08 城門
籠手の危険は一時的かつ限定的に減っている。
サクレンの言ったのはそうしたことであったが、オルフィとしてはとてもではないが「それなら安心」という気持ちにはなれなかった。
見た目――非魔術師である彼の、ということだが――には何も変化がないように見える。
だが魔術師たちによれば、籠手が魔力を発しているということは余程注意深く見なければ判らないし、昨夜のように喧嘩を吹っかけられても籠手の力は発動しにくい――しない、ではない――ということらしい。
(つまり、ぱっと見には、魔術師が相手でも「左腕を負傷してる若造」としか思われないってことか)
(大変、結構)
自嘲気味に彼は少し笑った。
宣言の通り、カナトはサクレンのところで術を学んでいる。習得にどれくらい時間がかかるものかオルフィには見当もつかず、尋ねる時機も逸したが、少なくとも夜になれば宿に帰ってくるだろう。そう考えたオルフィは、昼のナイリアールをひとりうろついた。
(カディントン母さんの化粧品、さっさと買っておいた方がいいな)
(それに……)
(リチェリンに、何か……)
ふっと、今度こそ自嘲が浮かんだ。
(まるで何もなかったふりだ)
仕事はするつもりだし、リチェリンにも何か土産を買っていけたらという気持ちはある。仕事は大事だし、リチェリンのことが心配なのも確かだ。
だが、ほかの重要なことを考えたくないために、思い出したかのようで。
(ああ……でも実際、リチェリンはどうしてるだろう)
(タルー神父が亡くなって、さぞや心細いだろうに)
(俺はどうしてカルセン村を離れ、黒騎士と遭遇して、ジョリス様との約束を)
(約束を)
(破って)
きゅっと胸の辺りが痛くなる。
悔やんでも何も解決などしないと判っていながら、悔やまずにはいられない。
彼の表情から内面を見て取るカナトの前では余計なことを思うまいとしていたオルフィだったが、ひとりになるとどうしても考えてしまう。
どうしてこんなことに。
サクレンのほのめかしたように、運命などとは、思えない。
(ええい、顔を上げろオルフィ!)
彼は自分を叱咤した。
(人生最大の大ポカだろうと、導師の言うようにナントカを拾い上げたんでも、同じことだろ! いまここには問題の籠手があって、俺はジョリス様にお話ししなくちゃならない!)
それがいちばんの懸念――胃の痛くなる使命だ。
(ジョリス様)
(王城……か)
〈白光の騎士〉をはじめとするナイリアンの騎士たちは通常、首都ナイリアールの北側に鎮座する荘厳かつ堅牢な城で生活をしているはずだ。オルフィはこれまで近づいたこともない。必要がなかったからだ。
(ちょっと、行って、みようかな)
街のどこからも目にすることができる高い尖塔を見上げる。ナイリアン王城は太陽の光に照らされ、眩しいほどに輝いていた。
(近くで見てみよう)
(それに、もしかしたらジョリス様がお戻りになっているかも)
馬ならば驢馬よりもずっと足が速い。ルタイの砦ではジョリスがまだ戻っていないという話だったが、あれから日数も経っている。追い抜かれた覚えはないが、休んでいる間だったら判らない、というのは前にも考えたことだ。
(おし! 行ってみるか!)
戻っていないと判るならそれでいいのだ。ただ、ジョリスに会えるのであれば少しでも早い方がいい。
話をすることに対する気の重さと言ったら相当のものだが、それでもいつまでも抱えているよりは言ってしまった方がいい、という気持ちもある。これからどうしたらいいかということも、オルフィがああだこうだと悩むよりジョリスの考えに従う方が何百倍もいいに決まっている。やはり〈白光の騎士〉を崇拝するように信じて、彼はそう思った。
とにかく、もう一度ジョリスに会うことだ。
オルフィは日中の賑やかな街区を抜け、城の方へと歩きはじめた。
中心街区と呼ばれる付近になると、町外れでよく聞かれるような威勢のいい客引き声も聞こえなくなってくる。建物はみな上等かつ上品。我先にと主張するような派手派手しい看板はなく、一見したところでは何の店だかも判らないくらいだ。
店に入るためにも手すりつきの階段を少々昇って、入り口の見張り――案内係、とでも言うべきだろうか――に声をかけ、扉を開けてもらったりするらしいことは聞いて知っていた。案内係は護衛も兼ねていて、訪問者の見た目があまりにも貧相であれば入れてもらえないこともあるのだとか。
オルフィは田舎者丸出しできょろきょろと辺りを見回していた。もしも盗賊が近くにいたら、いい獲物と思われたことだろう。
幸いにして、そうしたことは起きなかった。となれば、籠手が本当に力を抑えられているかも判らなかったが、オルフィとしては試したい気持ちもなかった。
城門が近づいてくると、雰囲気はまた変わる。広場のように開けていて、建物はもうない。たまに余所の商人が紛れ込んで露店を広げようとすることがあるが、警護兵がすぐに近寄ってきてここでは禁止だと告げる。
もっとも、ただ通行するだけであれば何の問題もない。むしろ余所からきた者であれば王城をひと目見物しようと積極的にやってくるし、住民でもちょっとした散歩にこの辺りを歩く者も多い。喧噪はないが、それなりに王城の前はさざめいていた。
オルフィはと言えば、口をぽかんと開けて王城を見ている、絵に描いたような田舎者を演じていた。いや、演技ではなくそのものなのだが、初めてナイリアールを訪れた訳でもない。これまでは、王城を見てみようなどと思わなかっただけだ。
「すげえ……」
間近で目にするナイリアン城は、堂々としていた。
城門の向こうに広い中庭があり、その向こうに建っていると言うのに、威圧的にすら感じられた。
真白い城壁。数え切れないほどの窓。あちらこちらにひらめく、ナイリアンの旗。
オルフィは知らぬことながら、正面の大きな露台では、行事の際に王をはじめとする王族が民たちに姿を見せることもある。だがいまは閉ざされていて人影もなかった。
「すげえなあ……」
彼はしばし感嘆していたが、はっとして首を振った。
(俺は王城見物にきた訳じゃなかった)
「あの、こんにちは」
若者は城門に近づくと、そこに立っている兵士に声をかけた。
「何だ? 道にでも迷ったか。それなら情報屋にでも行け」
兵士は面倒臭そうに手を振った。
「いや、そうじゃなくて」
仏頂面にオルフィは少々怯んだが、街の案内所に行っても意味はない。
「騎士様にお会いしたいんだけど、どうしたらいいかな?」
「ああ?」
兵士は顔をしかめてオルフィを睨んだ。
「何だと?」
「だから……騎士様……」
言いながらオルフィは、しまったかなと思っていた。「ただの田舎者に騎士様が会って下さるはずがない」ことは承知していたものの、アイーグ村のオルフィと名乗ればジョリスは会ってくれるはずだと信じていた。しかしながら、ジョリスのところまで話がいかなければどうしようもない。
「騎士様だと? お会いできるはずがあるか、この、頭の悪い田舎者め」
ふんと兵士は鼻で笑った。オルフィはかちんときた。
「そりゃあ俺は田舎者さ。でもそういう言い方はないだろう」
「どんな言い方をしたところで同じだ。騎士様方はお忙しい。馬鹿な田舎者の好奇心を満たすお時間などないんだ。しっしっ」
犬でも追い払うような動作をされ、オルフィはむかっ腹が立った。
「おい! そりゃないだろ!」
「何をする!」
思わずオルフィは一歩を踏み出したが、もちろん乱暴をするつもりなどはなかった。そもそも訓練もしていれば武装もしている兵士に敵うはずがない。彼は逆に左手首を掴まれ――。
「あ」
(やばい。籠手に気づかれるかもしれない)
(それに)
(もし、兵士相手にあの力が出たら)
酒場の酔っ払いから逃げるようにはいかない。騒ぎになり、捕らえられてしまうだろう。
(拙い拙い拙い!)
「は、放してくれ!」
「貴様のように面倒ごとを起こす余所者は、町憲兵隊の留置場ででも頭を冷やせ! 大方、その腕も喧嘩騒ぎで痛めたのだろう!」
幸いと言うのか、兵士はオルフィの左腕を取っても、石膏で負傷部位を固めているとでも思ったようだった。
「見た目によらず乱暴者のようだな。これ以上騒ぐようなら、本当に町憲兵隊に」
「何を騒いでいる」
兵士が目をつり上げたとき、違う声がした。
「城門を守る者がそのように大声を上げてはみっともなかろう」
「はっ、申し訳ございません!」
兵士が一瞬で緊張するのがオルフィにも判った。
「どうした。その者は?」
まっすぐオルフィに視線を寄越したのは、四十歳を超して見えるひとりの男だった。兵士の薄青いものとは違う、赤茶色の制服にはナイリアンの紋章が編み込まれている。
「はっ、田舎、いえ、余所からやってきた者のようなのですが、城に入りたいなどと無茶を言うので帰るようにと」
「そんなこと言ってないだろ!」
オルフィは抗議した。
「俺は騎士様に……ジョリス様にお会いしたいって」
「ジョリス殿か」
男はじっとオルフィを見た。
(この人)
(剣を佩いて、立派なマントをつけて)
(もしかしたら、この人も)
「放してやれ」
「は、はいっ」
兵士はすぐさまその指示に従った。オルフィはほっとした。どうやら町憲兵隊の詰め所に連れて行かれることはなさそうだ。
「生憎だが、若人よ。ジョリス殿は不在だ。おいでだったとしても、気の毒だがそうそう町民の希望を聞いて時間を取ることも難しい。ふた月に一度、剣の訓練を公開することになっている故、その日にまたやってくるといい」
「あの、いえ、違うんです」
オルフィは手を振った。
「あの……失礼ですが、騎士様でいらっしゃいますか?」
「いかにも」
男はうなずいた。
「赤銅位のサレーヒ・ネレストだ」




