03 嫌なんじゃないのか
(それにしてもずいぶんいい加減な野郎だったな)
もしカナトが承知していたら、あの少女との約束はどうするつもりだったのか。
(まあ、俺の知ったこっちゃないけど)
「……いまの人ですけど。ずいぶん、場違いでしたね」
「場違い? ああ」
まあなとオルフィは応じた。
「どういう目的にせよ、『お誘い』に朝の屋台街は向かな」
「ずいぶん上等な衣服でしたし」
「え?」
「はい?」
「衣服だって?」
「はい」
こくりとカナトはうなずいた。
「飾りのない地味なものではありましたけれど、素材が上質なものでした。屋台に出向くときにはあまり身につけない感じの……」
「へえ……」
(意外な観察眼)
オルフィはまたも感心した。
「富豪の道楽息子ってとこか。ありそうだ」
寄ってくる女に飽きて、あちこち声をかけて遊んでいるのだろうか、などとオルフィは考えてみた。
「……大ごとにならなくてよかったな」
「大ごとって何です?」
きょとんとカナトは首をかしげた。
「だから、たとえば」
自分は誰それの息子だ、逆らうのか――などと言われたらさぞかし面倒な話になっただろう。
「いや、何でもない」
どうにも面白くない想像だ。彼は首を振った。
「でも君、あんなふうに声かけられたこと、なかったの?」
ふと彼はそんなことを尋ねた。
「えっ?」
「だからさ。ナイリアールにいた頃……ったって、そうか、住んでた頃は十歳になるならずか」
さすがに声をかけるには幼すぎただろう。なかにはそういう趣味もあると言うが、クジナが趣味という扱いなのに対し、子供相手は悪徳では済まない罪だ。
「あんな直接的なのがたくさんいることもないだろうけど、何か対策をした方がいいかもな」
「対策ですって?」
「君は可愛いらしいから」
「ちょっとオルフィ」
「お、俺はそんなふうに思ってないって。ただ、少なくとも、さっきの野郎は君が可愛いと思ったらしいし」
「そんな人、そうそういないですよ」
困った顔でカナトは言った。
「だと思いたいけどな。俺が一緒にいれば口出しできるけど、そうじゃないときだってあるかもしんないし」
「それなら」
少年は小さく手を打ち合わせた。
「このローブを黒くすればいいですよ」
「何?」
「ほら。黒いローブは魔術師の証ですから。避けてもらえます」
「それはいい案……なのかもしんないけど」
いくつか引っかかった。
ひとつには、「魔術師であるからと避けられる」ことはカナトの望まないことではないのか、ということ。
もうひとつには。
「黒くする?」
「はい」
カナトは着用している茶色のローブを引っ張った。
「これを」
「魔術で?」
「はい」
彼らはまた言い合った。
「本当はこのローブ、黒いんです。でも普段は茶色に見せてます。だから厳密に言うなら『もとに戻す』が正しいですけど」
「何でもできるんだなあ、魔術って」
「『何でも』は無理です」
笑ってカナトは答えた。
「僕が『できること』を話しているからオルフィにはそう聞こえるかもしれませんけど、できないこともたくさんあるんですよ」
「まあ、それもそうか」
「オルフィが嫌でなければ、いまからでもできますけど」
「ローブか? 俺はちっともかまわないけど、カナトが嫌なんじゃないのか?」
「どういう意味です?」
「だからさ」
彼は「ひとつ目」について口にした。ああ、とカナトはうなずいた。
「確かに、僕自身とは何の関係もないところで忌まわしいだの不吉だのと思われるのは嬉しくないです。でも魔術師たちの多くは、向こうから避けてくれるなら楽でいい、と思うんです」
「かまわれたくないってところか?」
「そうですね。放っておいてもらえるならそれでいいと言うか」
「ふうん。でもカナトはそうでもないんだろ?」
「僕は」
同意の答えがくると思ったオルフィだったが、それは外れた。
「判りません」
「判らない?」
「はい」
判りませんとカナトは繰り返した。
「オルフィはどうですか?」
「えっ、俺?」
「もちろんオルフィは魔術師じゃないですし、姿を見ただけで避けられるということはないでしょうけれど、たとえば、人と関わらないのは楽だと思いますか?」
「あー、まあ、相手によっては」
彼はまずそう答えた。
「面倒臭い奴ってのはいるもんだからな。一方的に絡んできて言われる筋合いのない文句ばっか言ってきて」
クートントの元飼い主ハド老人のことが思い浮かんだ。
「そういう一部の偏屈爺とか、昨日みたいな酔っ払いとか、とんでもない悪党とかを除けば、関わられたくないってのはないかな」
言いながらオルフィは笑ったが、自ら口にした「とんでもない悪党」との言葉が黒騎士のことを思い起こさせ、引いては今朝方の夢を思い出させると、その笑みは消えた。
「オルフィ?」
「あ、いや、何でもない」
そう言って彼は笑みを取り戻してみせた。
(あんなのはただの夢だ)
(俺自身の不安が眠りの神の悪戯心を刺激しただけさ)
「えっと、それで、何だっけ? ああ、ローブだ」
彼はぽんと手を打ち合わせた。
「魔術師だって見せておくのはいい案だと思うけど、もし少しでも嫌だって気持ちがあるなら無理することはないからな? なるべく人の多いところにいれば、変なこともないだろうし」
「無理と言うほどじゃないですよ」
カナトはにっこりとした。
「それにローブなんて所詮、ただの道具です。役に立つよう、使えばいいと思います」
それが少年の結論だった。やはり負けているな、とオルフィは感じるのであった。




