09 赤銅の騎士
「サッ、サレーヒ様」
名前は聞いたことがあった。いまは亡き青銀位のハサレック・ディアに次ぐ力を持つと言われている最年長の騎士。オルフィは慌てて一歩退くと頭を下げた。
「そのように畏まらずともよい。騎士など大して偉くはないのだから」
ジョリスと同じようなことを言ってサレーヒは笑った。
「違う、と言うのは?」
「は、はい。実は、その」
何と言ったらいいのか。オルフィは考えを巡らせた。
「ジョリス様に、その、人探しをたの、頼まれまして」
「人探し?」
「は、はい。その、うちの近くの村にいらっしゃる神父様だったんですけど、その、亡くなって……」
ナイリアンの騎士を騙すなど考えられなかった。かと言って、籠手の話もしていいものかどうか判らない。結果としてオルフィは、完全に嘘ではないもののいささかの脚色を交え、主軸ではない話をした。
「左様か。ではジョリス殿にその話を伝えればよいか」
「あっ、その、直接。直接お会いして、お話ししないとならないことが」
焦って彼が言えば、兵士はサレーヒに見えないところで胡乱そうな顔つきをした。「ジョリス様にお会いしたくて出鱈目を言っているんじゃないか」とでも疑っているのだろう。
「ふむ」
サレーヒはどう思うのか、あごに手を当てた。
「私が貴殿の話を聞いておくというのでは?」
「え……でも……」
オルフィは躊躇った。
騎士を疑う理由はない。だが問題がないという確証もない。
「サレーヒ様」
兵士がオルフィを見ながらこっそり騎士に耳打ちした。オルフィは頬が熱くなった。彼の方は疑われる理由がいくらでもある。
「ふむ」
騎士はもう一度オルフィに視線を向けると、上から下まで眺めるようにした。
「名は?」
「オ、オルフィです。アイーグ村の、オルフィ」
「オルフィ。その話というのはジョリス殿にしか話せない内容なのか?」
「……はい」
こくりと彼はうなずいた。兵士は呆れたような顔をした。
「滞在している宿は? ジョリス殿が戻ったら連絡をやってもいい」
「ほ、本当ですか!」
「もちろん、彼がその話に聞き覚えがあったらということになるが」
「有難うございます!〈樫時計〉亭です、お願いします!」
〈赤銅の騎士〉は「つまらぬ嘘などすぐ知れるぞ」と軽い警告をしたのであったが、オルフィは舞い上がって礼を言った。サレーヒは苦笑を浮かべた。
「だがオルフィ」
それから騎士は笑みを消した。
「ジョリス殿のお戻りはいつになるか判らない。こういうことはあまりないのだが……」
「そんなに長くはかからないと思います」
「何?」
若者の言葉に年嵩の騎士は片眉を上げた。
「何故、そう思う?」
「それは、その」
「――人が集まってきたな」
〈白光の騎士〉ほど高名ではないとは言え、ナイリアールではサレーヒの顔を知る者も多い。騎士様がおいでだ、と見物人が出はじめていた。
「オルフィ、こっちへ」
「え、あ、はいっ」
戸惑いながらもオルフィはサレーヒに招かれて見張りの兵士の脇を抜けた。兵士は不満そうな顔をしていた。
もっともオルフィは、それに勝ち誇る余裕などはなかった。せいぜい、少し城壁の内側へ入るだけかと思ったのに、サレーヒはどんどん先へ進んでいくからだ。
「あ、あの、サレーヒ様」
「うん?」
「どこまで、行くんですか」
「忙しいのか? 時間がないのか」
「い、いえ、そんなことは」
ちっとも、とオルフィはもごもごと言った。
彼には実際、時間があったが、ナイリアンの騎士にそう尋ねられて「忙しいので手短に」と答えられるナイリアンの人間もいないだろう。
「何もジョリス殿にしか言えぬ話を無理に聞き出そうなどとは思っておらぬ。ただ、貴殿がいつどこで彼に出会ったのか、そうしたことも少々尋ねたい故な」
「はあ」
いつ。五、六日前の日中。
どこで。〈ウィランの四つ辻〉で。
答えには大して時間がかからないと思うのだが。
「オルフィ」
「はい」
「ジョリス殿は……いや」
前を向いたままでサレーヒは首を振った。
「よそう」
「は……」
〈赤銅の騎士〉が何を言いかけたものか、オルフィには推測もできなかった。
「サレーヒ様」
「騎士様、どうなさいました」
「少し尋ねることがある。そこの小部屋を借りるぞ」
オルフィが連れられたのは兵舎のようなところだった。門番ともまた違う制服を着た軍兵たちが騎士の来訪、それとも騎士が民間人を連れてきたようであることを興味深そうに眺めている。
(「尋ねることがある」だって?)
(何だか、さっき言ってたことと雰囲気が)
尋問、などという一語がオルフィの内に浮かんで消えた。
(いや俺は何も悪いことは)
(……してるんだっけ……)
悪気はなかったとは言え、騎士からの預かりものを。
「野暮用を済ませる故、そこで待っていてくれ」
「は、はい」
言われるままに彼は小部屋に入り、数脚ある椅子に適当に腰を下ろした。
(何を訊かれるんだろうか)
(どこまで話していいんだろう)
(参ったな。俺、ついてきてよかったんだろうか)
しかし騎士に要請されて断れるものではない。ジョリスに対するような強いものではなくとも、ナイリアンの騎士に対する憧れや尊敬は大いに存在するのだ。それに加えて、単に「偉い人に逆らうことなどできない」ということもある。
ジョリスとサレーヒの関係などオルフィには判るはずもない。だが少なくとも同じ騎士なのだから反目し合ってることはないだろうと考えた。
実際のところ彼らは親しい間柄と言えたが、「同じ騎士」だからと言って必ずしも親愛を覚えているとは限らない。オルフィの考えは能天気なものでもあった。
「……待たせたな」
それから五分から十分が経った頃、サレーヒが扉を開けて入ってきた。
「あ、ど、どうも」
がたんとオルフィは音を立てて立ち上がり、畏まるなとまた言われた。
「早速だが、ジョリス殿とはどこで」
「南西部にある、丘の麓の四つ辻です」
正直に彼は答えた。〈ウィランの四つ辻〉と言わなかったのは、判りづらいだろうと考えただけで他意はない。
「五日くらい前のことでした」
「南西部……五日……」
繰り返してサレーヒは顔をしかめた。
「矛盾はないようだ」
「え?」
「確かにジョリス殿はその頃南西部にいらしたはずだ、ということだ」
「あ、ああ」
成程、とオルフィはうなずいた。
(出鱈目かもしれないとは、思われるよな)
それくらいの確認はされて当然だ。
「四つ辻と言ったな? 道でも訊かれたのか」
「さっきも申し上げました通り、訊かれたのは人についてです」
「彼は何と?」
「ええと」
オルフィは視線を宙にさまよわせた。
「カルセン村の、タルーという神父を探していると。俺はその村も神父様のことも知っていたので、ご案内を差し上げました」
「では彼はそのカルセン村へ?」
「いえ、その」
こほん、とオルフィは咳払いをした。
「黒騎士の噂は……」
「無論、耳にしている」
サレーヒは厳しい顔を見せた。
「南西部でも痛ましい出来事があったと言う話だな。ジョリス殿にその件を?」
「はい。お話ししました。するとジョリス様はそちらが先だと仰って、事件のあったチェイデ村の方へ」
「ふむ」
騎士は両腕を組んだ。
「ジョリス殿らしい」
「そのあとで、タルー神父が急逝されたんで、その」
「それを知らせにここまで?」
「首都には用事もあったんで、ついでと言ったら失礼ですけど、まあ、ついでに」
「だがそれは」
サレーヒはあごを引き、下から睨め付けるようにオルフィを見た。
「おかしいではないか」
「え……?」
オルフィはぎくりとした。
「貴殿はジョリス殿にカルセン村の案内をしたのだろう? ならば彼はその後カルセン村へ赴き、神父とやらの死を知るだろう。何故貴殿が、わざわざ首都へ?」
「あのっ、だからそれは、ほかの用事が」
「ジョリス殿にしか話せないことというのが関係しているのか」
「関係……関係は、その……」
すっかりオルフィはしどろもどろになった。
「――ここか、サレーヒ」
不意に扉が開いた。オルフィは驚いてそちらを見たが、サレーヒの方が驚いたようだった。〈赤銅の騎士〉はぱっと立ち上がり、胸に手を当てて恭順の意を示した。
「殿下」
「え……うえっ!?」
慌ててオルフィも立ち上がった。
(殿下!?)




