01 私しかいないのだから
ナイリアン国が首都ナイリアール。
彼女がこの都市を訪れたのは初めてだった。
何度目かの訪問となる彼女の幼馴染みでも、首都にくれば物珍しげにきょろきょろ辺りを見回す。となれば初訪問のリチェリンがそんなふうにしていても当然のことだった。
(すごいわ……何て広い)
(それに、何てたくさんの人!)
カルセン村中の人間が集まったって、この大通りを行き交う人数より少ないだろう。神女見習いの娘は目眩がしそうだった。
(ああ、リチェリン! しっかりなさい!)
彼女は自分を叱咤した。
(自分から進んで引き受けたのよ。この役目を果たすのは、私しかいないのだから)
(……でも)
(できたらオルフィが、いてくれたらよかったけれど)
ふっと心が弱くなった。だが彼女はそこでぶんぶんと首を振る。
(甘えないのよ、リチェリン。オルフィはオルフィで、きちんと仕事をしているんだから)
幼馴染みの若者は、非常に頼りになる。子供の頃は泣きべそをかいていたのが嘘のようだ。
姉代わりとしてオルフィの手本になるよう頑張ってきた身としては、つい偉そうなことばかり言ってしまうものの、彼はもう立派に一人前だ。自分で仕事を見つけ、日々稼ぎながら生活をしている。
一方で自分はと言えば、二十歳になっても神女「見習い」だ。
もっともそれは彼女自身が選んだことでもある。
タルーはリチェリンに、大きな街の神殿で学ぶことを勧めた。その方が早く、そして確実に神女になることができるからだ。
だがリチェリンは断った。タルーのところで神父の手伝いをしながら学びたかった。神父は、それは彼女の雑用を増やし、勉学の時間を減らすことだと危惧したが、リチェリンは「実地での勉強」だと主張してタルーを手伝い続けた。
そのことに後悔はない。カルセン村で、タルーの隣でなければ学べなかったことはたくさんある。
しかしその道は突然、絶たれた。
タルーとて高齢であったから、いつかはこうした日がくるものと思っていたけれど、こんなふうに何の前触れもなく神父が死んでしまうとは思ってもみなかった。
この先、自分はどうするべきか。
まだそのことは、考えられていない。
(さあ、いまは、大切な用事を済ませなくっちゃ)
彼女は顔を上げた。
(ええと、こっちでいいのよね)
カルセン村で、ナイリアールを訪れたことのある者などいない。オルフィがいればきっと知っているのにと思いながら、リチェリンは砦の兵士に描いてもらった曖昧な地図を広げた。
(街のなかで地図が必要だなんて)
驚きのほかに、半ば呆れた気持ちもあった。
(「首都には何でもある」っていうのは大げさじゃないのね、きっと)
もっとも、いま彼女が求めているのはどんな稀少な品でもなければ秘密の呪文でもない。
彼女の用事は、冥界の主神たるコズディムの神殿にある。
ナイリアールには八大神殿が全て揃っていた。創る者フィディアル、裁き手ラ・ザイン、母なるムーン・ルー、知識のメジーディス、幸運のヘルサラク、恋のピルア・ルー、壊す者ナズクーファ、これらは七大神と言われる神界の神々であり、それに冥界の主神コズディムが加わって八大神殿となる。
リチェリンはムーン・ルーに仕えるべく勉強をしているが、タルーはメジーディスの神父であった。もっとも、神殿で神と人々に奉仕をする神官と、小さな村で「村人が神に求めること全般」をこなす神父というのは似て非なる存在だ。端的に言うのであれば、神官の方が「偉い」。神父というのは神殿もない場所に「追いやられる」存在だという向きもあった。たとえば神官から神父になるというのは、左遷に近い。
なかには最初から神父を志す者もいる。神殿も持たぬ気の毒な者たちを啓蒙しようという考えからでもあれば、神殿で仕えることはまるで神殿長や神官長のために働くことのようだと感じて教会を目指すような。
タルーがどうであったのか、リチェリンは知らない。左遷云々という話もタルーからではなくほかの大人から聞いた。だがどうであろうとかまわなかった。タルーは彼女の恩人で、師である。父のようにさえ、思っていた。
(神父様)
思い出せば胸が苦しくなった。
(早く、きちんとした弔いをしていただかなくては)
リチェリンが馬車を乗り継いでナイリアールまでやってきたのは、そのためだった。
神父が死ねば、村には神の儀式を行える者がいない。
新たな神父ということになるかどうかはさておき、とにかく誰か、祈ることのできる人物にカルセン村へきてもらい、まずは正式な弔いを済ませなければならない。
そうした依頼をするのにどうすべきか、きちんと知っている者はいなかった。相談の末、とにかくコズディム神殿に聞いてみるしかないということになり、リチェリンが名乗りを上げた。
若い娘をひとりでやる訳にはいかないという意見もあったが、若い男と連れ立つのも別の問題があったし、年嵩の男たちは賊が近くをうろついているかもしれないいま、自分の家族から離れたくなかった。相談の末、巡回にやってきた砦の兵士に近くの町までついていってもらい、その先は人数の多い乗合馬車を利用すればいいだろうということに落ち着いた。安全だとはとても言えないが、そのときの彼らにはそれ以上他人を気遣う余裕がなかったのだとも言える。
リチェリン自身、過信はせず、気をつけるべきところはきちんと気をつけて旅をした。若い女であると判りにくいようにマントについたフードを深くかぶったり、聖印を表に見せるようにもした。
タルーが賊に殺されたことを思えば、聖印を身につけているから安心だとはとても言えなかったが、ないよりはずっといいはずだ。
幸い、途上では何もなく、リチェリンは無事にナイリアールへとたどり着いた。オルフィもきているはずだというのは砦の兵士から聞いていたが、この大きな首都で偶然巡り会うことは難しいだろう。正直なところを言えば会えるのではないかと思っていたのだが、街の広さに気づいて無理そうだと悟ったのだ。




