01 覚えておくのだな
「守る」。
オルフィがエクール湖畔の村で口にした誓いの一語は、しかし彼自身、どういう意味かと説明を求められたら明瞭に語ることはできなかっただろう。「ロズウィンドのやろうとしていることは栄光を取り戻すどころか地に落とすものだ」という気持ちはあったが、ではオルフィ自身は何をどう守るのか。
願いは、「そのままであるように」だったろうか。
ナイリアン国内からは不当な評価を受けているとしても、それを気に病むことなく、恨みもせず、穏やかに日々を送ること――彼が守らんと考えたのは畔の村にあるそうした気質なのかもしれない。
ともあれ、そのような甘い感傷は、悪魔と手を取ったロズウィンド・ウォスハー・ラシアッド第一王子には通用しそうになかった。
譲れぬ正義。
しかしそれはもちろん、レヴラール・フェンディ・ナイリアン第一王子もまた持っているものであった。
国の規模と歴史は違えども、こうして対峙する彼らは、第一王位継承者として大きな責務を負う者らであったのだ。
「主張は理解した」
ナイリアンの王子は、異常すぎる状況――街中が白い影と霧のようなものに包まれ、何とか解決をと躍起になっているところへ、首謀者と思しき隣国の王子が供ひとりだけを連れて魔術師のように彼の前に現れた、というとんでもない状況にも関わらず、ロズウィンドの口上をまずひと通り聞いた。
「話にならない」
そこでレヴラールは当然と言えば当然、手を振った。
「『本来ならば自分がこの国の王であるはずだからその座を明け渡せ』などとは。あまりにも稚拙だ。子供でもそのようなことは言わない」
話にならない、とレヴラールは繰り返した。
「狂人の戯言に聞こえような。無論、そこに何の根拠もなければ、だが」
ラシアッド王子はかすかに笑みを浮かべていた。
「かつて我らの祖先が貴殿らの祖先を駆逐した。それが根拠になると思っているのであれば貴殿はまさしく狂人だ」
「古い話だから無効だとでも言うのであれば、ずいぶんと都合がいい。その割には〈はじまりの民〉を貶め、迫害してきたようだが」
「我々は、そのようなことはしていない」
「成程、王子殿下ご自身はあずかり知らぬことという訳だ。実に都合がいい」
ロズウィンドは繰り返した。
「もとより、そこで『我々』と言う……〈はじまりの民〉は自分たちと違う存在であるとの位置づけをしている証だな」
「言葉尻を捕らえるのはよしてもらおうか」
レヴラールは声を荒らげることなく、ただ顔をしかめた。
「貴殿が〈はじまりの民〉の話をした故、彼らに対して我らとしただけのこと。この『彼ら』をたとえばナイリアンの騎士にしたところで、彼と我の区別は当然、つけられるであろう」
淡々としたレヴラールは返したものの、内心では苛立ちを覚えていた。それとも焦りと言うのか。
先ほどこうして突然現れた見覚えのある男に、正直なところ、レヴラールは仰天した。黒騎士の一件やサクレンの魔術を幾度か見たと言ってもそうそう慣れるものではない。
だがナイリアン王子の誇りにかけて、驚いた様子など見せはしなかった。有り得ることだとは判っていたからだ。妖術によって繰り返された侵入が、こうして再び行われるのは。
もっとも、ロズウィンド本人が乗り込んでくるとは思わなかったし、穏やかな要求――内容は無茶ながらも――からはじまったことには戸惑いのようなものを覚えてもいた。
「ロズウィンド殿。此度の『非公式の訪問』についてだが」
敢えて侵入というような言葉を使わず、ナイリアン王子はラシアッド王子を見た。
「要望は聞いた。言うまでもなかろうが、受け入れられない。私の、いや」
レヴラールの濃い青色の目と、ロズウィンドの薄青い目がぴたりと合い、両者の視線が絡み合う。
「ナイリアンの返事はそれで終わりだ」
「これはこれは」
ラシアッド王子は微笑を浮かべたままでいた。
「大国らしい、と言おうか。力任せに門戸を閉じる。そう言えば実際に、街の外でも見たようだ」
ふっとロズウィンドは視線を逸らし、壁の向こうを見るようにした。
「この混乱状態に城下では門を完全に閉ざし、首都の混乱を知らしめまいとしているようだな。気の毒に、街の者たちは逃げることも叶わず、家のなかでぶるぶると震えているだけだ」
「誰の」
レヴラールは声に怒りがにじみ出ないよう、自らを制そうとした。
「誰の仕業だ」
「さて。誰かな」
ロズウィンドは恍けた。
「誰かがやったという証拠でもあるかな? 下々が噂しているように、呪いでは?」
「何だと」
「但し、それはリヤン・コルシェントのような小物の呪いではない。卑怯な襲撃に見舞われ、民に犠牲を出すまいと長が身を差し出して平和を求めたにもかかわらず、見せしめとばかりに守り人たる戦士を残虐に処刑され、蛮族の烙印を押されたエクールの民の嘆きが、長い時を経てこの地に顕現した……というのは?」
「――馬鹿げている」
「あくまでも、自らの祖先が正義だったと言い張るつもりか」
「そのようなことは言っていない。ただ馬鹿げていると、言っている」
レヴラールは怯まなかった。
「遠い過去に何があったか。我らには判るまい。ナイリアンの歴史書はナイリアンによいように書かれ、ラシアッドのそれもラシアッドによく書かれている。それくらいのことは貴殿にもお判りではないのか」
「ふふ」
思わずという様子でロズウィンドは笑いを洩らした。レヴラールはむっとするのをこらえる。
「何か」
「自国の歴史は『正しい』ものだ、レヴラール殿。覚えておくのだな」
レヴラールの公正な物言いは、ナイリアンの咎を認めることになり得る。ロズウィンドはそう言った。まるで「誤りを認めたら負けだ」とでも言うように。
その言いようはレヴラールとて理解できた。誤りを認めることが大きく国益を損なうのであれば、嘘と判っていてもつき続けるべきだということもあるだろう。「彼ら」はそうした形で国を守る必要もある。物事が「国」という単位になったとき、個人の倫理とは異なるものが重要となることも。
レヴラールもそれは判っている。だがここは、腹を割って話したかったのだ。しかし相手側にそうする気がなければ、彼の発言は大きな穴のあるものでしかない。
「もちろん、ナイリアンが過去の過ちを認め、本来の支配者に国土を譲ると言うのであればやぶさかではないが」
「戯けた冗談だ」
このやり取りで判ったこともあった。
(言質を取る気は、ないようだな)
いまロズウィンドが巧く誘導すれば、レヴラールは「祖先はエクールの民から土地を奪った。それは過ちだった」と認めたことにされかねなかった。しかしロズウィンドはそうせず、上から教え諭すようなふりで、レヴラールを貶める方を選んだ。




