13 少しずつ(完)
「あんまり待たせたら、駄目ですよ」というのが、小屋の外で待っていた少年の第一声だった。
「あ?」
「ですから」
カナトは澄まし顔で続ける。
「ここだけの話ですが」
「……うん」
何がくるかと思ってオルフィは目をしばたたいた。
「かの英雄アバスターは、幼なじみの女性を待たせ続けた結果として、別の男にかっさらわれたのだとか」
澄ましてカナトは言い、オルフィはぶっと吹き出した。
「ま、まじか」
「さあ、どうでしょう。噂です」
とぼけてミュロンの弟子は言った。
「少なくともお師匠が『息子夫婦』と言うのは本当の息子じゃなくて、息子同然ということですけどね」
「まあ、そんなことは言ってたような」
英雄アバスターは幼なじみに振られ、その相棒の大導師は性別すらない人外と恋をしたという話は――何と言うか、英雄譚の雰囲気には欠けるが、ミュロンとウォルフットの昔話としてその息子や弟子たちだけが知る、ちょっとした秘密だ。
「ともあれ、幸いと言いますか、この村には神子に手を出そうなんて男がいるはずもないですが、それで油断してあんまり遅くなったら、本当に、駄目ですからね」
一語一句区切って、カナトは説教するように言った。
「あー、何だ、その」
彼は頭をかいた。
「……はい」
「よろしい」
にこっと村の守護神は笑った。
「さて。じゃ、行きましょうか」
「ああ。……って、おいっ」
思わず返事をしてからオルフィは叫んだ。
「やっぱり、さっきのはそういう意味か!」
「はい」
爽やかに少年はうなずく。
「魔術師がいたら助かるって、オルフィも言ったじゃないですか」
「そりゃ言ったがな。お前はここにいるべきだろうが」
「たまに留守にするくらい、ありますよ」
「だいたいお前、三日後に、祭り」
「別に僕なんかいなくてもいいんです。リチェリンさんがちゃんとしてくれてますし」
「おいおい。そりゃないだろう」
「このお祭りは村の人たちの娯楽で、湖神を祀るものでもないんで、本当に、別にいなくてもいいんです」
さらりとエク=ヴーは説明した。
「リチェリンさんは守護符を持ってますから、何かあればすぐ判ります。そのときは、それこそ飛んで戻りますよ」
「何かあってからじゃ遅いだろうが」
「何があるって言うんです?」
カナトはちっとも引く気配がなかった。
「それに、何かあってからじゃ遅いのは、オルフィだって同じですよね」
「そ、それとこれとは」
「違わないです。現状、畔の村は平穏そのもの。オルフィの方は進んで、探してまで、危険に突っ込んでいこうとしてる」
「だから、それは俺が決めたことで、別にカナトには関係」
「ないとは言わせません。というようなことは、一年ほど前、オルフィが僕に言ったんですけど?」
「あのときとは、状況が……」
反論を試みようとした彼だが、どうにも負け気味であることは認めざるを得なかった。
「まずは橋上市場ですね。久しぶりだ。楽しみだなあ」
「あー、はいはい」
どうしてもついてくると決められたら、オルフィにはどうしようもない。飛んで行かれるのがどうしようもなかったのと同じだ。
(実際、助かるが)
(……いいのかねえ、また湖神を連れ出しちまって)
(うーん。定期的に帰すとか、すれば、いいかな)
と、そう思ったオルフィの内にあったのは「湖神であり崇められるべき存在だから」と言うより、「十四歳の少年を連れ回すなら、たまには故郷に帰さないと」という気持ちであった。
「何してるんです。バジャサさんを待たせてるんでしょう。少しでも早い方が、彼も安心しますよ」
「わあったわあった! 急かすなって。判ったから」
彼は苦笑いをした。
「バジャサを引き合いに出さなくても、判ったからさ」
その了承の言葉に、カナトは嬉しそうに笑った。
ほどなく――少しずつ、噂になった。
それはまるで、往年の英雄アバスターのようだと。
山賊や魔物から救ってくれた、というのが筆頭だったが、それはやはり目を引く行為と言えたからだろう。
その話が首都のような人の多いところで話題になると、それは馬車の車軸がおかしくなって街道で立ち往生していたのを直してくれた若者じゃないかとか、子供に熱さましの薬草を持ってきてくれた子じゃないかとか、生死も判らなかった親友を探して手紙を届けてくれた人じゃないかとか、そんな声が上がった。
もちろん、一箇所で一度に上がったのではない。上がらなかったこともあった。
だが少しずつ、少しずつ。
若い剣士。名前も名乗らぬその剣士の特徴は、二本の剣と青い籠手。
アバスターと違うことには傍らに魔術師の姿があることだ、と言う者がいた。するとよく知る者が、いや、アバスターにも協力者の魔術師がいたのだと話した。
ひとりの剣士とひとりの魔術師がかつて人々に歓迎されたのは、彼らが騎士のような素晴らしい活躍ばかりをしたからではない。「裏切りの騎士」討伐の一幕さえ、数ある伝説のひとつに過ぎない。
人々は彼らの存在を伝聞ばかりでなく知っていた。
地に足を着け、国中を旅して、人々と語り合った。その姿を知っていたから。
青い籠手の剣士とその相棒の魔術師のことは、やがてナイリアンの騎士と同じように、子供たちの新たな憧れとなるかもしれない。
「アバスターの継承者」
―了―




