12 当てられるかな?
戴冠式の狂想曲がはじまろうとしていた。
儀式自体は、引き継がれる王と引き継ぐ王と、そして書面及び王冠さえあればいつでも可能だし、すぐに終わる。
事実、現国王ラシェルード・イウォス・ラシアッドとその王位を継承することとなったラスピーシュ・レクリア・ラシアッドは既に正装を身につけ、王室に顔を揃えていた。
「不思議なものだ」
ラシェルードは呟いた。
「これまでずっと、起き上がることもままならなかった。このまま死んでいくのだとばかり」
長らく病床に就いていた王は、その声こそ弱かったが、立っていてもふらつくようなことはなかった。
「兄上が、そこまでしていたとは思いませんでした」
ラスピーシュは少しうつむいた。
「黙っていてもいずれ上る王座に早く就くために、実の父親に毒を盛るなんて」
「本当に……どこで間違ったのか」
父王は悔しそうに首を振った。
「何と言ったか、あの教師……ルアム。そうだ、あの男だ。あれがロズウィンドを洗脳した。何故、あんな教師を雇い入れたものか」
「仕方なかったのです」
ラスピーシュは慰めるように言った。
「それも全て〈名なき運命の女神〉の導いたこと。この日がくることも」
「あの男だ」
ぶつぶつと王は繰り返した。
「きっとあれは、悪魔だったのだ。ロズウィンドを誘惑した。悪魔の囁きをした」
「それは、なかなか」
ラスピーシュは口の端を上げた。
「面白いご意見です」
「何だと?」
「いえ、何でも」
ありません、と彼は首を振った。
「本来の定められた日ではありませんが、時間がない。兄上は本格的にナイリアンを敵に回しているところです。取り返しのつかないことになる前に、私に全権を。形式的な王家の儀式は、また日を改めればいい」
「判っている」
王はうなずいた。
「お前が国王だ……ラスピーシュ。どうか我々のラシアッドを守ってくれ。祖先は、ナイリアンに滅ぼされるためにこの地を平定したのではない。ロズウィンドはありもしない妄執に取り憑かれているだけだ」
「私もそう思います」
淡々と、ロズウィンドの弟は返した。
「一代、二代頃は確かに仇討ち、土地の奪還という気持ちもあったでしょう。ですがいまでは、我々はラシアッドの民だ。エクールの民の血を引いている……それは、それだけです」
「おお、ラスピーシュ」
ラシェルードはすがるように二男を見た。
「私は、お前までロズウィンドに同調しているものと思っていた」
「〈世間を欺きたければまず隣人を〉ですよ、父上。兄上が私を信頼して国を留守にしてくれない限り、こんな機会はやってこないのですし」
くすりと笑う様子は、ずいぶんと冷酷に見えた。
「では王冠を……と言いたいところですが、やはり立会人がほしいでしょうか」
彼は辺りを見回した。
「父上の署名はお済みだ。あとは私が王冠を受け取って署名をすれば基本的に継承は済みますが、せっかくですから、見ていてもらいたいですね」
すっと彼は王室の入り口の方を見やった。
重厚な扉は閉ざされている。
だが、そこには新来者がいた。
「――これはどういうことか、尋ねれば納得のいく答えがもらえるのか?」
王室に、穏やかな声が反響した。
「ラスピーシュ。そして父上」
「お帰りなさい、兄上」
にっこりと弟王子は笑みを浮かべた。
「ナイリアールでは……いや、ナイリアールでも、いろいろ計算外のことが起きましたようで」
「ほう」
ロズウィンドは怒りを見せたり、声を荒ららげることすら、しなかった。
「どのようなことを指して、言っているのか。弟よ」
「列挙しますか?」
首をかしげて、ラスピーシュ。
「陣が崩されたことまでは、有り得ることとして警戒していた、と。もっともニイロドスですね、それに対する支度をしていたのは」
彼は言った。
「ですがその番人バームエームも、〈閃光〉アレスディアとふたりの騎士を前に、獄界へ追い戻された。湖神は悪魔を追いやったが、兄上は拒絶され……ナイリアンの王子を突き落とすまでしたのに」
肩をすくめて彼は続けた。
「レヴラール殿は存命だ。残念でしたね」
「何だと?」
「彼女がレヴラール殿を救えたのは、湖神の力が近かったからでしょうねえ。あなたの助け手は彼の助け手にもなったんです。全く、力を与える相手が神子なんて呼ばれるだけはあって、湖神は――カナト君は人が好いですね」
そこが可愛らしい、とラスピーシュは笑みを見せた。
「お前は」
すっとロズウィンドは目を細めた。
「何故、そこまで知る。たとえレヴラール王子が生きていたとて……どうやって見ていた。ニイロドスはいま、こちらにいない」
「そうですね。悪魔は人の力を舐めているところがある。でもそれは本来、当たり前です。歌物語の人物が吟遊詩人に害をなせるはずがないんですから」
でも、とラスピーシュは首を振った。
「たまにはあるものですね。有り得ないことも起こる。ニイロドスはちょっと、遊びすぎたんだと思います」
「お前は、何を」
ロズウィンドは顔をしかめ、それからじっと弟を見た。
「――ノイ」
そして後ろに控えていた剣士を呼ぶ。
「斬れとは言わぬ。捕らえろともな。お前は私個人に仕えるのではなく、王族に仕える一族なのだから」
だから、とロズウィンドは続けた。
「きちんと見極めるといい。どちらを主とするか」
クロシアは戸惑うようだった。当然であろう。
現王の指針に反意を持ち、ロズウィンドに従ってはいたが、ラシェルードもラスピーシュもまた彼が命令を受ける人物。ラシェルードがクロシア一族に指示をしなくなって久しいが、ロズウィンドとラスピーシュはたとえ意見を違えても、大筋では同じ方向を向いていた。最終的に下される命令はひとつであったし――多くはロズウィンドの意となったが――、説得された側はそれ以上反論しなかった。
このような状況はなかった。
ましてや、もう片方を「罰する」可能性、即ち力を以て抑える、或いはもっと直接的に「殺す」などとは。
クロシアは半歩だけ前に出て剣の柄に手をかけたが、何か言うこともできなかった。
「非常に嘆かわしいことだが、弟よ。王位簒奪を目論んだとして、罰しなければならないな」
「生憎ですが兄上。兄上に私を罰することはできませんよ」
「何故かな?」
兄は首をかしげた。
「いかに父上と相談をまとめたところで、正当なる第一王位継承者は私だ。私がこうしてこの場にいる以上、私が継承を拒否するか、それとも死ぬかしない限りお前の即位は無効、それでも押し通すのなら簒奪ということになる」
「署名を済ませ、王冠を戴いてしまえば話は違った。ですが、いまはまだ私は第二王子であなたが第一王子。それは変わらない。でも」
ラスピーシュはそんなクロシアの様子も見ず、ただ手を振った。
「そんなことはどうでもいいんです」
弟は言い放った。
「継承権も。慣習も。法律も。どうでもいいんですよ、兄上」
「ずいぶんと責任感に、いや、ごく一般的な常識にすら欠ける言葉だな、ラスピーシュ。それで王になるつもりとは片腹痛い」
「ならなくても、いいですよ?」
彼は片眉を上げた。
「別に私は王位を継ぎたい訳じゃないんです。兄上がおとなしく、ラシアッドの……現ラシアッドの国王で満足してくれるなら、これまで通り」
「成程。それが本心か。ナイリアンと戦うことなどできないと。怖れを成したのか」
「いいえ。これはただの、約束でして」
「約束だと?」
「ええ。ラシアッドの現状維持――返り討ちに遭って滅びることなどないようにという、彼の願い」
「彼」
ロズウィンドは眉根をひそめた。
「誰の話をしている」
「それはもちろん、目の前の」
ラスピーシュは、自分自身の胸に手を当てた。
「この、ラスピーシュ・レクリア・ラシアッド第二王子との約束だ」
「――お前は」
ロズウィンドはその視線――どこか哀れむような――を正面から受け止めた。
「おかしなことを言うと思っていた。このような真似はラスピーシュらしくない」
呟くように兄王子は言った。
「お前は、ラスピーシュでは、ない」
それは奇妙な台詞と思われた。彼の目の前にいるのはどこからどう見ても彼の弟に違いなかったのだ。
「は、はは」
弟王子は髪をかき上げた。
「半分だけだが、正解だ」
ぱち、ぱち、と彼はゆっくりと拍手をした。
「では当てられるかな? 私が誰か」
そう言って彼が両腕を広げたとき、ロズウィンドはそこに有り得ないものを見た。
その瞬間、紛う方なきラスピーシュであったはずの男の、輪郭が歪んだ。かと思うと、目前の人物はラスピーシュには見えなくなった。
ロズウィンドは目を見開いた。
それは、覚えのある顔だった。
よく覚えている。それは遠い記憶。まるで彼の太陽のようだった。年の離れた兄のように思っていた――。
「ルアム……!」




