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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第9話・最終話 栄光と正義 第3章

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04 とりあえずは

 空を飛ぶ異形の姿は、当然でもあるが、生憎とナイリアールの民たちのほとんどを更なる恐怖に突き落とした。

 ごくごく一部の特殊な者――人外や竜族について学んだ変わり者の魔術師や、普段の生活には役に立たない狭く深い知識を持った学者というような――は、あれは悪いものではないと言い、街の異状とは関わりがないと言ったが、騎士の活躍ほどにもその話が知れ渡ることはなかった。

 それでも「化け物」が街に火を吐いたりすることはないようだと、本格的な恐慌状態には陥っていなかった。不安がいや増したというところだ。

「ようやく、きたか」

 ロズウィンドは窓の方に寄るとかすかに口の端を上げた。

「レヴラール殿。見るがいい。湖神が、戻るべき空に戻ってきた姿を」

「湖神、だと」

 言われるままに歩み寄るのは少し抵抗があったが、子供じみた反発心は抑えることにして、窓辺に近づいた。

「あれは……」

 ナイリアン王子もまた、目にした。街道の魔物すら見たことのない彼がそれを見て驚きの声を発さなかったのは、ひとえに自尊心故であろう。

「湖神だと。あれが」

 邪なものだとは感じなかった。しかし「神」と言うほど神秘的にも思えなかった。

 ヒトから大きく離れた生き物だ。伝説の竜の姿に似ているが、神話の顕現だとは感じなかった。

 それはレヴラールがエクールの民ではないからかもしれないし――ある種の正しい目を持っていたためかもしれなかった。

 実際、エク=ヴーは神殿の言うところの「土地神」であっても、神界神とは大きく異なる。神のように列されることもある竜族からも離れている。

「もっとよく見えるところに行こうではないか。そこの露台、いや、見張り台のような場所がいい。どうかな、レヴラール殿」

「む……」

 呑気に見物しようとでもいう物言いにレヴラールは戸惑った。

「案じずとも、何も企んでいない」

 肩をすくめてロズウィンドは言った。

「企みのある者は、企みがあるとは言わぬものだが」

 ちくりとやってからレヴラールは口の端を上げた。

「では『何を考えている』と問おうか。異形の姿をただ見物したいと言うのでもあるまい」

「見ていたいとも。あれは我らがずっと祈りを捧げてきた神だ。エクール湖の畔に暮らしていてもそうそう目にできることはない上、ここ十四年は湖からも遠ざかっていた」

 ロズウィンドの声にはどこか熱っぽいものが混じった。

「ああ、見ていたいとも。異形と貶めたければ好きにするがいい。かつては貴様らも湖神を怖れ、その眠りの時機をうかがったものだがな」

「――あんまり、過大な評価をされても、ちょっと困ります」

 そのとき、言葉の通りに困ったような声がした。ふたりの王子ははっとしてそれを見る。

「何者、だ」

 戸惑ったのはレヴラールだった。

「初めまして、王子殿下。僕はカナトと言います」

 少年は丁寧に頭を下げ、挨拶などした。

「そのような真似はよしていただきたい」

 ロズウィンドは唇を歪めた。

「敵国の王子だ」

「僕は、敵国とは思ってないです。ナイリアンで暮らしてきたんですし」

「ははっ」

 笑い声がした。

「いったい何を仕掛けてくるかと思えば、まず王子殿下に挨拶とはね! 面白いな、『ヒト』の部分が強いんだ、君には」

 次には羽根飾りのついた帽子をかぶった青年の姿が。

「そうですね、否定はしません。僕は自分が人間じゃないことを知ってますが、やっぱり人間として過ごしてきましたから」

 何でもないことのように少年は答えた。

「いったい、何の、話を」

 レヴラールが見るのは初めてだった。この少年の姿をしたものも。青年の姿をしたものも。

「そのつもりはなかったが」

 ラシアッド王子は肩をすくめた。

「ご紹介するとしよう。こちらの少年はエク=ヴーの化身……我らが神だ」

 それは狂人の台詞としか聞こえなかった。レヴラールがぽかんとしたのも致し方ないだろう。

 彼は窓の外を見上げた。ついいましがたまで見えていた大きな姿は、その上空にない。

「いや、まさか……」

「信じがたくとも、そう(・・)なのだ」

 教え諭すかのようにロズウィンドは言った。満足気でもあった。

「エク=ヴーなら人の姿を取ると言うのではありません。僕はとても特殊な例だとお考え下さい」

「あ、ああ。そ、そうなのか」

 ナイリアン王子は目を白黒させるしかなかった。

「そしてこちらについては」

 ロズウィンドはニイロドスを振り返った。

「おそらく、貴殿のためには、紹介などしない方がよかろうな」

 ラシアッド王子は何もナイリアン王子の身を気遣ったのではなく――当然とも言える――そうした言い方で悪魔の存在をほのめかしたのであった。

 だが言われずとも、レヴラールはこの声に聞き覚えがあった。コルシェントやハサレックの正体が明らかになった場でどこからともなく聞こえた、ぞっとする声。

 美しい青年の顔をしているのに、そら怖ろしい。全身に粟が立つような感覚。

「特例ね。特殊な存在」

 ニイロドスは繰り返した。

「いいね、そういうのは」

 そしてにこりと笑う。

「でも、どうかな」

 次には、芝居がかって首をかしげた。

「あのときの君は、なかなかだった。少々乱暴ではあったけれど、僕の炎から村の壊滅を防いだ。でもいまは、どうなのかな」

 ニイロドスは胡乱そうに少年を見た。

「人間の姿、心……弱くて壊れやすいものに依存している現状では、あれだけの力を振るえるとはとても思えないな」

「どうでしょうか」

 少年は肯定も反発もしなかった。

「それは、やってみたら判るんじゃないでしょうか」

「は、面白い」

 悪魔は本当に面白そうに笑った。

「いいね! やろうか!」

 その笑みはいつものくすくす笑いとは違い、まるで興奮のあまり洩れ出てしまったかのようだった。

「今度は、僕の炎を君が散らすなんていう行儀のいい遊戯じゃない。剣を交える――ことは難しいけれど、それに等しい勝負を。そうだね、人間ふうに言うのなら決闘というところ?」

 その目はぎらぎらと輝いていた。

「ナイリアールに蔓延らんとする獄界の霧を晴らすこと。エクールの末裔を守ること。ロズウィンドを僕の手から守ること。どうやったら全て叶うと思っているのか、とても興味があるね!」

「とりあえずは、あなたを退ければいいんじゃないでしょうか?」

 カナト少年を知る者がここにいたなら、らしからぬ挑発的な物言いに驚いただろう。だが何も、彼の性格が変わったという訳ではない。オルフィならば気づいただろうか。

 彼が怒っていることに。

「ふふ、いいね」

 三度(みたび)悪魔は言った。

「では戻ろうか。向こうに」

 青年の姿をした生き物は街の方を指した。

「こんな狭い場所じゃもったいないからね」

「街の人には危害を加えないように、というのはそちらにも配慮してもらいたいところですが」

「あはは、馬鹿なことを言うものじゃないよ。どうしてそんなことをする必要が?」

 ニイロドスは一蹴した。

「おやおや、そんな怖い顔をするものじゃない。特に配慮はしないが、人質に取るような真似もしない。これでどうかな?」

「……いいでしょう」

 こくりと少年はうなずいた。

「では、外に」

「はは、それじゃ王子様方。どこか見晴らしのいい場所で見ているといいよ」

 そんなふうに言葉を投げて、二体の人外はすっと姿を消した。レヴラールが素早く外を見れば――何やら上空に影のようなものが見えた気がした。

「これは、面白い」

 ロズウィンドは微笑みながら言った。

「湖神があれほど、やる気になってくれるとは。嬉しい計算外だね」

「いったいどういうことなんだ」

 レヴラールは問わずにはいられなかった。

「湖神だと。ナイリアールを守るなどと言ったか」

「本来、エク=ヴーにその義務はかけらたりともない。厚意に感謝するといい、レヴラール殿」

 ロズウィンドは答えとしては足りない答えを返した。レヴラールはその意味をただ考えるしかない。

 湖神と言った。信じがたい、というのはロズウィンドの言う通りだ。あのような異形も――必ずしも悪い意味でその表現を使うのではなかった――、それが人の姿を取るというのも、まるで伝説。神話。王子には縁のなかったもの。

 だが、騙されているとは思わなかった。

 悪魔について感じるところがあったように、湖神についてもまた。

 彼にエクールの血は混じっていないが、感受性は鋭い。遠い祖先が非常に警戒した強い生き物であること、気づかずにはいられなかった。

 もっともいまは判らない。彼は「カナト」を知らなかったが、あの少年は彼の――ナイリアンの敵ではなさそうに思えるものの、かと言って味方なのかも判らない。悪魔と戦い、ナイリアールの民を守るという話は紛う方なき味方のようなのに、ロズウィンドをも守ると言う。

(ナイリアンという枠で括ろうとするのが)

(間違って、いるのか)

 王子たる身には受け入れがたいことだった。この状況でラシアッドは、ロズウィンドは、それこそ紛う方なき敵だからだ。

 しかしまだナイリアンもラシアッドもなかった頃、湖神はエクール湖から、このナイリアール――当時はそういう名ではなかったとしても――までをも守っていた。

 湖神を信じ、その加護を祈る者を。

 もしかしたら、そうではない者までをも。

「……いいだろう」

 低く、レヴラールは呟いた。

「もっと見やすい場所にと言ったな」

 彼はすっと窓を離れた。ロズウィンドやクロシアの方は、見なかった。

「私も見届けたい。見届けなければならない」


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