまうのでは?」
控えめにリチェリンは――そうとは知らないながら、オルフィが出会った男に対して、彼の連れカナトと同じような指摘を――口にした。
「ならば大いに迷おうではないか。苦楽をともにすることで人は親しくもなれる」
さっと男は手を差し出した。リチェリンはじーとそれを見つめた。
「あの」
それから改めて、彼女は男と視線を合わせる。
「申し訳ありませんが、私は神殿に行かなければならないんです」
「美しいお嬢さん、お名前は?」
男は彼女の言葉を全く聞いていないかのようだった。
「あ、私は」
よくも悪くも田舎者の素直さで彼女は答えようとした。
「おっと、先に名乗るのが紳士というものだな」
片手を上げ、ぴたりと顔の前でとめると自称紳士は笑みを浮かべた。
「私はラス、またはラスピーと呼ばれている。好きに呼んでくれたまえ」
「は、はあ……」
「そしてお嬢さん、君は?」
「リチェリンです」
「何と可愛らしい! 君にぴったりの名だ」
「はあ……有難うございます」
目をぱちぱちとさせながら彼女は礼など言った。
「さてリチェリン嬢。ナイリアールの水路についてはご存知かな? あちこちで川のように流れている水路は、計画性を持って整えられたものなんだそうだ。水辺の散策は如何だろうか?」
「あの、私、本当に用事があるので」
何となくすまなく思って――そんな必要はないのだが――控えめにリチェリンは言った。
「余程、大事な用があると見える」
繰り返される言葉に、男は嘆息した。
「ええ」
相手をしなければいいのに、彼女は丁寧に返答をした。
「とても、大切な用事が」
「では致し方ない」
肩をすくめて男は首を振った。
「リチェリン嬢、またの機会に」
そう言うと男は二本指を自らの唇に当て、すっと離して彼女にキスを投げると同時に、片目までつむった。
神女見習いは、目にごみが入ったほどの勢いでまばたきを繰り返すしかなかった。
(な、何なのかしら、いったい?)
男は手まで振って彼女を見送っている。この段になってようやくリチェリンも、話につき合うべきではなかったのではと思いはじめた。
(とにかく、早く神殿に行こう)
(……こんなときにはどのような対応が相応しいのか、神官様にお聞きしてみるのもいいかもしれないわ)




