04 心配は要りません
サクレン導師からカナトに連絡があったのは、それから少しあとのことだった。
突然カナトが足をとめたのでオルフィはカナトをおいていきそうになり、気づいて声をかけたが彼が反応しなかったので、いったい何が起きたのかと不安になった。そのとき少年魔術師は、導師から発された心の声とやらを聞いていたらしい。
カナトはぱっと顔を上げると、すぐに行きましょうと言って彼の手を取った。一瞬びっくりしたオルフィだったが、導師からの連絡のことに思い当たると判ったとうなずいた。
だが――。
協会へと向かう道すがら、彼はまだ迷っていたと言える。
いや、決断はしていた。
(ジョリス様の名を出すことだけはできない)
それがオルフィの決めたことだった。
協会で導師に全て話してしまうことがジョリスの迷惑になる可能性がある。内密にと頼み込んだとして、サクレンはそれをどれくらい重視してくれるのか。可愛い教え子の言葉であるとしても、協会への報告が導師の義務であるというようなことは。
(協会に知られることがジョリス様にとってどうなのか、俺は何も知らないけど)
(もしかしたら、却って知らせてほしいなんてこともあるのかもしれないけど)
(でも現状では)
黒騎士のことも籠手のことも話したとしても、ジョリスのことだけは伏せよう。オルフィはそう決めた。
「オルフィ?」
促すようにカナトが彼を呼ぶ。
「カナト!」
「はいっ!?」
オルフィが突然叫んで正面に回るとその両肩を掴んだものだから、カナトもまた叫び声のような返事をした。
「俺は、ジョリス様のことは黙っていようと思う」
「え?」
「これ以上、ご迷惑をかけたくないんだ」
「……オルフィは、協会に知らせることが迷惑になると考えているんですか?」
「あっ、いやっ、違うっ、そんな顔しないでくれ!」
少年が傷ついたような表情を見せたので、オルフィは慌てた。
「正直に言えば、『判らない』んだ。まあ、まず、俺は協会のことは判らない。でもカナトを信頼しようと思ってここまできた」
「それじゃ……」
「違う違う! 君が信頼できなくなったなんてこともない!」
ぶんぶんと彼は手を振った。
「『判らない』って言うのは、ジョリス様のお立場が判らないってことだ。その」
オルフィは周囲に目をやった。若者ふたりが街路で立ち止まって喋っていても誰も気にする様子はないが、ジョリスの名は誰もが知っているはず。
「カナトも、言ったろ。あの人が、こんなものを素性も知れぬ俺なんかに託すのはおかしいんじゃないかって」
声量を落としてオルフィは言った。
「僕は、何も知らない民間人に託してこうしたことになったのであれば、あの人にも責任があるのではと言ったんですよ」
少年はオルフィの危惧を理解して呼び方を踏襲した。
「責任の所在についてはおいておくとして」
いまそれを言い争っても仕方ない。
「どんな事情があったのであれ、何て言うか、尋常じゃないよな。人探しにしたって、あの人が自ら、たったひとりで出向くなんて」
「それは何とも言えませんけれど……」
「とにかく、あの人と連絡が取れるまで、俺はあの人から預かったんだということは誰にも言わないでおきたいんだ」
カナトの緑色をした目を見つめ、オルフィははっきりと告げた。
「そう、ですか……」
少年魔術師は考えるようにした。
「サクレン導師は、オルフィが言いたくないことを無理に言えとは仰らないと思います。でも僕は、みんな話した方がいいだろうと考えています」
「そう、か」
確かにカナトは最初からそう言っている。
「でもやっぱりそれは僕の意見ですから、オルフィのことはオルフィが決めてくれていいんですよ」
それに、と少年は続けた。
「決断を話してくれて嬉しいです。有難うございます」
笑みを浮かべてカナトは言った。思いがけないところでやってきた礼の言葉にオルフィは戸惑った。
「これもあらかじめ言っておくけど」
こほんとオルフィは咳払いをした。
「俺はサクレン導師に結構勝手なことを言うかもしれない。いや、言うと思う。公正に、客観的に見て、明らかに俺が間違っていたら知らせてほしい。でもそれ以外は、口を出さないでもらえるか」
「え……」
「あっ、いや、だから」
どうにも選ぶ言葉が悪いようだ、とオルフィはまた慌てた。
「意見が割れたとき、たぶんカナトは、どっちの味方もしづらいだろ。だから黙っててくれていいってことで」
「そういうことでしたか。でも心配は要りませんよ」
カナトはにこにことした。
「僕、必ずオルフィに味方しますから」
その言葉に、オルフィは口の端を上げた。
「そりゃ有難いけどさ。そういうの、あらかじめ決めるのはよくないんじゃないかな」
「それは道徳的にというようなことですか? 裏取引だと」
「裏……いや、そんなことは考えちゃなかったけど」
オルフィは目をぱちくりとさせた。思いがけないことばかり言うものだ。
「俺はただ、あらかじめ決めるのはおかしいだろうって言ったんだよ。俺の意見や……気持ちだって変わるだろうし、導師の意見はまだ聞いてないんだしさ」
「ああ、言霊に言質を与えるなということですね」
「こと……何?」
「あ、すみません。口にすることによって力を得られるとか、物事が確定するとかいう考え方があるんです」
「よく、判らないんだけど」
「ええとですね」
カナトは考えた。
「前者は、『誓い』と考えてもらえれば判りやすいかと思います。そう大仰にしなくても『約束』という程度でも」
「成程。内心で思ってるだけの約束より、実際に口に出した約束の方が強いって訳か」
それは判るようだな、とオルフィは思った。
「そうそう! その通りです」
嬉しそうにカナトは認めた。
「確定するってのは?」
「これは魔術師的な考え方で、たぶんオルフィには納得してもらえないと思うんですが」
魔術師はそう前置いた。
「たとえばある人がどこかに宝を隠していたとして、あるときふっと『あの宝は盗まれていないだろうか』と呟くとします。すると、宝は盗まれているんです」
「は?」
「ええと。たとえば、箱のなかに繊細な細工物があるとします。それを落としてしまったとき『あっ、壊れた!』と言ってしまうと、それは壊れてるんです」
「……は?」
「……納得いきませんよね、やっぱり」
「いや、だって、言おうと言うまいと、盗まれたなら盗まれてるし、壊れたんなら壊れてるだろ」
「考え方のひとつです。言ったから絶対に盗まれているというのではなく、そう口にすることで悪いものを呼びかねないというような」
「まあ……その言い方なら、何となく、判るかな」
「不吉なことを口にするのはよろしくない」という訳だ。




