13 お手伝いができるかと
「……まあ、知って、た」
ぼそりと彼は答えた。
「もちろん最初から知ってた訳じゃなくて、いや、俺の『最初』がどこかって言うと、ややこしいんだけど」
「オルフィ」は何も知らずにミュロンと会った。「ヴィレドーン」の記憶を取り戻して彼がアバスターであったことを思い出したが、とにかくあのときは「カナトの死」が衝撃的すぎて、「ミュロン」としてのアバスターにカナトのことを伝えるしかできなかった。
「どこって……ああ、そうか。例の、過去が云々ってやつか」
判ったとシレキはうなずいた。
「なら言えよ。俺ぁ、先に言っちゃならんかと思って、この前ここで初めて会ったようなふりを」
「それを言うなら俺も同じだよ。おっさんが知ってるとは思わなかったからさ」
先だってこの畔の村で話をしたとき、シレキは知っており、オルフィも知っていたが、言えばややこしくなるとお互いに控えていた、ということになった。
「まあまあ」
ミュロン――英雄アバスターは取りなすように言った。
「あのときはそれどころじゃなかったろうが。お互い、何をどこまで知っているか、どこまで話していいか、そんなことを考えるよりも先にやることがあった」
「まあ、そうですけどね」
またしてもシレキは釈然としないようだった。
「俺はオルフィよりあれこれ知ってるつもりでいたのに、実はそうじゃないんですかね」
「拗ねないでくれよ」
「何も拗ねとらんわ。ちょっと自分が道化だったようだなと思うだけだ」
「拗ねてるじゃないか」
とは言ったものの、オルフィは確かに語っていないことが多い。いささか気も咎めた。
「あ、じゃあ、カナトの身体は」
気づいてオルフィは言った。
「無論、焼いたりせんかったわい」
ミュロンは肩をすくめた。
「すまんかったな。あのときは」
「いえ」
「人間の遺体のように腐ることはないと判っておったからな……ただ、こっちに運んだんじゃ」
実際、ミュロンもあのときは哀しんでいたのだ。オルフィは理解した。ミュロンの生きている間にカナトが戻ってくるという保証はなかった。彼もまた、今生の別れを覚悟していたのだ。
「さて。こうなったら話してもいいじゃろう。大導師と呼ばれたほどの魔術師が魔力を失った原因について」
その言葉にオルフィははっとした。
「カナトの、ためですか」
「その通りじゃ」
ミュロンはうなずいた。
「竜族そのものではないとしても、魔族の類とも一線を画するエク=ヴー。その力を人の姿に納めるのは、あやつの力をもってしても相当に厳しいことだったようじゃな」
「俺もそこまでは知らなかった」
シレキはうなった。
「端くれの端くれにゃ、想像を絶する話だ。神話級と言ってもいい。何しろ」
ラバンネルの弟子は嘆息した。
「術師は、その魔力そのものをカナトに与えたんだ。それはあいつが魔術師、それも優秀な魔術師としてやっていけるだけのものだった。まあ、あいつはあいつでそれを自分なりに使いこなしちゃいたんだが……そこに気づけなかった自分には情けないもんを覚えるくらいだ」
「そのことは気にするなと言っとったぞ。お前さんも言った通り、カナトはそれを自分の力として昇華しておったからな」
その辺りの理屈はオルフィには判らなかった。いや、それよりももっと、判らないこと。
「どうして、そこまで」
小さくオルフィは言った。
「どうしてあの人が、そこまで?」
魔力を他者に与えるなどということは通常、不可能だ。剣士で言うならばそれは、愛用の剣を渡す程度では済まない、鍛えた腕を与えるようなもの。
ラバンネルがその常識を覆すほどの力と知識を持っていたとして――自らに備わった能力をなげうってまで、何故カナトを助けようとしたのか。
「関わったから、という単純な理由がひとつ」
「関わったからには最後まで」。それはつい先ほどシレキが言い、オルフィも思ったことではあった。
「ひとつ? ほかには?」
「あとは、カーナヴィエタの望みじゃったから、な」
「カーナ……もしかして、それってカナトの」
似た響きを持つ音にオルフィははっとした。
「そうじゃ。先代と言う辺りかの。あやつは『母』とも言っておったが」
「例の、『母の形見』の」
「そうじゃ」
「でも」
オルフィは顔をしかめた。
「それだってあんまり、納得できる理由じゃないような」
「そりゃお前さんが知らんからじゃな」
ミュロンは肩をすくめた。
「わしらが例の軸から『戻る』までの間、あやつは力をほとんどなくしたカーナヴィエタと頻繁に連絡を取ってな。深い同情の念を抱いた。ま、そうした感情が愛情に発展するというのは、大導師だろうと変わらんな」
「うぇっ!?」
思わずオルフィは素っ頓狂な声を出した。
「あ、愛情って。だって、人化するのはエク=ヴーの性質じゃないだろ? カーナヴィエタは……そ、それに確か、カナトの言によると」
彼は少年の言葉を思い出した。
「エク=ヴーには、性別も、ないとか」
「確かに、その辺りは普通じゃないわな。魔術師は異性に興味を持たんと言うが、だからって性別のない人外に惚れるなんざ、やっぱり大導師なんて呼ばれただけあって、まともじゃないんじゃろ」
呆れたような顔をして見せていたが、ミュロンが面白がっているのは明らかだった。
「もっともその辺はシレキ、お前さんも似とるかね」
「おっ、俺は、違いますって!」
慌ててシレキが手を振ると、ぴょんっとその肩に乗ってきたものがあった。オルフィは目をしばたたく。
「ほれ」
「違います! 相棒とは言えるし、この毛並みには感心しますがね! 猫と本気で恋を語った覚えは」
彼が否定すると、黒猫はしゃーっと牙を剥いた。何やら抗議のようだ。
「……おっさん」
「いや、違うぞ! お前も黙れ、ややこしいから」
黒猫はばしんばしんと尻尾でシレキを叩き、彼はがくりと肩を落とした。
「まあ、こいつの話は、追々に。いまはもっと大事な話をしましょうや。……いてっ」
「大事ではない」ということにまた抗議がきたらしい。
「ああ、ええと」
黒猫のこともいくらか気になるものの、あとだとオルフィは考えることにした。
「カナトのこと。いったい、何の話があるって言うんです。俺はすぐにでもあいつを追いたいんだ」
「何も、カナトの話があるなどとは言っておらんぞ」
「別のことだって? でも」
いまこの状況で、カナトのこと以外のどんな話をすると言うのか。
「それに、わしが何か話すとも言っておらん」
「何だって?」
オルフィはぽかんとした。ミュロンは後ろを振り向いた。
「ほれ、いつまでもびくついとるんじゃない。さっさと話をせんか」
様子をうかがうようにそこに控えていた人物を見て、オルフィは目をぱちくりとさせた。
「あんた……カーセスタの」
「あ、僕はカーセスタ人じゃないんです。そうした話もまた、当座は置いておいた方がいいとは思いますけれど」
こちらもまた眼鏡の奥の目をぱちぱちさせながら、ライノンは言った。
「いまナイリアールに起きていることについて、少し話すお手伝いができるかと、思いまして」
「ナイリアール? いま、だって?」
どういうことだ、とオルフィは表情を険しくして身を乗り出した。
「そ、そんなに怖い顔をしないで下さい。僕が何かした訳じゃなくて」
「泣くな」
とミュロンとシレキが同時に言った。
「は、はい。大丈夫です」
ライノンはこくこくとうなずいた。
「初めまして、オルフィさん。僕はライノンと言います。特異点を探して旅をしている者でして」
「そこは省け」
短くミュロンが言った。
「は、はい。端的に申しまして、いまナイリアールでは異常事態が発生しています。完全に適切とも言えませんが、獄界化と言ってもいいかもしれません」
「獄界化だって!? 何だ、それは!」
意味は判らないに等しいが、とんでもないことだというのはよく判る。
「例の気障兄ちゃんがいささかやりすぎとるようじゃ」
ミュロンが顔をしかめた。
「人間が対抗するには、まともな手段じゃ無理じゃな」
「まともな手段」
オルフィは繰り返した。
「――まともじゃなくても何でもいい。あいつらの」
彼はぎゅっと拳を握った。
「あいつらの好きにはさせない」
黒い瞳が力を帯びた。
「どうか教えてくれ。俺にできることを」
そう言わせるのはオルフィの思いか、ヴィレドーンの記憶か。
或いは、その両方か。
「ナイリアンと、カナトと、それから」
その褐色の瞳の輝きは、オルフィのものでありながらヴィレドーンの力強さをも持っていた。
「エクールを守るために」
(第3章へつづく)




