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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第9話・最終話 栄光と正義 第3章

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05 悪魔そのもの

 その見晴らし台は、もう使われなくなって久しかった。

 城の尖塔から少しせり出すように設計された場所だったが、やがてより高い見張り塔が建ってからは用済みで、サボり癖のある兵士が隠れて休憩を決め込む場のようになっていた。

 もっとも普段は鍵がかかっており、そこへ続く扉が開けられるのは清掃のときくらいのものだ。

 もちろん王子であれば命じて鍵を開けさせることなど造作もないが、それはあくまでも「普段であれば」。

 「見晴らしのいい場所で見ていろ」という売り言葉をそのまま受け取ったかのように動くのは癪でもあったが、見届けたいという言葉は偽りではなかった。

 もとより、レヴラールに採れる選択肢は少なかった。それに、相手が何かを見せたいと言うのであれば、情報を手にする好機でもある。

(しかし)

(誰もいない、とはな)

 ナイリアン王族の誇りにかけても無様に助けを求める真似などする気はなかったが、奇妙なことだった。

 扉の外に控えているはずの近衛兵の姿はない。いつも忙しげに行き来している――しかし王子の姿を見れば足をとめて頭を垂れる――使用人たちの姿も全く見えない。

 異形の姿が現れたことには気づいているだろうに、サクレンやギネッツア、彼ら自身が手を離せなければその使いがやってこないのもおかしい。レヴラールは知らぬことだが、王城の護衛、この場合においては王子の安全を預かった〈黄輪の騎士〉ホルコスがいないのも有り得ない。

 だが王子は、何でもないという素振りを見せた。

 どうせ彼には判らない不思議な、十中八九、いや、十中十、邪な力のせい――などと言えば投げやりなようだが、そうしたつもりもない。

 ロズウィンドを問い詰めても何にもならないし、いい気分にさせるだけ。そう思えば確認すらも馬鹿らしいと言おうか、望ましくないと思えた。

「鍵くらい、開けられるのだろうな?」

 代わりにそうとだけ言った。

「勝手に人払いをしてくれたのだから、それくらいはやってもらわなくては」

「おやおや」

 ロズウィンドはくすりと笑った。

「ナイリアンの王子殿下は、扉を開けるのに必要な鍵の在処もご存知ないか」

「何を」

「城の主たる自覚が足りないのではないか、ということだ。使用人にやらせることなら知らずともよいというのは怠慢というもの」

「ラシアッドの王子殿下は、適材適所という言葉をご存知ないようだ」

 彼は少しやり返した。

「もとより、悪魔の力で開錠できるなら、鍵の在処などに気を割くこともなかろうに」

 強大な力を卑小なように言ってやったが、ロズウィンドは笑うだけだった。

(悪魔崇拝者という訳でもないのだな)

 挑発としては巧くなかったと思うと同時に、どんなことを言ってもこの男は激高などしないのではとも思った。

「――ここだ」

 レヴラールはきれいにされてはいるがだいぶ古びた扉に手をかけた。

 悪魔の力が既に働いたのか、はたまたほかの事情であったか、扉は何の抵抗もなく開く。少し驚いたことを見せないようにしないまま、レヴラールは先にそれをくぐった。

「ほう、これはなかなかよい場所だ」

 ロズウィンドは、本当にただ城内を案内されているかのように、尖塔のいちばん上にある旧見張り台へと足を踏み入れた。

「風もよい感じに吹いている」

「……同意は、できかねるが」

 重い感じのするべとつく風は、じっとりと肌にまとわりつくかのようだった。季節の割に温度の低い、だが爽快さの対局にあるような空気。

「この空は、いったい」

 窓越しには曇り空と思えたが、こうして出てみれば雲などなかった。分厚い白い雲が一面にあるのとも違う。昼前だと言うのに、黄昏刻のような。

太陽(リィキア)は、どこへ行った」

 呟く声がかすれた。

 尋常ではないことが起きている。それは承知していたつもりだったが、これは彼の想像を遙かに超えていた。

「湖神が勝てば、太陽も戻ってくるだろう」

 ロズウィンドは簡単に言った。

「もとより、異常が発生しているのはナイリアールだけだ。この外ではいつも通り日が射している」

「それは結構な話だ」

 皮肉を込めてレヴラールは返した。確かに全国民が不安に陥っていないのならば悪くない話だが、ナイリアールに異常が起きていることに変わりはない。

「そんなことより、彼らはどうしたのかな。ニイロドス殿のことだから、ちゃんと我々に見えるようにことを運んでくれていると思うんだが」

 ナイリアン王子の驚きを「そんなこと」で済ませて、ラシアッド王子は上空を見上げた。

「――きます」

 控えていたクロシアが言って北方を指した。

「おお」

「……何と」

 ロズウィンドは興味深げな声を出したが、レヴラールはすっと血の気を引かせた。

「まさしく、伝承に言う……悪魔そのものではないか」

 先ほども目にした湖神の姿は、〈空飛ぶ蛇〉ジェンサースと言われる竜族に似ている。もちろんレヴラールも実際に見たことはなく、書物に描かれたものだとか古宝扱いになっている絵画だとかでしか知らないが、あれがジェンサースだと言われたら信じるかもしれなかった。

 しかしそれよりも彼を驚愕させたのは、それに対峙する黒い姿。

 蝙蝠(カイルン)のような黒い翼、ごつごつとして見える二本の長い角、近くで見れば怖ろしい牙も生えているのが判っただろう。

 灰色の髪や、黒光りする鎧のようなものからのぞく手足は白く、先ほど彼らの前に現れていた人の姿のときのままだ。だがそれが却って不気味さを誘う。

 もっとも指の部分は均衡が悪く見えるほど大きなかぎ爪になっており、もしも魔業石の守護者を見ていた者でれば、あれに似ていると気づいただろう。

「あれが本当の姿、という訳か。私も初めてだ」

 ラシアッド王子はどこか楽しげだった。

「思っていたよりも巨大だな。それとも、自在に大きさを変えられるようなこともあるのかもしれないが」

 確かに、それは遠目にもずいぶんと大きく見えた。上空にあり、なおかつ見慣れないものということで遠近感が掴めなかったが、普通の人間の三倍はありそうだ。

「さて、どんな戦いが見られるのか」

 観戦を決め込むとばかりにロズウィンドは両腕を組んだ。レヴラールは唇を噛み、上空と、そして守るべき城下を交互に眺めた。

(俺は)

(何もできないのか)

 魔力もない。剣に秀でるでもない。あるのはナイリアン王家の人間だという誇りだけ。

 だがその誇りさえ、ロズウィンドの主張する事実の前では無意味だ。いや、向こうの主張などどうでもいい。明らかなる異状を前に、ただ見物していることしかできない自分に、王子の誇りなどを持つ資格があるのか。

(祈ることしか、できぬのか)

(だが誰に祈ればいい)

 いまは陣が神殿の力を封じ、もとより、祈るのは祭司長の仕事であって王族のそれではない。これまでただ形式的にしか祈ってこなかった彼の声が、非常事態だからと言って神に届くと思うほど厚顔無恥でもなかった。

(ならば)

(――湖神か)

 浮かんだ思いは皮肉めいてもいた。

 エクールの湖神エク=ヴー。かつて彼の祖先が脅威に感じたもの。ナイリアンの歴史に湖神についての記述はほとんどないが、その力と影響による恐怖で征服されることを嫌って人々は立ち上がったのだと、彼の理解はそうしたところだ。

 その辺りの差異は、既に話をした通り。どちらが正しいなどとすることは意味がない。

 もっともレヴラールはもちろん、祖先が正義を成したと信じている。彼らは争ったが、勝利した祖先たちはエクールの民を皆殺しなどにはしなかった。だからかの民はいまも残っているのだ。

 ロズウィンドに言わせればそれは湖神の力を怖れたためということであり、現在まで続く迫害もあるということだが、それとて齟齬だ。歴代のナイリアン王からすれば、独特の信仰を禁じなかったのは温情でさえある。

 しかし、意味がない。戦であった以上、敵同士だった。

 そして、湖神は当時「敵」の神であり――遠いこの時代まで復讐の意思を引きずったエクールの民が、この地を「取り返す」ために呼んだ存在。

 あの少年、エク=ヴーの化身たる子供は、ナイリアールとレヴラールを脅かしている張本人であるロズウィンドを守ると言った。ならばやはり「敵」であるかのようなのい、彼はナイリアールを救うとも。

(頭がおかしくなりそうだ)

 ナイリアン王子は歯がみした。

(俺は何を信じ、何をするべきなのか)

 できることはないのか。本当に。ただ、ここで見ているしか。

 そのとき、動きがあった。はっとしてレヴラールは身を乗り出した。

「ほう、ニイロドス殿の方から仕掛けるか」

 空中で向かい合っていた二体の異形。まずは悪魔が動いた。そのかぎ爪のある手を大きく振り上げ、勢いよく振り下ろす。するとそこから、黒い風のようなものが飛び出した。

 エク=ヴーはゆらりと全身をくねらせて容易にそれを避けた。風はその遙か後方で散った。

「次はエク=ヴーか」

 湖神の長い身体がほのかに光っているように見えた。レヴラールはまばたきをして、錯覚でないことを確認する。

「……おや、すぐさま反撃という様子でもないね」

 竜身は宙に揺らめいたままだった。

(あの場所は)

(――あの下は)

 レヴラールははっとした。

 湖神がそこにいるのはたまたまなのか。それとも何かしらの意図があって。

(神殿街区だ)

 どういうことであるのか。その光は、ちらちらと舞いはじめると、街の――神殿の方に降り注いでいった。

「ほう?」

 ロズウィンドもそれを見守るようにする。

 そのとき、彼らは反射的にびくりとした。

 ゴーン、ゴーン――と静寂を破って響き渡ったのは、正午の鐘の音だった。


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