02 最後の、助言
「――理解していただけていないのであれば、また言うとしよう」
ロズウィンドは息を吐いた。
「私が栄光を求めるのではない、と」
たとえ怖れられ、憎まれ、狂王と呼ばれるようなことがあっても。「ロズウィンド」の名がどれだけ地に落ちても。そんなことはかまわない。
彼は心からそう思っていた。
ただ、その代わりに。
「エクールの栄光」
泣きそうな顔で少年は呟く。
「そんなものは、幻想なのに」
「幻想ではない、湖神よ。高みにいるあなたには却って判らないのかもしれないが」
「何より、ここで起きたこと。レヴラール王子のことです」
その弁舌を無視して、少年は言った。ロズウィンドは肩をすくめた。
「成程。卑怯な仇討ちであったと」
「的外れな仇討ちです。いいえ、仇討ちというのは言い訳に過ぎない。今度は自分自身への言い訳ではなく――クロシアさんへの」
じっと両者の話を聞いていたクロシアは、自らの名にぴくりとした。
「あなたは、レヴラール王子がいなくなってしまえば都合がいいから、そうなるようにしただけだ。もちろんあなたの計画には、彼を死に至らしめることがあったでしょう。ですが正義のふりをすることさえ、面倒に思ったかのように」
少年は首を振った。
「神子の仇というもっともらしい理由は、かつて奪われた土地を取り返すのが正当だと言うのと同じように的を外している」
「自分の神子が殺されたことに対して、その仇討ちが的外れだと? 成程、あれは殺した当人ではない。その通りだとも。かつての王とて、自ら手を下したのではないだろう。だが自らの命令で行われたことに責任を持つのが王であり、先祖の行為であろうと王家の成したことに責任を持つのも王家だ。そういうものではないかな?」
「そうしたこともあるでしょう。あなたがそういう考えでいることは判っています。先祖の……ナイリアンの一族に敗北した責任を取ろうというのが、発端のひとつであったでしょうから」
「さすが、我が神は何でもご存知だ」
その声には、揶揄が混ざっただろうか。
「僕は神じゃない!」
不意に、少年は叫んだ。
「湖神と呼ばれ、受け入れてきました。ずっと、長いこと。別に嫌々だった訳じゃない。彼らと近くあり、共に生きてきた。でも僕ばかりが彼らに影響を与えてきたんじゃない、僕も彼らからたくさん学びました」
少年は唇を噛んだ。
「これまで言ったようなことは、僕独特の倫理観という訳でもありません。畔の村に暮らす人々から学んだことです。鄙びた村に見えても、彼らは誇り高く、同時に優しく、相手のことを思いやりながら生きている。そうした彼らだからこそ僕は守りたいんです」
「他者を踏みにじって得る勝利に栄光はない。そんな話を?」
「そう、です。でも」
少し躊躇ってから彼は続けた。
「でも……あなたはそんなこともみんな、判っている。なのに偽りの栄光を求め続けている。悪魔に歪められているんです」
「歪められて」
ロズウィンドは繰り返した。
「――力と引き替えならば、私はそれも厭わない」
それが王子の答えだった。おそらくは、とうに出していた。
エク=ヴーにも、判っていた。
それでも、引き戻せないものかと、問いかけずにはいられなかった。
まだ悪魔の力を欲するのかと。
「では、僕はもう、あなたを守ることはできません」
哀しみに満ちた瞳で、少年は告げた。
「血筋だけではなく意志だと、あなたも僕も言った通り。あなたはエクールの民の誇りよりも……いいえ、人の心よりも、悪魔の力を取った。隙を突かれ、やむを得なく選んだ一度目とは違う」
「二度はない、ということか」
ロズウィンドはきゅっと目を細めた。
「ふ、ふふ……」
その口から笑いが洩れる。
「湖神からエクールの民の栄光を否定されたのみならず、加護さえも拒否されるとはな。では私は、何のために、続けるのか?」
自問に、しかし、後悔や戸惑いはなかった。
彼の答えは定まっている。定まったまま。変わることがない。
歪められているから。歪みを受け入れたから。
「いいだろう」
彼は言った。
「既に冥界神に喧嘩を売った身だ。エクールの守護神に見捨てられたとて、行き先は変わらない」
「もはやそれは、あなた自身の満足のためでしかない。いえ、最初から」
少年こそが絶望しているかのようだった。
「自分はどうなってもいいと言う……それは崇高な自己犠牲などではなく、目的を果たしたあとのことを考えないから。考えることをやめたから。どうして」
ぐっと彼は拳を握った。
「どうして……こんな僕がエクールの民の神なんかでいられるものか。あなたの、心を取り戻すことも、できないで」
絞り出すような悔恨も、哀れな民の凍った心を溶かすことは、なかった。
「最後の、助言です。忠告と言うべきかもしれない」
少年は守りたかった相手の瞳をじっとのぞき込んだ。
「ラシアッドへ。あなたはいま、スイリエの王城に帰るべきです。先ほどまでの結界はもうありませんし、この城には騎士たちも戻ってくるところです。それに……」
「成程、真っ当な忠告だ」
ロズウィンドは肩をすくめた。
「確かに、私がここにいるとなればいろいろ不都合だな。いまが好機と見て力で押し通してしまう手もあるが、時間と手間を惜しまなければもう少し賢い方法もある」
「……それじゃ」
「最後の忠告に従おう、湖神エク=ヴー。いや、カナトと、言ったか」
「――ええ」
少年はうなずいた。
「さようなら。もし、一個人として、ただ懐かしさからエクール湖を訪れることがあるなら……歓迎します」
「は」
ロズウィンドは笑った。
「神ではないと言うが、ならば聖人だな」
その揶揄だか、もしかしたら本音に、カナトは少し顔を赤くした。
「ノイ」
「……は」
「いまは帰るとしよう。またすぐにやってくることになるかもしれないが」
「仰せの、ままに」
ノイ・クロシアは面を伏せたままで一礼をした。
少年の気遣わしげな視線は、彼の上にもまた、あった。




