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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第9話・最終話 栄光と正義 第3章

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09 今度は、成し遂げる

(まずは俺が囮になって走り回るか)

 それはジョリスが考えたこととほぼ同じだった。ひとりが攪乱できれば、もうひとりの戦いはぐんと楽になる。

 だが、それは何もジョリスに任せきりにするという意味でもなかった。囮の方が危険でもあるが、そういうことでもない。

 初めてだ。当たり前のことではあるが――ジョリス・オードナーとの連携など。

 憧れの騎士との共闘。少し前のオルフィなら、あまりにも夢想的で子供っぽい想像だと考えるだろう。ジョリスと会う前でも、会ったあとでも。記憶が戻る前は。

 いまとなっては不思議な気分だ。〈漆黒の騎士〉などと名乗れるはずもないが、それでも彼とてナイリアンの騎士であった者。ファローに仲間として抱いていた尊敬がジョリスに対するものと自然に重なる。

 彼は、オルフィだ。

 彼は、ヴィレドーンだ。

 剣を手にしているいま、そこに矛盾(レドウ)を覚えなかった。

(とにかく、まずは、ジョリス様に俺がやれるってことを判ってもらう)

 ろくに剣を扱ったこともない田舎の若者が無謀にも飛び込んできたのではないということ。ジョリスが彼を守ろうなどと考えないように。

(次は、そのあとだ)

 彼には作戦があった。いや、彼が作戦を立てたという訳でもない。何しろ、ナイリアールの現状など何も知らなかったのだから。

 だが――いささか奇怪でも――助言がある。彼はそれを信じる。

(この化け物を倒すことがナイリアールを守り、ジョリス様を助け、カナトを手伝うことにもなるってんだから)

(兎を仕留めた狐を仕留めた猟師を捕まえるみたいなもんだ!)

 守る。助ける。

 ナイリアールを。これは騎士の記憶が言わせる。だが上辺だけでもないつもりだ。

 ジョリスを。これはオルフィとしては面映ゆい。自分が彼を助けるなど何の冗談だとも思うが、同時にヴィレドーンであった自分には可能であると判っている。

 そしてカナト。これは、友人を助けたいという気持ち以外の何ものでもない。できるかとかできないかとか、そんなことを考えるより、とにかく「馬鹿野郎、ひとりで突っ走ってんじゃない」と怒ってやるために。

(俺が)

(俺たちがいるんだからな、カナト!)

 過去を思い出してから、オルフィはずっと迷ってきた。後悔と罪の意識に苛まれた。

 正直なところ、それを忘れるために訓練に打ち込んだとも言える。ハサレックを追い、けりをつけることで贖罪のかけらくらいにはなるかと。

 だが迷いのあるままで、悪魔の誘惑をはねつけることは難しかった。彼は大きくぐらついた。あの時間軸にひとりでいたなら、アバスターやジョリスのように拒否することのできぬまま、結局ニイロドスの思い通りになったのではないか。

 しかし、そんな彼をカナトが叱ってくれた。

 いや、あれは厳密には「カナト」ではなかったのかもしれない。もしかしたらその「母」カーナヴィエタ。明らかにカナトの記憶を持っているようではあったが、その辺りはオルフィの記憶を読んだのかもしれない。湖神に何ができるか、その片鱗すらろくに知らないからただの推測に過ぎないが、そう考えると辻褄の合うことが多いのだ。

 もっとも、それだってどうでもいい。あの声を彼に届けてくれたのがカーナヴィエタであったとしても、その言葉はカナトのものだった。オルフィを案じる友として。

 おかげで彼は悪魔を退けることができた。

 ただ、それでよかったのか。本当に。その答えはいまでも明瞭ではない。

 カナトは死んでいなかったと言えるようだが、ファローは。メルエラは。過去のことだからと割り切れるのか。

 迷いは、解決した訳ではない。もしもう一度同じ提示をされたなら、彼はやはり迷うだろう。

 それでもいまは、迷いを捨てた。

 もしまた悔やむことになっても、そのときはそのときだ。

 いまはただ、全力で、彼にできることをする。

(それがここで、剣を振ること)

(……ジョリス様と一緒に戦えて嬉しいだなんて、こう、軽薄な考えは捨ててだな)

 巨人を翻弄すべく、右へ左へと飛び回りながら彼はジョリスの動きを視界の端に収めようとしていた。

 ジョリスはすぐにオルフィの技能に気づき――サレーヒらから聞いて何か知っているのかもしれない、とも思った――庇護すべき相手ではなく、味方として、仲間として彼と連携を取ろうとしていた。

 それがとてつもなく誇らしい、と感じるのもどこか奇妙な感覚だが――誇らしく感じるのは「オルフィ」部分だけだからだ――いまは無視するだけ。

 目を引くためにわざと剣をぶんぶん振れば、バームエームはオルフィを目障りと見て彼に槌を振るう。文字通り必死でそれを避け、巧くいくようなら斬りつける。無理はしない。いまはとにかく、彼に引きつけるだけ。

 繰り返す内に、バームエームはまずオルフィをどうにかしようと考えてくれたようだった。

「うおっ、やべえ」

 槌が当たらないと見て、残り三本の腕で捕まえにやってきたのだ。

「気をつけろ! 速さがある!」

 ジョリスから忠告が飛んだ。確かに、意外と速い。この巨体でこの速さなのだから、同じ大きさであったなら彼らの速度を上回ることにもなりそうだった。

(集中すれば、何とか!)

 三本の腕というのが曲者だ。二本ならばその経路は限られるが、三本目がその常識を混乱させる。なおかつ、槌を持つもう一本の腕にも警戒を怠ることはできない。必ず振るってこないとも限らない。

 ジョリスの姿が視界に映る。騎士が機会を狙っているのが判った。

(よし、それなら)

 オルフィは決めた。

(ジョリス様なら、きっとやって下さる!)

 彼は思い切って横に大きく飛び、そのまま回って受け身を取った。捕らえようとする側には絶好の機会だ。幸いにして彼には見えなかったが、化け物の腐った顔はにやりと不気味に歪んだ。

 そのとき、〈白光の騎士〉は跳んだ。細剣を槍のように持ち替え、それを深々と化け物の背中に刺し込んだ。

「うぐおおおおお」

 これにはさすがの化け物も苦痛の悲鳴を上げた。目の前のオルフィのことも忘れ、槌を取り落として苦痛の元を取り除かんと背中に手を回そうとしたが、四本の腕でもそれは成せなかった。

「――刃が保たないな」

 しかし、ジョリスは呟いた。

「傷は負わせたが、あれが獄界の生き物なら」

 彼が思い出していたのは、人ならざる身体になって死んでいった、友のことだった。

 事実、刃を刺し込んだ辺りからしゅうしゅうと黒い煙が立ち上り、程なく柄だけになったそれが落下した。傷口には黒い血が盛り上がり、それをふさぐべく立ち働いていた。

「ジョリス様」

 オルフィは騎士を見た。

「いましかない。南の方に立って下さい。そして籠手を」

 説明の足りない要請に騎士は何を聞いて取ったか。少なくとも詳細を尋ねて時間を取るような愚は冒さず、うなずくとすぐに言われた位置に移動した。オルフィは、その対局へと小走りに。

「行ける」

 確信があった。

 おそらくは、ジョリスにも。

 オルフィは左手を掲げた。

 ジョリスも、右手を。

 そう、彼らの利き腕に装着された青き籠手。〈閃光〉の銘を持つ、アレスディア。大導師ラバンネルの力が込められた。

 オルフィは知っていた。先ほど畔の村で教えられた、ということもある。だがそれ以前。三十年近く前の話。

 村を襲った悪魔の炎は、もう少しで押し返せるはずだったのだ。やってきた場所へ。獄界へ。

 だがほんの少しだけ足りなかった。湖神エク=ヴー――カーナヴィエタ、大導師ラバンネル、英雄アバスターの力をもってしても。いや、ヴィレドーンがもう少しだけ、我を保っていられたなら、結果は異なったかもしれない。

 彼のせいだとオルフィは思っていた。

 ラバンネルは、その力を押し返すための助言をくれて、アバスターはきっちりそれに従った。ヴィレドーンがその通りにできなかったから、湖神は悪魔の力を分散させることにした。

 もっとも、彼らが聞けば、それはヴィレドーンの能力が劣ったためではないと言うだろう。何故ならそのとき、既にニイロドスはヴィレドーンから時間を「引く」ことをはじめていたからだ。

 ともあれ、あのときの彼らには可能だったのだ。獄界から生じたものを獄界に押し返すことは。

(今度は、成し遂げる!)

 彼は左肘を曲げるとアレスディアを身体の中心線に合わせた。ジョリスも同様にし、一対の籠手と魔物と、三点がほぼ一直線になる。

「アレスディア!」

 オルフィは腹の底から叫んだ。籠手は応えるようにほの青い光を放った。

「く……」

 途端、重い力がかかる。何かをアレスディアが受け止めているのか、それとも籠手そのものが発した何かの影響であるのか。

 どちらにせよ、彼らはその突然の重力に耐えた。

(見える)

 頭部の腐った巨人もまた、何かを発していた。光とは言うまい。炎のすぐ上で空気が揺らめくのに似たものが化け物の身体から立ち上っているのが見えた。

(これが魔術師たちの言う「波動」だの「気」だのってやつかな)

 ちらりと彼はそんなことを思ったが、厳密に言えば少し違った。それは化け物の命と密接につながってはいたが、命そのものが発している気ではなく――。

(――あれだ!)

 オルフィはその揺らめきが不自然に伸びている箇所を見つけた。先の方でひねられたこより(・・・)のように細くなり、一点で消えている。

「ジョリス様! あそこです!」

 彼は叫んだ。〈白光の騎士〉もオルフィの示す場所に気づき、こくりとうなずく。

「判った!」

 若者の動作は、騎士には見えていない――巨体が邪魔をしているからだ――のに、その返事に躊躇はなかった。彼にも感じられるものがあったのだ。

「おっし」

 ジョリスが正解を掴んでいることをオルフィは疑わなかった。それは「ジョリス様」への憧れによるものでもあれば、ファローへの友情から転じた〈白光の騎士〉そのものへの絶大なる信頼にもよった。

(まっすぐに)

(打ち返す!)

 褐色の瞳がきらめいた。

「――いまです!」

 揺らめきを見据えてオルフィは声を張り上げると、まっすぐに左腕を振り下ろしながら化け物を指差した。

「ぐ、ぐぐうううう」

 バームエームは悔しげなうめきを洩らしながら何かに逆らうように手を伸ばした。

「くそ」

 オルフィの額に脂汗がにじむ。

 重い。腕がちぎれそうだ。だがオルフィは一ファインたりとも腕を下げなかった。

(こんなとこで負けられるもんか)


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