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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第9話・最終話 栄光と正義 第3章

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10 ものすごく、運のいいこと

 それは意地でもあったが、腕を下ろすことが失敗につながるというのも事実ではあった。オルフィは左腕の筋肉に意識を集中させた。痙攣するように腕が小刻みに震え出す。

(くっそ……感覚が)

 腕の感覚がなくなってくる。意志の力だけでこの状態を維持するのはもう無理だという段階になった、そのとき。

「うわっ」

 まるで弾かれたようにオルフィは大きく後ろにのけぞった。怖ろしいまでの重さが急になくなったのだ。何とか踏ん張ろうとしたが甲斐なく、彼は背中から石畳に倒れる。とっさに受け身を取れたのはヴィレドーンの経験故だ。

「いまのは」

 慌てて彼は立ち上がった。

(しくじった、のか?)

 すっと血の気の引く思い。まさかまた、彼は失敗してしまったのか。守れたかもしれない場所を危険にさらして――。

「あ……」

 彼は目を見開いた。

 青白い光に包まれた化け物は宙に浮いて、網に絡め取られたように手足をばたつかせている。その腐った顔がオルフィの方を向き、眼窩の奥の赤い光を恨めしげに光らせた。

 かと思うとそれは急速に縮んでいった。通常の人間の二、三倍はあった身体がみるみると拳よりも小さくなってしまう様は奇怪な夢のようだった。

 そして目に見えなくなるほど縮小すると、それは揺らめきに引っ張られるように彼らの集中した一点に吸い込まれ、消えてしまった。

「やった、のか……?」

 呆然とオルフィは呟く。

「どうやら、そのようだ」

 ジョリスが答えた。彼にもまたオルフィと同じことが起きたと思われるが、転んだ様子はない。さすがだと思うような、少しだけ、悔しいと思うような。

「アレスディアの力か。凄いものだな。怖ろしいほどだ」

 〈白光の騎士〉は右腕の籠手を撫でた。

「あ、だ、大丈夫っすか、ジョリス様。右腕……」

「貴殿はどうだ?」

「え?……あ」

 彼は左手をぶんぶんと振った。

「あれ? ちぎれるかと思うほどだったのに」

 あのような力をかければ、酷く腕を痛めてもおかしくない。前触れもなく重さがなくなった反動だって、ずいぶんな負荷があったはずだ。

 なのに、何ともない。林檎(レフェウ)ひとつ、持ってなどいなかったかのよう。

「私も同じだ。だが、いまは何も感じない。不思議なものだな。うむ……」

 ジョリスは少し顔をしかめた。

「邪なものではない、と判る。かと言って聖なるものという訳でもないが、忌避すると言うのではない。ただ……いや」

 珍しく彼は言葉を濁した。

「よそう」

 彼が言いやめたことが何であるか、オルフィにも判るようではあった。「不思議なもの」「理解できないもの」、彼らはそうしたものに助けられてきたし、判らないからという理由で否定するのは視野の狭い考えだ。理屈で思うばかりでなく、心でも納得している、そのつもりでいる。

 だが、判らないものは判らないのだ。

 「不思議で理解できないが、便利で助かるのだからいい」――とまでは割り切れない、かすかなわだかまり。偏見の類とは違う、これは一種の悔しさだろうか。どんなに鍛錬しても自分では手に入れることのできない力への。

(……ジョリス様でも、そんなふうに、思うのかな)

 万能であれたらとの願いは、自身の名誉のためではない。もっと力があれば、もっと自分が役に立つ(・・・・)のではないかという思い。

 だが実際には、人は万能ではいられない。だから仕方ないのだと諦める――割り切ることも重要だ。しかしそれを言い訳にしてはならないという自戒、ある種の向上心、またある種の欲望、何と言うにせよ、上を見ることを忘れるべきではないという考えもある。

 しかし魔力の類は、努力して得られるものではない。それこそ悪魔と契約でもすれば別だが、そうした特異で邪な手段を除けば、生まれ持たない限りどうしようもないのだ。

 その手の力が必要となったとき、たとえば完全に個人の事情であれば、自分の力だけでどうにかしたいというわがままのため、意地で助けを拒絶するようなこともあるだろう。しかし他者の命や安全に責任を持つナイリアンの騎士であれば、むしろ頼み込んででも力を借りることが必要だし、躊躇ってはならない。

 でもどこかには、やはり、あるのだ。何くそ、と。自分にもそんな力さえあれば、と。

(本当に求めると言うのとは違う。ただちょっと、自分にできないのが悔しい)

(いまの俺はそんなとこだけど……)

 ヴィレドーンとハサレックは、理由はどうあれ、「本当に求め」た。ジョリスはおそらく、その境界を越えることはないだろう。

「空も少し明るくなったようだ」

 ジョリスが空を見上げた。オルフィも同じようにする。

「ところで」

 騎士は淡々と続けた。そうして見上げれば、目に入るものが当然、ある。

「あの生き物について、おそらく貴殿は何かご存知なのだろうな」

 翼ある方ではなく、とジョリスはつけ加えた。そちらについてもオルフィはいくらか知っているが、知識としてはジョリスも同じくらいのことを把握しているだろうし、ここでわざわざ「あれは悪魔か」と確認などするまでもない。

「湖神です」

 まず簡潔にオルフィは言った。

「エクール湖の神エク=ヴー。そして、俺の友人のカナトです」

 そのふたつはなかなか同一視できないものだったろう。オルフィ自身は納得こそしているものの、それを事実として説明すれば珍妙に聞こえることは承知しているし、軽々しく話して回るつもりなどない。

 だが相手はジョリス・オードナーである。隠しごとは無用どころか彼の使命の邪魔になりかねないし、ジョリスならば理解してくれる――少なくとも頭から否定することは絶対にないと判っていたからだ。

「カナトとは、ハサレックに殺されたという少年の名と同じだな」

「はい。そのカナトです。死んでなんか、いませんでした」

「ふむ」

 やはり騎士は短い問答のなかでどうにか理解しようとしてくれた。

 詳しい話をしている時間は、まだない。

「俺はあいつを手伝いにきたんです。陣に使われた何とか言う石の穢れを結集したものがここに集まるから、それをジョリス様とアレスディアの力で獄界へ追い返せって言われて」

「誰がそのような――いや」

 ジョリスは首を振った。

「そうした話も、よすか」

「ですね。いまは」

 重要でない訳ではない。だがあと回しにしても差し支えはない。

 いま、何よりも優先すべきことはしかし、オルフィとジョリスでは異なった。

「私は王城へ戻る」

 騎士は短く言った。

「貴殿は彼を手伝うと」

「ええ」

 彼はこくりとうなずき、はっとして辺りを見回した。

「そうだ、ジョリス様。これを」

 オルフィは化け物に倒された際に取り落とした細剣を見つけると拾い上げた。

「――それなりの、もんです。城に戻ればもっといいものもあるかもしれませんけど」

 手入れをされていたとは言え、三十年前のものだ。だが一時的にでも助けになればと思った。

「俺の戦いには、とりあえず、剣は要らないんで」

「……そうか」

 ジョリスは礼を言うと差し出された細剣を受け取り、それからオルフィに目を移した。

「えっと」

 オルフィはもぞもぞする。初めて会ったときほどではないが、それでも〈白光の騎士〉とこうしてふたりで話していると思えば「オルフィ部分」は緊張した。

「では、私はこれを」

「……え」

 彼は目をしばたたいた。ジョリスは右腕から青色の籠手を外すと、彼に差し出したのだ。

「えっ、はっ、外せるんですか!?」

 思わずオルフィはそこに反応した。ジョリスは片眉を上げた。

「あ、いや、すんません。何でもないです」

(そうか。そうだよな)

(アレスディアは、記憶のない俺への守りだったんだから、強制的に装着させられたんだ。ジョリス様にその必要はないし、いまは俺だって、アレスディアの力を進んで借りる気になってるんだから)

 おそらく、外そうとすれば何ごともなかったように外れるのではないか。そう思ったオルフィだが、敢えて試すことはしなかった。いまそんなことをすれば助力を拒否するかのようだからだ。仮にそうしたところで、そんなことでラバンネルが腹を立てるとも思えなかったが。

「――有難うございます」

 彼は神妙な顔つきでもう片方のアレスディアを受け取った。

「俺は、この籠手に相応しいとも思えない。でも借りられる力は借ります。力を貸してもらえるってことは、ものすごく、運のいいことなんだ」

 右の籠手もまた、しっくりと彼の腕に馴染んだ。

(怖いくらいだ)

(でも……本当に怖ろしいって訳じゃなくて、何て言うか)

(掌の上、みたいな)

 もちろんラバンネルは好意で、或いは彼らと同じように人々を守りたいという気持ちで協力をしてくれている。判っているのだが、何だか「敵わないのが情けない」と感じるのだ。

 アバスターには、思わない。この差は何なのか。ラバンネルの魔力は先ほど思ったように彼らの努力や訓練の届かないところにあるのだから、「敵わなくても仕方ない」はずなのだが。

(まあ、理由は判ってると言えば、判ってる)

 オルフィは両腕の装備を確認した。

(いまは、下らんことは考えずに、やれることをやろう)

「オルフィ」

 名を呼ばれて彼は顔を上げた。

「武運を」

「――はい。ジョリス様も……城の方、よろしくお願いします」

 彼が「よろしく」と言うのもおかしな話だ。だが騎士は特に指摘することなく、ただうなずいた。

(もしかしたら、何か知ってるのかな)

 彼が〈漆黒の騎士〉であったこと。

 ラバンネルが話していれば、知っていてもおかしくはない。

(知っていながら、籠手を渡してくれたんであれば)

(その信頼に、報いなくちゃ、な)

 ぎゅっと両手を握ると、両腕に籠手の感触があった。

 〈白光の騎士〉を見送り、オルフィは空を見上げた。


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