03 なれば、そういうことだ
「それで、僕にどうしてほしいんです? これはただ希望を尋ねているだけで、願いを聞くとは思わないでもらいたいですが」
案の定、少年はきっぱりとそう告げた。王子は少し笑った。
「私と共にナイリアールへ赴き、湖神としての姿を民草に示してもらいたい。何も知らぬ者たちが王家の交替に驚き騒ぐことのないように」
簡潔にロズウィンドは言った。
「それはつまり、化け物と怖れられそうなエク=ヴーの姿でナイリアールの人々を威圧し、状況によっては町憲兵隊や軍、殊に騎士たちの足止めをしてほしいという辺りでしょうか」
「ふふ、私はそこまで言っていないが、そうしてもらえるなら無論有難い」
「やるとは言っていません」
律儀にも少年は返した。
「王家の交替と言いましたね。レヴラール殿下を殺害するつもりですか?」
「争うことなくこちらの要請に応じていただけるのなら、もちろん傷つけるつもりはないが」
「要するに殺す気だってことだな」
オルフィは顔をしかめた。考えるまでもなく、レヴラールが応じるはずのないことだ。ロズウィンドだって重々判っているだろう。
「ついでにナイリアールの人間を全員殺害でもするつもりか」
「私は虐殺者ではない」
涼しい顔でロズウィンドは受け流した。
「人の命を奪うなど、望んではいないのだ」
「だが逆らう者には容赦しない、って訳だろ?」
はっとオルフィは笑った。
「平和主義者の真似はよしてくれ。ヒューデアを殺しておきながら……」
ヒューデアはこの男に殺された。手を下したのが悪魔であろうと、望んだのはロズウィンドだ。
「戦いは、時に必要だ。そのことは貴殿もよく知っているはず」
またしてもかつての罪をほのめかされた。守るために、戦った。そのことを。
「判ってるさ」
オルフィはぐっと痛むものをこらえた。
「もう一度言う。俺の罪は俺の罪だ。だが俺が罪を負っていることと、お前の罪を見逃すのは別の話だとな」
「見逃してもらうつもりはない、と私も言った通り。だが不思議ではないか? 私と貴殿の進む道の類似性を思えば」
「類似性だと」
「その通り。悪魔と契約を交わして望みを達成し、そして湖神に救われる」
「一緒にされると、さすがに抵抗があるが」
「ヴィレドーン」は救われるつもりなどなかった。彼自身は「その後」などないつもりでいた。だが、それもまた過ちであった。悪魔は彼を――。
「……おい」
ぼそりとオルフィは声を出した。
「お前は、『その後』どうするんだ」
「その後?」
何のことか、とロズウィンドは首をかしげた。
「そりゃ、レヴラールを殺させやしないつもりだが、万一だ。万一、お前の望みが叶ったら。……その後、お前はどうなる。あいつとの契約は」
「そんなことを話してどうする?」
「もし、俺と同じなら。お前は、ナイリアンは、お前の言うエクールの民の栄光は地に落ちるぞ。ヴァンディルガやカーセスタに戦を挑んで、アレンズ地方中をめちゃめちゃに」
言わずにいられなかった。
「あいつはお前という人形を手に入れて遊ぶつもりだ。この上なく物騒な遊び。あちこちが火の海になって、たくさんの罪のない人が命を落とす」
「何を言っているのか判らないな」
ロズウィンドは首を振った。
「判らない? それじゃやっぱり、お前も同じなのか」
彼は唇を結んだ。
「望みが叶ったあと、お前は」
「だったら、どうなんだ?」
ラシアッド王子はオルフィの言葉を遮って言った。それは奇しくも、ハサレック・ディアと同じ台詞でもあった。
「エク=ヴーの加護があれば、エクールの戦士は敗れない。知に頼るばかりでろくな戦力もないカーセスタはもとより、徴兵制によって国中の男が剣を扱えるヴァンディルガだって、敵ではない」
「……お前」
「ああ、勘違いはしないでくれ。私には〈はじまりの地〉以外への興味はない。だが私が、いや、エクールの民がそれを取り戻したあと、ニイロドス殿がどんな『遊び』をしようとかまわないさ」
まるで鷹揚に、ロズウィンドは言った。
「何、を」
この男は何を言っているのか。
「私は言った。虐殺に興味はないと。そして貴殿は言った。逆らう者には容赦しないのだろうと。なれば、そういうことだ」
「ナイリアンが……エクールの民が何の理由もなく戦を引き起こし、人々を殺してもかまわないと。危険で怖ろしい存在だと見られてもかまわないと。お前は、そう言っているのか」
判らないと、オルフィも思った。
「他国を侵略するなんて、それはエクールの祖先がされたことだろう。お前はそれを恨んでいるのに、自分がやろうって言うのか。いや、お前にその気はないんだとしても、エクールの民が今度こそ本当に蛮族とされてもかまわないとでも」
オルフィは首を振った。
「お前の取り戻したい『栄光』って何だ。ただ、かつて奪われた土地を取り戻せればそれでいいのか。その後のことはどうでもいいのか。そんなことが栄光なのか」
「これは異なことを言うものだな。エクール族の栄光は奪われた。それを取り戻すという話だ。あるべき姿に戻すこと……その後のことは別の話だ。もとより」
彼は肩をすくめた。
「あのままエクールの時代が続いていれば、自然、カーセスタもヴァンディルガも我らの前にひれ伏したことだろう。何の問題もない。だいたいどちらの国も均衡の悪い政治を行っている。ナイリアンも同じだ。それが正されるのであれば、むしろ善事であろうに」
「本気で、言ってるのなら」
オルフィの声は震えた。
「お前は、狂ってるんだ」
「ただの田舎者の言葉ならともかく」
ロズウィンドは嘆息した。
「〈漆黒の騎士〉の視点を持ったことのある者が、この長期的展望を理解できないと? 情けないことだな」
「何が長期的展望だ。たとえ数百年後に平和な日々があろうと、いまを生きる人々が不幸な目に遭っていいはずがない!」
「成程、騎士だな」
ラシアッド王子はくっと笑った。
「言うことは幼くもあるが、その辺りは田舎の若者らしさでもあるのだろう。嫌いではないが」
「嫌ってくれて結構だがね」
それに、と彼は続けた。
「あんたに騎士だなんて言われたくはない」
「私の方は嫌われているという訳だ」
ロズウィンドは手を振った。
「もうよい。これ以上貴殿と話をしても私に益はない。さて、湖神よ」
男は少年を見た。
「古の契約のことは、ご存知の通りであるはず。心は決まったかな?」
「……僕は」
「私の理想は、エク=ヴーの加護を得て〈はじまりの地〉を取り戻すことだが、何だかんだと抗って私の手を貸さぬと言うのであれば、仕方がない」
「え?」
「オルフィ殿の望まぬことが起きる」
さらりとロズウィンドの言った言葉が、オルフィにはとっさに理解できなかった。
「何……?」
「噛み砕いて言おうか。湖神の力でナイリアンを征服できれば、悪魔との契約は成らない。私は他国の侵略などしない。だが協力を拒むのであれば私は悪魔の力で望みを果たす。その後はアレンズ中が火の海になる」
お判りかなとロズウィンドは口の端を上げた。
「な……」
「どちらでもかまわない、とは言わない。新生ラシアッドに湖神ありと知らしめることが私の望みだというのは本当だ。契約も実際に存在する故、完全に拒絶することはできまい。しかし屁理屈をつけて時間を稼がれては面倒だ。私にも都合があるのでね」
「時間を稼ぐつもりはありません。ですが明確にしてもらいたいのは『エクールの民である』ということがどういうことか」
少年は顔をしかめた。
「この畔の村で暮らす者ということでしたら、あなたは違う」
「ではヴィレドーンは湖の民ではなかったか? ナイリアールの占い師ピニアは。リチェリンとて」
「……そうですね、彼らもエクールの民です」
こくりと少年はうなずいた。
「ではこの村で生まれたということであれば」
「成程、彼らに当てはまり私には当てはまらない。では民に嫁いだ娘が生家に戻って子を産んだ場合はどうかな?」
「それは……」
「言葉を弄するのはもうやめていただこうか。答えは既に出ているはずだ。血筋または婚姻による約束、そして何よりも意思があれば、エクールの民たる。否定できるかな?」
「――できません」
仕方なさそうに少年は答えた。
「おい、カナト」
「事実としか言えません。湖を離れても民たる心があればその人はエクールの民です。逆に、たとえ村で生まれ育っても何らかの理由で反発し、自分は民ではないとエク=ヴーの守りを拒絶すれば、守ることはできません」




