12 オルフィらしい
占い師とキエヴ族の青年の間には、ずいぶんと優しい雰囲気があった。
恋人同士、と言っていいのかは判らない。彼らのどちらも、結ばれることへの抵抗が――ピニアは心に、ヒューデアは身体に――あるだろう。いつかはそれを乗り越えるかもしれないし、もしかしたら物語に出てくる騎士と姫のように清廉な関係を保つかもしれない。
どちらにせよ選ぶのは彼らであり、そしてオルフィの目に、ふたりの関係はとてもよいものに見えた。
「それに、思い出したことも、あるんだ」
ぽつりと彼は言った。ふたりは注視する。
「ラスピーの奴が、スイリエでさ。言ったんだ。『自分の関わったことはできるだけきれいにしておきたい』って」
「きれいに」
リチェリンは繰り返した。オルフィはうなずいた。
「あいつ、本当に知ってたんだと思う。自分にもう時間がないこと。その上でできる限りのことをして……ヒューデアに身体をやるなんてことは、考えてできることでも、ないだろうけどさ」
「――神様だって、たまには願いを聞き届けるのかもしれませんよ」
少年が呟いた。今度はこちらが注視される。
「あ、僕じゃありませんよ?」
「そう言い張りたいなら、そういうことにしといてやるよ」
口の端を上げてオルフィは、湖神の頭をぽんと叩いた。本当に違うのに、と人ならざる存在は顔をしかめた。
「ま、話はこんなところかな」
それから彼は伸びをして立ち上がった。
「えっ、もう行くんですか」
カナトは驚いたように言った。
「お祭りまでが無理でも、せめて一日くらい」
「はは、そうも行かないんだ。バジャサと待ち合わせしてて」
「じゃあ橋上市場に?」
「ああ。行きがけに顔出したら、ちょっと困ってるみたいでな。前からいる不良少年どもがますます性質悪くなってきたとかで」
オルフィの腕を見込んだバジャサは彼に協力を頼み、オルフィも引き受けたのだ。
「バジャサが俺に何かあるって思ったのはずいぶん国中を放浪してでもいるみたいに見えるからだろ。どっかの密偵とでも思われてるかも」
「密偵」
リチェリンが繰り返し、首をひねった。
「似合わないわよ」
「はは、似合わない方が向くんじゃないかな?」
そんなふうに返して彼は笑った。
「んじゃ、お茶ごちそうさま。神子勤め、しっかりな。頼むよ、神様」
「はいはい」
もうカナトに対する「神様呼ばわり」はごく普通の軽口になっていた。オルフィが、たとえば「術師殿」だとか「先生」くらいの意味合いで言っていることがカナトにも判ったからだ。
リチェリンの言った通り、親しさ故にちょっとからかうくらいのもの。
「ああ、そうそう。言い忘れてたわ」
不意にリチェリンがぱちんと手を叩いた。
「聞いたわよ、頑張ってるのね」
その言葉にオルフィは首をかしげた。
「さっき話した通りだよ」
ずいぶん遅れた返答だ、とオルフィは思ったが、リチェリンは首を振る。
「それとは別よ」
「別? じゃ、誰から何を聞いたって」
オルフィは当然の問いを発した。
「この前、ラシアッド方面へ行く商人さんがね。ここを通ったの」
「ふうん。んで?」
「途上で山賊に襲われかけたんですって。そこに」
彼女はにこっとした。
「颯爽と、青い籠手を身に着けた若い剣士が現れて!」
「だあっ、何だよ、あのおっさん、こんなところまできてたのかっ」
オルフィは顔を赤くした。
「ふふ。すっごく、褒めてたわよ。若いのに大したもんだって」
「もう……勘弁してくれよ」
彼は手を振った。
「考えてた、ことさ。ミュロンさんに――アバスターに言われてた」
言いながらいつも持ち歩く袋を取り上げた。そのなかに、アレスディアは入っている。
「次は、俺の番だって」
ヴィレドーンの全盛期であればともかく、いまのオルフィに英雄と呼ばれたアバスターほどの技量はない。だが剣士と名乗れる程度の実力はあると自負しているし、戦士を生業としている者でもそれを笑わないだろう。
もっともそれはヴィレドーンの技術ばかりではない。
「右手は、もう慣れました?」
カナトが尋ねる。
「うーん、正直、まだまだかな。剣技としちゃ変則的になるけど、両手が使えるってのは強みになると思うから、頑張るつもりではいる」
ヴィレドーンは左利きだが、オルフィは右手を主に使ってきた。ウォルフットに直されたからだ。理由を尋ねてみたところ、「やっぱりお前が剣を持つことになったらと思ったら少し心配で」などと返ってきた。そのときは天を仰いだが、いまは感謝である。
「いっそ、両手持ちとかどうですか?」
何とも気軽にカナトが提案した。オルフィは苦笑した。
「考えてはみたけど。難しいよ、あれは」
「あら。試したのね」
「まあ。ちょっとだけ。……格好いいかと思って」
照れ臭そうに言う様子は、ただの十九歳の若者のようだった。
「使いこなせたら、格好いいですよ、きっと」
「格好つけて負けたら、馬鹿みたいじゃないか」
彼はもっともなことを言った。
「そうですね。ひとりだとちょっと心配ですね」
少年は顔をしかめた。
「一緒に魔術師でもいたらいいですけど」
「まあな。そりゃいてくれたら……ん?」
何かほのめかされた気がして、オルフィはちらりとカナトを見た。少年はにっこり笑っただけだった。
「ああ、まあ、もう行くよ」
改めて言ってオルフィは荷を抱えた。
「そんじゃ、その……」
「あ、僕、出てますね」
さらりと言うとカナトは言葉の通りにリチェリンの小屋をさっさと出て行った。
「何だよ。変に気、回しやがって」
ぶつぶつとオルフィは言ったが、今度は引き留めなかった。
「――行ってらっしゃい」
リチェリンも立ち上がり、笑みを浮かべて見送りの言葉を述べた。
「ああ」
こくりとうなずいて彼は彼女に近寄り、そっと抱きしめた。
「村外れまでは行かないわ。何だか、寂しくなっちゃうから」
「何か、ごめん。俺だって、この村に暮らすことは……選べたのに」
「嫌だ。何言ってるのよ。忙しく動き回ってるところ、とってもオルフィらしいわ」
くすっとリチェリンは笑った。
「郵便屋でも荷運び屋でも何でも屋でも……英雄候補でも」
「え?」
「ううん、何でもない」
小さく首を振ったリチェリンのあごに手をかけ、オルフィは優しく口づけた。
「その……行ってくる」
「はい。気をつけて、ね」




