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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第9話・最終話 栄光と正義 第1章

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10 とにかく、生き延びろ

(まさか)

(アバスターが英雄として多くの伝説を残していることや、「裏切りの騎士の征伐」のあと行方が判らない理由、とか)

(その答えって)

 彼自身、昨日の内に思ったことだ。そして口走ったが、とめられた。そのことをもう一度考える。

 このあと(・・・・)、アバスターとラバンネルが「戻る」までには時間がかかるのだ。しかも、同じ場所――時代には戻れない。一日や二日ではない、何年ものずれが生じる。

 だから、アバスターの伝説を突き詰めると「ひとりでやれたはずがない」ということになるのだ。時に年齢すらはっきりしないのも、この「時差」があるからだったのではないか。

(じゃあ、術師の言うように)

(この出来事すら、内包されて……?)

「お、何かに気づいたようだな」

 にやりとアバスターが言った。

「ってことは、魔術師様のご意見は正解(レグル)らしいってことか」

「彼の表情を読まないように」

 こほんとラバンネルが咳払いをした。

「でも、私たちがあなたのために犠牲(・・)になるのではない、と判ってもらえたなら助かります」

 にっこりと浮かべられたラバンネルの笑みと、そしてにやりとしたアバスターに、彼は感謝の仕草をした。いま彼を優先して助けてくれるということだけにではない、これまで、そしてこれからたくさんの人々を救ってくれることに。

 その感謝は、彼自身が何度も「資格はない」と思った、ナイリアンの騎士の心根によったろうか。

「さて、後ろを向いて下さい」

「え?」

「傷口をふさいでいる術に、補助をつけておきます。あなたの持ち物と言えるものは隠しにひとつ、それからその髪を結んでいるもののふたつ、そう感じられますが」

「あ……」

 服は借り物、アレスディアは預かり物、そんななかで「オルフィの持ち物」と言えるものが確かにふたつ。

 ジョリスから受け取った五十ラル銀貨と、父ウォルフットからもらった、彼の髪を束ねている飾り紐だった。

「身につけているものにかけるのがいいでしょう。しかもその飾り紐についているのはいい石です」

 こくりと魔術師はうなずいた。

「魔術の品ではありませんが、守りの力があるとされる石ですね。それに術を込めておきましょう。何しろ、戻ってすぐに診療所にかかれるとは限りませんから」

 そのあと、術の継続時間を長くする補助するための術だというような説明が加わったのをオルフィは曖昧に返事をしながら聞いていた。

「すみません。その……何から何まで。本当に」

 術をかけ終えてもらったあと、オルフィはそんなことを言うしかできなかった。

「何です、改まって」

 ラバンネルは可笑しそうに笑った。

「第一、本番はこれからですよ」

 彼は大樹を見上げた。

「もっとも、術構成は考えてありますが、初めて行うものですし試験もできませんから」

 真剣な眼差しでラバンネルはオルフィに視線を戻した。

「危険であることは承知おいて下さい。如何にきたところを戻るのだと言っても、時間軸の移動なんて人間がやることじゃありません。失敗すれば何が起こるか」

「大丈夫だ」

 オルフィは言った。

「これが力を貸してくれる」

 彼は左腕をぽんと叩いた。

「そう、ですか……」

 魔術師が顔をしかめたのは、自らの力に懐疑的だったのではなく、未来が示唆されたためだろう。オルフィは謝罪の仕草をしたが、ラバンネルは首を振った。

「これもまた運命に内包されていたと思うことにしましょう」

「ずいぶん臨機応変だ」

 アバスターがひらひらと手を振る。そのとき、遠雷が聞こえた。

「お、きそうだな」

 何だかんだ言いつつ、興味はあるのだろう。アバスターは身を起こした。

「巧く行くといいのですが……」

 ラバンネルは黒くなっていく空を見上げた。

「大丈夫だろ」

 気軽にアバスターは言う。

「俺もだが、こいつもお前さんが頼り。そんなで、どうすんだ」

 責任を押しつけるかにも聞こえるその台詞は、しかしラバンネルに再び笑みを浮かべさせた。

 信頼、という言葉がオルフィの内に浮かぶ。

 アバスターはラバンネルを信頼し、ラバンネルもまた彼を信頼しているからこそ、与えられた信頼に誇りを持つ。

(ああ、彼らは本当に)

(ふたりで、英雄なんだ)

 「オルフィ」の時代にアバスターの名ばかりが残っているのがラバンネルに気の毒なように思ったが、すぐに気づいた。

 彼らのどちらも、讃えられることは望んでいない。だから引き受けたのだ。アバスターが。

(……まあ、役割分担としては、よさそうだよな)

 何だか納得いって、オルフィは少し笑んだ。

「こうして話をするのは最後かもしれん。もう一度だけ、言っておくぞ」

 気楽な体勢でアバスターは彼を見た。

「次はお前の番だ」

「え――」

 蘇る記憶。あれは運命の日だった。

 アレスディアを使え。お前に必要だ。

 荒れるナイリアンに責任を取れ、と――。

「正直なところ」

 ぽつりとオルフィは言った。

「判らない。まだ」

「そうか」

 ごろんとアバスターは横になった。

「死んだら何にもならん。とにかく、生き延びろよ」

 何とも気軽な調子。だがそこには、死と隣り合わせの暮らしをしてきた者特有の、真実があった。

 死ぬな。生き延びろ。

 それは、できない約束。悪魔がどうとか言う以前にもしかしたら、考えたくはない――考えるべきではない、と言うのかもしれない――が、大導師でさえ成功を確約できない術の前に彼の命が吹き飛んでしまう可能性だってある。

「ああ」

 だがオルフィは答えた。

「あんたも、な」

「おうよ」

 横になったまま、アバスターはひらひらと手を振った。

 軽い返事。

 だが、重い。

 いまなら少しだけ、判る。英雄たる彼が背負ってきたもの。

(それにしても)

 オルフィは大樹を見上げた。

(「足りない」か)

 犠牲ではないと言われ、「内包されている」可能性も理解できたが、どことなく罪悪感がある。

 だが、彼にできることはない。そのこともまた、はっきりと理解していた。

 オルフィはただ、嵐の到来を待った。

『――僕はもう君の記憶をいっさい制御していない。なのに齟齬や欠落があるのはどうしてだと思う?』

 そのときふと、ニイロドスの言葉が頭に蘇った。

『君の信頼するラバンネルこそが君の記憶の支配者だからだ』

 ふん、と彼は唇を歪めた。

「そんなこと」

 ひとり、そっと、彼は呟いた。

「本当はとっくに、知ってるさ」


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