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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
最終章 vol.1(1/2)

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06 久しぶりだったので

 湖面はきらきらと陽光を反射した。彼は眩しげに目を細める。

「きれいだなあ」

 しみじみと呟いた。

「いい天気だ。過ごしやすいし、すごく気分がいい」

「そろそろ暑くなる時期ですけれど、この付近はいつも涼しいですしね。まあ、そのせいで育つ作物にも限界があるんですけれど」

「でも不作にあえぐことも滅多にない」

 彼は小舟の上から身を起こした。

干魃(かんばつ)の類とは無縁だもんな」

「それくらいは。仮にも、水竜の眷属ですからね」

 くすりと湖神は笑った。

「もう、すっかりいいみたいだな」

 オルフィは相手を見た。

「やっぱり、ここ、場所がいいのか」

「もちろんです。それはオルフィだって思うでしょう?」

 小さな祠のなかから、少年は返した。

「十年間、あなたもこの祠のなかにいたんですから」

「まあ、そう、みたいだよな」

「覚えていないんですか?」

 声は少し咎めるかのようだった。オルフィは慌てて手を振る。

「そうじゃないよ。ただ、判るだろ。ほんの小さな子供の頃のこと……いや、言うなれば生まれる前(・・・・・)だろ? 記憶が怪しくたって、仕方ない」

「それも、そうですね」

 少年は目をぱちくりとさせた。

「僕の記憶が膨大なものですから、つい」

「俺に言わせりゃそっちの方が、よく覚えてられるよなって感じだ」

「常に覚えてる訳でもないですよ」

「あん?」

「どう言えばいいでしょうか。たとえば、そうですね、日記に書いてあるみたいに」

 思い出そうと頁をめくれば鮮明に蘇ってくるのだと。

「……ふうん」

 何となく判るような、ぴんとこないような気持ちだった。

「それじゃ、そろそろ」

 オルフィは完全に身を起こすと、櫂を手に取った。

「戻るよ」

「はい。それじゃ、僕も」

「大丈夫なのか?」

「嫌だなあ、言ったでしょう。エク=ヴーは人間より丈夫なんです」

「聞いたけどさ。昨日まで、あんなに昏々と眠り続けてたのに」

「ここまでこられたんだから、その時点で回復はほとんど済んでいましたよ。でも、その」

 彼は少し顔を赤くした。

「久しぶりだったので、何と言うか、心地よくて」

「あっは」

 オルフィは笑った。

「久しぶりに我が家の寝台で眠って、寝過ごしちまったって訳か?」

「まあ、そう、です」

 ラシアッドの首都スイリエを離れて、オルフィはひとり、エクール湖に向かった。発つと言う彼にラスピーシュが「迷惑料、または湖神への寄進」だと言って路銀を押しつけてきたのには参ったが、正直に言えば助かった。手持ちは皆無に等しかったからだ。

 ジョリスはマレサとセズナンを連れてライノンの力でナイリアールへとんぼ返り、イゼフはやってきたように神殿の力を使って同じように戻っているはずだ。サレーヒとサズロはまだスイリエだろうか。

 彼が湖畔の村までやってきたのは、大きくはリチェリンのためだった。ウーリナの言葉もきっかけだ。彼女に会いたい、話をしたいという気持ちが急に大きくなって、抑えきれなくなったのだ。

 そうしてやってきたところで、カナトが湖の祠で休んでいることを伝えられた。

 いろいろなものが、あるべき場所に収まろうとしている――そんな気持ちが湧いた。

 もっともそれはまだ、先の話になる。そのこともまた判っていたが。

「おーい!」

 水辺から、声が聞こえた。オルフィはにやりとする。

「オールフィー! カナトくーん! お昼、できたわよー!」

「おうっ、いま行く!」

「何だかリチェリンさんも、普通に馴染んでますね」

 カナトは小舟に乗り込んだ。ふたり分の体重に、それはゆらりと揺れる。

「お前こそ」

「はい?」

「いや、その」

 こほん、とオルフィは咳払いをした。

「ひとっ飛びだろ、こんな湖なんか」

「どうしてこれだけの距離をいちいち飛んでいかなくちゃならないんです」

 呆れたようにカナトは返した。

「魔術師だって、まともな人なら、そんなふうに〈移動〉術を多用しないものですよ。オルフィの言うことは無茶苦茶です」

「悪い悪い。冗談だよ。何て言うかさ」

 彼は肩をすくめて舟を漕ぎ出した。

「安心して、さ」

「安心、ですか?」

「ああ」

 それだけ答えて彼は黙った。

(驚くくらい、お前が変わらないだろ?)

(あの姿になって飛んで行っちまうことが、ないから)

 だから安心して、逆にこんな軽口が出てくるのだ。だがそれを告げるのが何だか気恥ずかしくて、オルフィは漕ぐことに集中した。カナトは判らないと言うように首をかしげていた。

「はーい、到着っと」

 大きな湖だが、一周する訳でもない。程なく小舟は湖岸に着き、ふたりは地面に降り立った。

「お疲れ様」

「おう」

 何でもないやり取りが、奇妙に嬉しい。オルフィはリチェリンに微笑んだ。

「カナト君、調子はどう?」

「おかげさまで、もうすっかり。さっきオルフィには言ったんですけれど」

 彼はまた、寝過ごしたようなものだと説明した。リチェリンも思わずという様子で笑ってから、少し顔をしかめた。

「本当でしょうね?」

「はい?」

「心配かけまいとしてそんなふうに言ってるんだったら、お姉さん、許しませんからね」

 まるでもっと小さな子に言うようにリチェリンは両手に腰を当てた。オルフィはぷっと笑う。

「リチェリン、仮にも、神様だぞ」

「やめて下さいよ、そんな言い方」

 少し、少年の表情が曇った。

「僕は」

「ああ、ごめんね、カナト君」

 オルフィが戸惑う間に、リチェリンが謝った。

「この子ったら、安心してこんなふうに言うのよ。カナト君が変わらないから、嬉しくて。子供みたいにはしゃいでるの。許してあげて」

「え」

 カナトは目をぱちくりとさせたが、オルフィも同じだった。

「何よ。違う?」

「ち、違い、ません」

 正直にオルフィは認めた。

「そうだな。俺、はしゃいでる。それもちょっと悪いはしゃぎ方だった。ごめん、カナト」

「えっ、あ、謝らないで下さい。そんな」

 カナトも慌てた。

「そう、ですね。オルフィは変わらず、僕と接してくれてる。僕がエク=ヴーなんて、オルフィにはからかう材料がひとつ増えたくらいのものですね」

 くるりとカナトはオルフィに向き直ると、ぺこりと頭を下げた。

「すみませんでした。変な態度を取って」

「ばっ、馬鹿。お前こそ謝るなって。そんなの見られたら、俺、ソシュランさんに殴られる」

 もちろん守り人はそんなことで彼を殴ったりしないだろう。これもまた冗談で、まだ彼は少し「悪くはしゃいでいる」と言えた。そこに気づいて、カナトとリチェリンは笑う。


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