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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第9話・最終話 栄光と正義 第2章

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10 仕方がないだろう

「『彼ら』が何かを思うことなど無い。記憶を……憤りも愛も、それらが形を変えた妄執すらもう彼らの内には存在せず、ただあてどもなくさまようだけ。たとえすぐ隣に家族や恋人がいたところで気づくことはない。意思らしい意思もなく、知った場所をうろついているだけ。そういうところだったか」

 淡々とロズウィンドは言った。

その通り(アレイス)

 悪魔はもちろんと言うのか、感慨のかけらもなく言った。

「導きのラファランから逃げ、闇の精霊の目にもとまらず、何の救いもなく極限まで薄れてしまった影たち。何だか哀れだね」

 口ではそう言うものの、本当に哀れんでいる様子はない。

「でも知っての通り、害はない。――あれらは、ね」

 ほのめかすような言い方にロズウィンドは片眉を上げてニイロドスを見た。

「害のあるものも?」

「あれをご覧」

 悪魔は路地の向こうを指した。

「少し、色のついたものがあるだろう」

「色がついたと言うよりは、本当の『影』に近いような」

 ロズウィンドもそれを認めた。白いヒトガタに混じって、灰色じみたものが見える。

「君の望み通り、害のない、ごく薄い魂だけを顕現させたんだけれど、思ったよりも効果が出ていると言った通り。淀みの回りが早いね」

「では、あれは」

「わずかにだけれど妄執を残している。まあ、古いものだから恨んでいる相手だってとっくにラ・ムールから次の旅に出ているか、或いは白い影となって隣にいたりするのかもしれないけれど」

「念を持つ……悪霊に近いものか」

「そうだね。このままにしておくと、もっと強力な魂も形を持ちはじめるかもしれない。標的を探し出して害をなす、それとも無作為に人々を傷つけるような。ふふ、それでも僕は面白いけれど」

 ニイロドスは肩をすくめた。

「どうする? ナイリアールの住民の多くはエクール湖とは関係がないから、君にはどうでもいいかな? それとも、これから君が治める国の民となるんだから、守っておく?」

「もちろん、民は守るのが私の務めだ」

 すぐにロズウィンドは答え、それから続けた。

「だが、少しは犠牲があっても仕方がないだろうな。ナイリアンの民には、無知蒙昧にも蛮族を王と崇めてきた罪があるのだから」

「はは、無知は罪か。厳しいね」

「もっとも、全ての者に罪があるとは言うまい。多くは気の毒な愚民というだけ。そのなかで痛ましい犠牲が出ることは、そうだな、ナイリアン王家が負う罪だ」

「いいとも、王子殿下。ではこのまましばらく、魔業石の作り出す素敵な空間を楽しもうじゃないか。それにしても」

 ニイロドスは辺りを見回した。

「本当に、予想以上だ。ナイリアールというのはそんなに業の深い土地だったかな。たかだか三十年前、これほどの素養は感じなかった」

「貴殿の置き土産ではないのか?」

 片眉を上げてロズウィンドは問うた。

「ここ三十年でナイリアンを揺るがすような大きな出来事と言えば、『裏切りの騎士』関連くらいのものだ。それとも先日の、コルシェントを蘇らせた術が何か影響を与えたというようなことは」

「僕の影響だったら、判るさ」

 ひらひらと悪魔は手を振った。

「ふうん、何だろうね。あとで使い魔を放って、調べてみるとしようか。どこかに歪みでもできていたなら、それはそれで利用できるだろうしね」

「歪み」

「世界は、本当はとても不安定なのさ」

 ニイロドスは宙を掴むような仕草をした。

「ちょっとした刺激で異界とつながってしまうこともある。まあ、いまはこんな話はいいか」

「興味はある。落ち着いたら聞かせてもらいたい」

「君の為政の役には立たないと思うけれど」

「知的興味というものだ」

「へえ」

 その返答に悪魔は笑った。

「いいとも。話してあげるよ。落ち着いたら、ね」

 果たしてどういう状態になれば「落ち着いた」ということになるのか、それを明確にしないままでニイロドスは応じた。

「それじゃ、どこへ行く? 神殿の様子でも見に行くかい?」

「怪異を前に扉を閉ざし、そのなかで顔を青くしながら必死に祈りを捧げている神官たちの様子を見に?」

 ロズウィンドは揶揄を隠さなかった。もとより、彼ら王家は八大神殿をあまり重視していない。蔑ろにこそしなかったが、首都にひとつも神殿がないことからも、エク=ヴー信仰への「意地」のようなものが見て取れた。

「扉が閉ざされていたら、見えないんじゃないかな」

 悪魔はもっともなようなことを言った。

「でも『神官の顔色』以外にも見るものはあるよ?」

「貴殿がそう言うなら、足を向けるとするか」

 ひとつうなずくとロズウィンドは先に立った。

「案内は不要か。ナイリアンは二度目くらいじゃなかったっけ?」

そうだな(アレイス)。それも公的に訪れただけ。街を歩くなどはしなかったが」

「それでも、知ってる。弟殿下のおかげかい」

「ああ」

 そうだと兄王子はうなずいた。

「言ったろう? 放浪も役に立つと」

「他国にはそうした機関もあるだろうに、王子様自らとはね」

「もちろん、密偵も育てている。だがまだ未熟でね」

「そうかな?」

 ニイロドスは首をかしげた。

「信頼できない……の、間違いでは?」

「ないとは、言わぬな」

 ロズウィンドは否定しなかった。

「重要事を託せる者は少ない」

「ラスピーシュ王子と、こちらのクロシア氏と言ったところ」

 ニイロドスがじっと黙って控えているクロシアに視線を向けた。クロシアは聞こえていないかのように何も反応を返さず、ロズウィンドは少し笑んだだけだった。

「段階、というものを考えないといけないな。何も臣下全てに全幅の信頼を寄せる必要はないのだから」

 その人物の仕事、任務に対して信頼できればそれでよい。人間性を信じ、親友のように腹を割って話し合える必要はないのだと、ロズウィンドはそう言った。

 それはある種、上に立つ者であれば当然とも言える。

 だがこの段階でそうしたことを口にした王子は、まるで初めてそのことに気づいたかのように目をしばたたいた。

「信頼、か」

 彼は呟いた。

「あまり考えたことがなかったな」

「――殿下」

 そっとクロシアが声を出した。

信頼で(・・・)きぬ者(・・・)、の存在もお忘れなきよう」

「ふふっ、それはもしかしたら僕のことを言っているのかな」

 その調子に咎めるところはなく、いつも通り楽しげであった。


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