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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
最終章 vol.1(1/2)

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08 南西部に

 一緒に帰ろう――と言ったのは、カナトだった。

 その言葉に初めはオルフィもリチェリンも、驚いた。

 だって、彼はこの湖の神ではないか。エク=ヴーはエクール湖にいるものと、彼はここに帰ってきたものと、ふたりともそう思っていたのだ。

 だがカナトは、首を振った。もちろん彼はこれまでの湖神と同じように〈はじまりの湖〉とその畔に住む人々を大事に思っているし、守る意志もある。いずれはまた戻ってくるつもりだが、いまは南西部に帰りたいと。

 長には話したし、許可も得たと言う。もっとも、長より彼の方が「偉い」のだから許可など必要ないのだろうが、カナト少年としてはそうした形を取りたかったのだろう。

 許可が必要であるのはどちらかと言えば、神子たるリチェリンだったかもしれない。

 彼女自身は、迷っていた。神父タルーの死後はカルセン村に残るか、ムーン・ルー神殿に入るかという選択肢だったのだ。だがいまとなっては、八大神殿に入ることはあまり考えられなかった。

 もちろんその教えは彼女の内に染みついている。否定したり軽んじたりすることなどなかったのだが、それでもエクールの神子であるという意識が生まれたいまから神女になるというのは、ムーン・ルーとエクールの教えと両方に泥を塗ることだと思った。

 となると新しい選択肢は、カルセン村に戻るか、畔の村で神子として暮らすか。

 答えを出すのは容易ではなかった。彼女にはもう少し時間が必要だった。

 それに、気にかかったのはタルーの墓参りすらできていないこと。まずは南西部まで戻り、カルセン村でタルーと親しい村の人たちに話をして――どこまで話すかは難しいところだが――それから決断しても遅くない。

 オルフィは、村に残るつもりはなかった。かと言って南西部の荷運び屋に戻るつもりもなかった。

 しかしそれでも、一度はアイーグ村に戻る意志があった。

 会いたい人がいる。

 そうして彼らは三人で出発することにした。

 記憶にあるかないかの、それはおよそ十四年前。三人の男たちに連れられて下った坂道を再び、今度は彼らだけで。

「俺さ。思い出したんだけど」

 ふとオルフィは口を開いた。

「俺の、つまり『オルフィ』の名付け親って、タルー神父様だったんだ」

「え?」

 リチェリンは驚いた顔をした。

「そうなの? 私、てっきり」

「だよな。俺もそう思ってたって言うか、まあ、正直に言えば特に考えたことはなかったんだけどさ。普通は、親がつけたと思うもんな」

 子供の名付けをするのは親ばかりでもなく、町村の「偉い人」にお願いしたり、それこそ神官や神父に縁起のいい名前をもらうようなこともある。しかしそんなことでもあればしつこいくらいに語られるものだ。

 もとより「オルフィ」の場合、神殿や教会にお願いに行ったというのでもない。

 神父がそのときに同行していたから、「彼ら」が頼んだのだ。それもおそらく神父だからという理由ではなく、「彼ら」には巧く考えられなかったからというだけに違いない。

「そのお礼もしなくちゃな」

 かすかに蘇った記憶を思い起こして三人の考えを想像すると、彼は笑って手を振った。

 空が青い。

 夏がやってくる。

 彼らの旅は、順調だった。

 橋上市場は相変わらずで、オルフィはバジャサを探して少しだけ話をした。マレサのことはやはりまだ伏せざるを得なかったが、城での仕事が確立したら必ず家族に手紙を書くよう約束させている。

 あの姿での再会は問題もあるだろうが、いつか取り持ってあげたいとも思った。もっとも情報屋の少年は、もしかしたらあっさりと受け入れてしまうかもしれないが。

 マルッセ村では、おそるおそるクートントを訪ねた。年老いた驢馬は、あのときのようにオルフィを怖れることなく、嬉しそうにいなないた。オルフィは実にほっとして、ちょっとだけうるっとした。

 あのときのオルフィ、いや、ヴィレドーンは「裏切り」を心に決めた頃の記憶を持っていたから、ずいぶんとぴりぴりしていた、動物はそれを感じ取ったのかもしれなかった。

 意外にもと言うのか、シレキが手回しよく連絡をしてくれていて、彼はクートントを引き取ることができた。シレキの知人はオルフィに礼を言ったが、クートントがとてもいい扱いを受けていたことはよく判ったから、オルフィの方こそ大いに感謝した。

 貸し賃なんてとんでもないと断ろうとし、だが約束だからと男は渡そうとして奇妙なひと悶着が起きたが、カナトとリチェリンが上手に仲裁して、当初の約束の半分だけもらうことになった。

 主人に再会して張り切った老驢馬は、オルフィを御者に、ふたりを()にして街道を行き、ナイリアールに行き着いた。

 首都の混乱こそすっかり収まっていたが、中央広場の修繕はまだ不完全で、あの悪夢のような化け物が本当にいたことを改めて思い出させた。

 イゼフに挨拶をしたかったが、彼は神殿におらず、城に詰めっぱなしだと聞かされた。ピニアのところでは歓迎され、ヒューデアのことを語って静かなひと晩を過ごした。

 王城には寄らなかった。ラシアッドの事情はもう自分たちの手を離れたと、オルフィはそう考えた。

 ジョリスには会いたかったが、それは以前からの気持ちと変わらぬ憧れがそうさせるもので、そんな思いで忙しい騎士の邪魔をしてはいけないという理性が勝った。

 ふと、何度も機会があったのに、〈ウィランの四つ辻〉での「釣り」を返していないことが思い出されたが――これはいつか、会う口実に取っておこう、などと思った。

 レヴラールから褒賞が出るという話を思い出したものの、のこのこ出向いて「くれ」と言えるほど厚顔でもない。もとより、ただの民間人が〈白光の騎士〉に協力して街を守ったという話は出回っていたので、その名誉だけ受け取ることにした。

 王子の相談に乗る云々という話も、ラシアッドに関することがああして早々に片付いたのだから不要だ。一方的にそう決めたのは、何も逃げ出そうというつもりではなく――少々あったことは否定できないが――カナトにも相談して賛同をもらったことだ。

 シレキは、ナイリアールを発っていた。滞在していたはずの宿はとっくに引き払っていて、どこに行ったのは判らない。ただ、マズリールを探すだかと言っては連れの少女に睨まれていたらしい。

 落ち着いて礼のひとつも言えないままだったことを彼らは残念に思ったが、もしかしたらシレキはそうした改まったことが嫌でさっさとどこかに行ってしまったのかもしれないとも思った。それは彼らしい感じがした。

 ライノンも王城だったろうか。彼のことはよく判らないままだった。

 いくらかは思うところもあったが、それは根拠のない仮定に過ぎなかった。

 カナトはもしかしたら何か判っているのかもしれないが、巧く説明はできずにいた。大導師なら何か話してくれることもあるのだろうか。何しろ、様々な情報――どうあがいてもオルフィには判らない類の――を交換し合っていたようだからだ。

 ナイリアールを出る前に、いくつかの買い物をした。

 あまりにも遠いことに思える、荷運び屋オルフィの「仕事」の数々。それらを済ませる隙に、もうひとつ。これは内緒にしておいた。

 ここから先は、何だか安心できる道だ。

 南西部が近くなる。

 彼らはみな湖畔の村で生まれているのに、それでもこの先が故郷だと感じる。

 オルフィがジョリスと出会った〈ウィランの四つ辻〉で荷車をとめたのは、何も感傷のためだけではなかった。

「本当に、いいのか? サーマラ村まで行ったって大した手間じゃないし、逆にカナトが一旦、こっちにきてくれてもいいのに」

「いえ、僕も少し、歩きたくなりました」

 そう言うとカナトは荷台から軽やかに飛び降りた。

「まあ、道中を心配する必要は、ないような気もするけど」

 湖神。それを除いたって、優秀な魔術師。ここまでもずっと元気で無理をしている様子などなかったし、危ない目に遭うことはないだろう。

 そう、カナトは相変わらず「魔術師」でもあった。

 人外の力は魔力と似ながらも異なるものであり、普通であれば魔術師は簡単にそれを知る。だが擬似的に与えられた大導師の魔力をエク=ヴーは上手に自らのものとし、サクレンら導師たちでさえ、その力が人外のものと混ざり合っていることに気づかなかった。

「ええ、大丈夫ですよ」

 少年はくすっと笑った。


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