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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第9話・最終話 栄光と正義 第2章

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06 どうか祈っていて

「堕落。過ち。エク=ヴーであるということは、そうした事々の象徴であるも同然です。僕はほかのエク=ヴーに会ったことはありませんが、なかには人と接することを避けたり、あろうことか人という存在を敵視する哀しい個体もいるということです。――『人間に誘惑されたせいだ』と」

「そ、そうか」

 「エク=ヴー」が何体もいるというのが、オルフィにもヴィレドーンにもぴんとこなかった。もっとも、そうそうはいないだろうが。

「でも、彼女には、僕らには、その愛情と愛の結晶はとても大事なものでした。だから、愛した人の生まれ育った村を守り、その人の子孫を守り続けるんです」

「……子孫?」

 待てよ、とオルフィは思った。

「カナトはともかく、エク=ヴーは人の形を取らないんだよな? それじゃ子孫ってのは、まさか」

「ええ。彼女の相手……曾祖父としますか、その人物はやがて人間の女性と結婚しました」

「それって……じゃあ」

 オルフィは巧く言葉を紡げなかった。少年は笑った。

「別に振られたとか捨てられたとかそういうんじゃないですよ。ただ、きちんと子供を作って未来に残すのは、一種の義務です。特にその頃はそうした考えが当たり前でした。小さな村でもあれば未来の働き手ですから、本当に大事で」

「そ、か」

 腑に落ちたとは言いづらいが、判らないでもない。確かに畔の村では、子供はとても大事だ。だと言うのにヴィレドーンは出奔し、オルフィだって出て行ったことを思うと、胸も痛む。

「でも、当の竜族はどうしたんだ?」

「それは判りません」

「判らない?」

「ええ。その人が亡くなったあと、畔の村を離れたきりです。竜族の寿命はとてもとても長いですから、健康でさえあればいまでも生きていると思うんですが」

「い、いまでも」

 それは少々予想外だった。

「つらい思い出の地を避けているのかもしれません。どこかで幸せになってくれているといいんですけど」

「そ、そうか」

 先ほどからオルフィはそんな相槌しか打てなかった。

「あの、さ。もひとつ、いいか」

「何です?」

「その……ほかのエク=ヴーに会ったことはないって言ったよな」

「ええ。言いましたけど」

「そんじゃ、どうやって……」

 ええと、とオルフィは額を押さえた。

「俺の記憶が間違ってなければ、お前、その、卵……」

 ええと、と彼は繰り返す。ああ、と少年は手を打ち合わせた。

「そういうことですか。何も不思議じゃないです。エク=ヴーは無性ですから、寿命がくる前に、単体で次世代の自分を残すんですよ」

「ああ、そういうことなのか……って、待て!」

「はい?」

 思わずオルフィは大声を出し、少年は目をしばたたいた。

「じゃ、おま、お前は」

「厳密に言えば、性別はないです」

 実にさらっと返答がきた。

「ただ、この姿に限って言えば、男性体ですね。知ってると思いますけど」

「そ、そうだよな。ふたりで風呂(ウォルス)とか入ったもんな」

「何を安心してるんですか?」

「だって、そりゃ、焦るだろうが! 一緒に旅した子が女の子だったとか言われたら!」

「性別がないんですから、女でもないですってば。何を理性的じゃないこと言ってるんです」

「わ、判るけどよ。ただ」

 こほん、と彼は咳払いをした。

「もしそうだったら大変だと思った、だけ」

「おかしなオルフィ」

 くすくすと少年は笑った。

「僕が人外の者であるとか、遙か昔の記憶を持つだとか、湖神なんて呼ばれる存在であるとか、性別もないような、あまりに人間と違う生き物であるだとか……その辺りには全く抵抗がないようなのに、女性体だったら焦るんですか」

「そりゃ、そうだろ。嫁入り前の娘が、男とふたり旅とか」

 ぶつぶつと彼が言えば、少年はますますおかしそうに笑った。

「おかげで、続きを気楽に話せそうです」

「――続き?」

「ええ」

 こくり、と少年はうなずく。オルフィは何だか嫌な予感がした。

「エク=ヴーの加護は、その人の子孫に大きな影響を与えました。悪いものではなかったと思いたいです。彼らはみな聡明でしたし、彼らの尽力で、村も以前より栄えるようになりました」

 少し笑みを浮かべたまま少年は語った。

「時代が続くと、僕らもエクールの民全体を大事に思うようになりました。ロズウィンド王子は契約だと言いましたし、僕も認めましたけれど、互いに縛るようなものではなかったんです」

 懐かしむように彼は言った。

「いい時代でした。とても」

 静かに緑色の瞳が閉ざされる。

「やがて民は増え、耕す土地は広がり、聡明な彼らでも隅々まで行き届くということが難しくなった。僕らも、民の全てを庇護することは、叶わなくなっていきました」

「それって……」

 何度も語られた、歴史。その時代なのではないかと感じた。

「ええ、そうです。僕らの代替わりのとき、僕らが最も無力なときに、あの戦が起きました。公正な観点から言えば、ナイリアンの民はやはり蜂起したのです。民の『王』は不正のないように努力していましたけれど、人数が増えて階層ができればどうしたって格差ができる。上の者が下の者を虐げることも」

「見る側によって正義が、『蛮族』の位置が変わる、って……訳か」

 ロズウィンドが言っていたことではあるし、ヴィレドーンの知識と理性もその辺りのことは理解できていたが、オルフィの感情が納得できていなかった。しかしそれは単にロズウィンドへの反発に過ぎず、カナトに――友人に言われるとすっと染み込んでしまう。この辺りは人の(さが)でもある。

「どちらが正しかったとも言えない。強いて言うのであれば、広く増えすぎたのがいけなかったのでしょうか。いや、そうとも言えないですね。エクールの民がほぼ統制していたからこそ戦のあとの統一も速やかだったのですし、強大だったからこそ南方の禁術師を寄せ付けなかったという事実もあります」

「正解はひとつじゃない、って辺りだな」

 たくさんの事象が絡まり合って、時間軸ができていく。どこかで、たとえば誰かが道を左に折れただけで、何かが変わったかもしれない。

 運命の歯車はとても複雑に回る。或いは、名なき女神の気まぐれのままに。

「だからって」

 オルフィは低く呟いた。

「正義の在処が明確でなかったからって。……ロズウィンドが、かつて竜に愛された人の子孫だからって。お前があいつにつくのは、やっぱり」

「有難う、オルフィ」

 少年は、寂しげに笑っていた。

「なるべく、穏当なやり方を探します。ロズウィンド王子にも判ってもらえるように」

「カナト!」

「行かなくちゃならない」

 彼は繰り返した。

「あなたも、彼も……僕らがちゃんと守れていたなら、悪魔の囁きに耳を貸すことはなかったんです」

「ち、違う。カナト、それは違う」

「違いません。何ひとつ」

 優しげな、哀しげな笑み。

「オルフィは、ここにいて下さいね。リチェリンさんに、謝っておいて下さい。ふふ、彼女がここにいて『行っては駄目だ』と言い続けたら、影響を受けかねませんでした」

 湖神と神子のつながりが強いと言うのは本当なんですよと少年は肩をすくめた。

「お前、それじゃ、リチェリンを追い払って」

 「神子の声」を聞くまいとしたのか、とオルフィは気づいた。

「何つー神様だよ! ずっこいぞ!」

 思わず彼は、子供同士が遊びのなかでずる(・・)をしたかのように叫んだ。

「すみません」

 案の定少年は謝った。

「馬鹿野郎、謝るくらいなら行くな!」

「でもこのままでは、レヴラール王子が危ないです。いまはおそらく、僕らの反応を待っていると思いますけれど」

「俺が行く。俺が、ロズウィンドの野郎をとっちめて――」

「それだと、すごく困ってしまうんですね」

 きゅっと少年は眉をひそめた。

「民同士の争いというのは、ちょっとした行き違いや喧嘩くらいしか、なかったんです。本気で信条を違え、命を賭すような争いになれば」

 そこで少年は言葉を切り、オルフィはぎゅっと拳を握った。

「……お前は、あいつに、つくと?」

「僕としてはオルフィを助けたいです。でも連綿と続いてきた記憶は、きっと彼を取る。ここで刃を交えることにならなくて本当によかったと思ってるんですよ」

 にこっと少年は笑った。

「それじゃ、オルフィ。どうか祈っていて下さい。どの神様でもいいです」

 湖神と呼ばれる存在は、まるで気軽な冗談を発して、そして姿を消した。

 否、消えたのは人の姿だ。

 かすかな光の線を残して、エク=ヴーは上空へと上った。

「行くな! カナト!」

『有難う、オルフィ』

 頭のなかに声がする。

『祈っていて下さい。あなたがオルフィであるのと同じように……僕がカナトでいられるように』

 すうっと、滑るようにエク=ヴーが動く。少しだけ身体をうねらせて。ナイリアンの空を湖神が行く。

「――カナト!」

 オルフィは叫んだ。その声はもう、エク=ヴーには届かなかった。


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