02 よく判らなくてね
「おばちゃん、麺ふたつちょうだい。いっこは葱たっぷり、大盛りで」
目当ての屋台にたどり着くと、オルフィは元気よく言った。
「カナトはどうする?」
「僕は、普通で」
「おやおや、たくさん食べないと大きくなれないよ」
屋台の女は細いカナトをからかうように笑って言った。少年は少し顔を赤くした。
「あの、じゃあ、少し多めで」
「無理するなよ。人には適量ってもんがあるんだから」
オルフィは片眉を上げた。
「いえ、よく言われるんです。お前はもっと食べて太れって。その方がいいのかな、ってときどき思います」
「まあ、君自身がそう言うなら」
確かに細いが病的なほどではないのだし、これまで特に問題が起きていないのならかまわないのではないかとオルフィは思ったものの、本人がやると言うなら無理にとめることもないだろう。そんなふうに考え直した。
「あはは、面白い子だね。『少し多め』の分は無料にしとくよ」
女はそう言って、気前よく麺を椀に盛った。カナトは戸惑った顔で、もごもごと礼を言った。
それから彼らは路上に適当に置かれている席を使い、朝食に舌鼓を打った。今回も昨夜に引き続き当たりで、オルフィは自分の勘に満足をした。
「ん? 大丈夫か、カナト?」
「あ、はい……でも」
カナトは苦笑いを浮かべた。
「やっぱり少し、多かったです」
「はは」
賢しいことを言う割に食事が多すぎたようだと困惑するのだから、屋台の女が言ったように「面白い子」だ、などと思った。
「でも頑張って食べきったんだなあ。腹ぁ痛くないか? 気持ち悪かったりとか」
「いえ」
大丈夫ですとカナトは胸を張った。
「おし、じゃあ片づけるか」
「片づけ? どうするんですか?」
「あっちに洗い場があるだろ。そこに持ってくだけ。こういうとこはたいてい組合を作ってて、共通の財布から洗い物をする下働きを雇ってるんだ。そいつらが洗って、各屋台にまた配ったり、屋台の方から必要なだけ取りにきたりする」
「へええ」
カナトは目をぱちくりとさせた。
「オルフィっていろいろ知ってるんですねえ」
「前にきたとき、判らなくてうろうろしてたら教わっただけだよ。アイーグ村の方じゃ、やっぱりこんな仕組みはないもんな」
「成程、そういう仕組みなのか」
不意にすぐ近くで声がした。オルフィとカナトはぱっと顔を上げた。
「いや、よく判らなくてね。助かったよ」
にっこりと笑みを浮かべて彼らの横に立っていたのは、二十歳を少し回ったかと見える青年だった。金色がかった茶色の巻き毛が日に光り、ずいぶんと色の薄い茶の瞳は親しげに彼らを見つめている。
「この辺りは不慣れなんだ。そちらもかい?」
「まあ、慣れてるってほどでもないかな。屋台の仕組みをかろうじて知る程度さ」
オルフィは肩をすくめて答えた。
「君」
青年はだが、答えたオルフィではなくカナトを見ていた。
「私と一緒にナイリアール見物はどう?」
「はい?」
カナトはきょとんと緑の目をぱちぱちさせた。
「不慣れなんだろう? 私もなんだ。協力し合わないか?」
「あの、それって変じゃないですか」
遠慮がちに少年は言った。
「案内を頼むなら、慣れている人がいいと思います」
「いやいや、案内を頼みたいと言うんじゃないさ。それなら情報屋へ行く」
ラトルスというのは、首都のような大きな街に存在する案内所のようなものだ。相談者に適切な店や宿を教えてくれる。たいていは有料だが、簡単なことなら無料のの場合もある。
「そうではなく、君みたいに可愛い子とナイリアールを歩けたらいいな、と思ったんだよ」
笑みを浮かべて青年はカナトの肩に手を置いた。
「は、はい?」
「おいコラ。待て」
そこでオルフィは立ち上がった。
「連れ立つ気なんかねえよ。その手を放せその手を」
「君には訊いていないんだが。ふむ」
男はオルフィをちらりと見た。
「ふむ。君もなかなか可愛らしいな」
「はっ?」
「だがこちらの子の方が連れ歩きたい感じだね」
「ふざけんな」
オルフィは顔をしかめた。
「何が『連れ歩く』だ。飾りじゃねえんだぞ。だいたいそいつは俺の連れなの。見りゃ判んだろ」
「何も連れだからと言って四六時中一緒にいることもないだろう。それにこの子は、私といる方が楽しいと思うかもしれない」
「あ、あの」
「気安く触るなっての」
オルフィは呆然としたままのカナトの肩から男の手を振り払った。
「何をするんだ。失敬な」
「どっちが!」
「ちょ、ちょっと待ってください。気を静めて」
慌てたようにカナトは言うと、オルフィの手を取った。
「――昨夜のことを忘れたんですか」
「あ……」
もしも籠手がまた勝手に動いたら。
(こんな奴、ぶん殴ってやってもいいとは思うが)
(朝っぱらから人がたくさんいるなかでやるのは、拙いな)
「昨夜だって?」
青年は顔をしかめた。
「何だ。そういう仲なのか。手まで取り合って」
「あ?」
「はい?」
「まだだと踏んだんだがなあ。私の鑑定眼も落ちたものだ」
がっくりと青年は肩を落とした。
「あの……」
「おい、何か妙なことを考えて……」
「残念だが、今日は身を引こう。少年、また次に会ったとき、君が独り身であることを願っておくよ」
「はい……?」
「おい……」
「あーっ、ラスピー! こっちこっちー」
高い声が誰かを呼んだ。青年が振り返ったので、釣られるようにオルフィたちもそちらを見る。
「ごめんねー、待たせちゃって。……誰?」
屋台の席の間を縫ってやってきたのは、十七、八の可愛らしい少女だった。
「この辺りの仕組みについて教わっていたところだ。名前は」
青年はちらりとカナトを見た。
「知らないが」
「あ、僕は」
「名乗るほどのもんじゃないね」
素直に名乗りかけたカナトの言葉をオルフィは遮った。
「いるんじゃないか。連れが。可愛い、女の子の」
それからじとんと、ラスピーと呼ばれた青年を見る。
「やぁだ、可愛いだなんて」
少女は嬉しそうに頬を染めた。
「可愛いだろう。この娘にナイリアールを案内してもらう約束をしたんだ」
何とも悪びれずに青年は言い放った。
「君たちも、男同士なんかでくっついていないで、可愛い女の子を探したまえ。では失礼」
さっと青年は少女の腰に手を回すと、そう言い残して去っていった。
「……何だったんだ、いまのは」
「ええと、変わった……人でしたね」
オルフィは目をぱちくりとさせ、カナトもそう言うのが精一杯のようだった。
「ううん、首都には多いとは聞いてたけど、行き合ったのは初めてだな」
「多いって、何がです?」
「だから」
こほん、とオルフィは咳払いをした。
「クジナ」
「……あ、ええと」
カナトは目をしばたたいた。
「そういうことだったんでしょうか、やっぱり」
「どう考えてもそうだろう」
「でも、いまのは女性でしたよね」
「まあ、両方ってのもいるらしい」
オルフィは肩をすくめた。
同性同士の恋愛はナイリアールのような首都では「趣味のひとつ」くらいに思われているが、オルフィたちの暮らしていた付近では珍しいと思われていた。
「気をつけろよ、カナト。あんなのに、ほいほい名乗ろうとするな。つきまとわれたら面倒だぞ」
若い娘であればそうした警戒も教わるが、男の方はあまり覚える機会がない。オルフィは兄貴分らしく忠告をした。
「す、すみません。でも僕、まさかと思って」
「……まあ、村の方ではあんまり聞かないもんな」
オルフィだって、いまの男があれほどあからさまでなければ、カナトが誘われているなどと気づかなかったかもしれない。




