06 嫌なんだ
オルフィは言った通りのことをした。即ち、ジョリスの名前は伏せたまま、とある事情で手に入れた籠手を着けようと思わぬまま装着してしまい、どうしても外せないのだということと、噂の「黒騎士」がそれを狙っているようだという推測を伝え、昨夜の乱闘騒ぎについても話した。
サクレンは時折質問を挟んだが、それは箱や籠手に対してオルフィがどのように感じたかというようなことであって、「とある事情」とは何かとは問わなかった。
「では、その包帯を取ってもらえるかしら」
質問の形を取った要請にオルフィはこくりとうなずき、カナトの巻いた包帯をほどこうとした。もっとも巧くいかなかったので、見かねてカナトが手伝った。
「あら……」
青い籠手があらわになると、サクレンの表情が変わった。
「これは実に……見事なものね」
オルフィは何とも返しようがなかった。
「魔力は包帯では隠せないわ。けれど、目にすることによって発する吸引力は抑えられる。見えぬようにしているのは正しい選択ね」
「目にすることによって」
オルフィはちらりとカナトを見た。カナトは小さくうなずいた。
(装着を誘うとかってカナトは言ったな)
(導師も同じ考え、なのか)
(でも)
「自分のせいではない」という結論は安堵するようでもあるが、居心地の悪い感じもする。まるで責任逃れをしている気分だ。
「よく学び、自制の効く魔術師でもない限り、装着の誘惑に抗うことは難しかったでしょう。気に病むことはないわ」
やはり「オルフィのせいではない」と言われたようだった。しかしオルフィは、お前のせいだと糾弾されたかのように、少しうつむいて黙っていた。
「装着者を補助する魔術具というものが存在するの。剣や盾、籠手のように戦いに使われるものでは珍しくない。昨夜の騒動というのはその補助機構が働いたようにも感じられるわね」
「補助?」
オルフィは顔を上げた。
「でも俺は、酔っ払いを倒そうなんて思ってませんでした」
「けれど、身を守る気持ちはあったでしょう?」
「そりゃあ、ありましたけど」
「魔術具としては敏感かつ過剰な反応と言えるわ。作り出した者が術構成を誤ったのか、それとも」
サクレンはじっとオルフィを見ていた。
「装着者にはそれを制御できるだけの能力があるとの前提があるのか」
「……少なくとも俺にはありません」
言わずもがなのことと思いながらもオルフィは言わずにいられなかった。サクレンはそうでしょうとも違うわねとも言わなかった。
「あの」
そこでカナトが遠慮がちに声を出した。
「オルフィ、いいですか」
「うん?」
「箱をどうやって開けたかという話が、抜けていたようなんですけど」
「どうやってって、留め金を……」
言いかけてオルフィは思い出した。
「あ、魔力錠がどうとかってやつか」
「はい」
「魔力錠ですって?」
「いいですか? オルフィ」
律儀にも少年は話す許可を求めた。
「頼む」
オルフィとしてはむしろ頼みたいところだ。彼は布にくるみ、斜めがけにして身につけていた箱をその場に出した。
「導師、こちらを見ていただきたいんです」
「成程。魔力錠のようね」
サクレンは一見しただけでそれと判ったようだった。
「これをあなたが開けた、と」
「鍵なんてかかってなかったん……だけど……」
語尾が弱まる。ふたりの魔術師が揃って彼を見る。
「いまは開けられない、と」
「開かない、です」
オルフィは力を込めて蓋を開けようとした。だがやはりびくともしない。
「どういうことでしょう、導師」
「考えられるのは、時と場所の一致ね」
「そのとき、その場所であることによって箱が開いたと?」
「施術者がそういう意図で術を編めば可能だわ。条件としてはどちらか片方ということもある。けれど、この術構成は」
サクレンは手を差し出した。少し迷ったが、オルフィは箱を渡した。
「……駄目だわ。ちっとも見えない」
ふう、と導師は息を吐いた。
「導師でも、何も?」
カナトは目を見開いた。
「預けてもらえるなら、詳細に調査をするけれど」
「だっ、駄目だ」
オルフィは慌ててサクレンの手から箱をひったくった。
「駄目だ……これは」
「何も預かったらもう返さないなんてことはないわよ」
少し呆れたように導師は言った。
「判ってる、判ってます。導師を疑うんじゃない。ただ……駄目です」
オルフィは唇を結んだ。
「導師、ちょっとすみません」
カナトは師に謝罪すると、そっとオルフィに耳打ちをした。
「籠手はどうせ預けられないんですし、箱ならいいじゃないですか」
「悪い、カナト」
彼は息を吐いた。
「――嫌なんだ」
「オルフィ……」
「すまない」
繰り返し、彼は謝った。カナトには本当に申し訳ないことをしていると感じる。
だが駄目だ。嫌なのだ。これ以上、ジョリスとの約束を破るのは。
(馬鹿みたいなわがままかもしれない)
(ジョリス様が神父様以外に渡さないよう仰ったのは籠手のことであって箱はどうでもいいのかもしれないし、ここで導師に預けた方が判ることだってあるかもしれないのに)
それは判っていた。
(でも)
(……嫌なんだ)
「いえ、気にしないで下さい」
少年は首を振った。
「あの、サクレン導師、現状で何か判ることはありそうですか」
物わかりよく、カナトはオルフィの意を汲んだ。
「普通なら、『そちらの依頼である、情報を出すつもりがないならこちらから言えることない』とでも返すんだけれど」
「す、すみません」
もっともすぎることを言われ、オルフィは視線を落とした。
「仕方ない。カナトたっての頼みだものね。出し惜しみはせずに、教えましょう」
サクレンは肩をすくめた。
「籠手と箱、魔力を込めた人物は同じだわ。籠手の力を完全に抑え込むだけの完璧な封じが箱には成されていた。施術者は、封印が破れることを相当警戒していたと見えるわね」
「ですが、オルフィはそれを破った」
「お、俺が破った?」
「だから、何度もそう言ってます」
カナトは肩をすくめた。
「破ったと言うのは語弊があるかもしれませんけれど。オルフィだから開けられた。僕はそう考えてます」
「あなたは少なくとも、時または場所を違うことなく拾い上げるだけの力を持った人物ということになるでしょう」
導師も続けた。
「偶然と言おうと、運命と言おうと、起きたことに変わりはないわ。私たちは〈定めの鎖〉がもたらす事象などと言うのだけれど、その鎖を目にすることができる者はいない。運命に証拠はないのだから」
穏やかにサクレンは言った。
「証拠、か」
オルフィは繰り返した。
「そんなものがあったら、楽だろうな」
彼は呟いた。
「『この選択は間違っていなかった』……いや、『間違っていた』でもいい。明確な答えなんてないから、迷うんだろ。正解ですとか不正解ですとか、証拠があれば楽だよな」
少し笑って彼は言った。
「でも実際のところそんなものはないんだから、自分で考えるしかないけど」
「ええ、その通りだわ」
導師はこくりとうなずいた。
「あなたはなかなか、よい感性を持っているようね」
「へ?」
「大切なものよ。損なうことなく、育むようになさい」
「はあ……」
何か褒められ、助言を受けたようだが、どうにもぴんとこない。オルフィは中途半端に口を開けて返事にならない返事をした。
「適切な人物だけが開けることのできるように封じられた箱と、外せない籠手。オルフィ」
「は、はい」
「あなたは選ばれたのかもしれないわね」
「……は、はい?」
オルフィは目を見開いた。
「誰に?」
思わず直接的な疑問を返す。
「それは、施術者にということになるかしら」
「誰ですか、それ」
「さあ、判らない」
「何で、誰だかも判らない人物が俺を選んだりするんですか? 俺の知ってる人ってこと?」
「そうではないのよ。施術者がもし予知の力を持っていたのだとすれば、あなたがその人物を知るかどうか、いえ、その人物があなたを知るかどうかは関係ないの」
「ルクリエ」
聞き慣れない言葉だ。オルフィはちらりとカナトを見た。
「未来を見る魔力ということです。大まかな説明になりますけど」
「あんがと」
「あなたがここへやってきた理由は、籠手を外すことができないかという相談だと思うけれど」
どうかしらと言うようにサクレンはオルフィを見て言葉を切った。
「はい、そうなります」
とにかく籠手を外してジョリスに返せる状態にしたいというのがオルフィの望みだ。無事に外せたとしても、ジョリスには全て話すつもりではいるが。




