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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第9話・最終話 栄光と正義 第1章

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01 対抗する手段

 意識はある。見えている。はっきりと。

 ただ、身体が自分の思うように動かない。動かすことができない。代わりに、動く。オルフィの身体は、悪魔の意思のままに。

「へっ、なかなか、やるじゃないか」

 ヴィレドーンは少し離れて汗を拭った。

「さっきまでは手を抜いていたって訳か? いったい何で本性を現す気になったのか知らないが」

(違う!)

「俺も冗談で騎士を目指してる訳じゃない。舐めると後悔するぞ!」

「舐めてなんかいないよ。本気でお相手しよう。ただちょっと、まだ操作に慣れなくて、ね」

 くすりとニイロドスは笑った。オルフィの姿で。赤い瞳で。

「操作だと?」

「こっちのことだよ」

「何だか」

 きゅっとヴィレドーンは目を細めた。

「さっきの奴と、違うみたいだ」

「へえ? なかなかの慧眼だ。さすがだね。いい素質。やっぱり惜しいな」

 でも、と悪魔は首を振った。

「〈運命の岐路は引き返せない〉と言うんだっけ? 右と左、両方を試してみる訳にはいかないそうだ。僕には不可能でもないんだけれども、君には無理だものね」

 「全ての時間軸」を知っている悪魔には、もしかしたらここで「オルフィ」を捨ててこちらのヴィレドーンに乗り換える道筋だって見えているのかもしれない。だがこの時間軸ではそうしないと。「ヴィレドーン」に逃れる術はないと。悪魔は自分にしか判らない言い方でそんなことを言っていた。

「さあ、この世へのお別れの挨拶は済んだ? いまの君なら問題なくラファランも導いてくれるだろうし、安心して死んでいいよ?」

「そんな台詞にはいそうしますと答える奴がどこにいるってんだ」

 ヴィレドーンはうめいた。

「少し判ってきたぞ。お前はさっきの奴が言ってた、俺たちを争わせたい奴だな」

その通り(アレイス)。いや、ちょっと違うかな。争ってほしい訳じゃない。君に死んでもらいたいだけ」

「そいつが俺に勝てるって?」

 若者らしい負けん気か、ヴィレドーンは口の端を上げた。

「技術的にはね、問題ない。彼は君よりずっと経験を積んでいるから。ただ、身体は君の方ができてるかな。こちらはまだ鍛錬中だからね」

「はっ? 鍛錬中の奴が俺よりずっと経験を積んでる? 妙なことを言うもんだ」

「本当なんだよ。でもお喋りはこの辺にしておこう。獄界にきたならドリッド・ルーが面白がって顛末を説明してくれるかもしれないけれど、たぶん、君は望まないだろうし」

「そりゃあ獄界になんて行く気はないさ。冥界にも、まだ当分はな」

「残念だけど、完全に観念して冥界に行く人間はほとんどいないんだ。惨めで哀れな人生を送った老人だってね、口では『早くお迎えにきてほしい』なんて言うけれど、いざそのときがきたら『もっと生きたかった』と思うものなんだ」

 そんなふうに嘯きながら、ニイロドスは短剣をもてあそんだ。

「どんな死に方がいい? あんまり凄惨な死に方をさせるとこっちの彼が心を痛めるから……」

 くすっと悪魔は笑った。

「それが、いいかな?」

「歌ってろ、この野郎」

 低く呟いてヴィレドーンは攻撃に備えた。オルフィの足が地面を力強く蹴る。

(やめろ!)

 心で叫んでも悪魔には届かない。いや、届いているからこそ、やめるはずがない。

 オルフィの身体が彼の心とは関わりなく、ヴィレドーンを攻める。ヴィレドーンがしのげたのは、細剣の間合いが有利だからと言うだけにすぎない。

(くそ、あのときと、同じ)

(いや、同じじゃない。あのときは俺を……ニイロドスをアバスターが打ち破ってくれた)

(この当時の俺に、アバスター級の技巧を要求するのは無理だ)

 いまは自分自身も〈漆黒の騎士〉時代よりは見劣りする。しかしそんなことは関係がなかった。この身体はオルフィのものでありながら、いまはニイロドスの力が乗っているからだ。

 ニイロドスはオルフィ――かつてのヴィレドーンの持つ技巧を操れるだけではない。それこそ悪魔の業で彼の潜在的な力を全て引き出すことができる。

 人間は、常に全力で動いてはいないものだ。彼らのように戦う者が、その戦いのときに全力を出そうとしても、真の意味では全力でもない。

 たとえば死に直面するような危機のとき、〈アイ・アラスの助力〉などと言われる「人間離れした」能力が現れることがある。命の危険に本能が「全力」の留め金を外すのだ。

 そう、本来人間にはそれだけの能力がある。しかしそれを普段からは出せない。もし仮に出していたなら激しく消耗してしまい、人の寿命はぐんと短いことになるだろう。

 本能のかける制限。悪魔はそれを外した。その効果は絶大なもので、オルフィが何の経験も持っていなかったとしてもたいていの戦士を凌駕する。

 それをも超えたのがアバスター。このヴィレドーンには困難だ。騎士時代ならまだしも、いまの彼にそこまでの可能性は。

(可能性)

(こいつの可能性だ。騎士を目指し、漆黒位に昇り、ファローと共に最後まで……騎士である、という)

 もちろん、畔の村も守る。メルエラのことも。

 ファローに早めに打ち明ければ、きっと何とかなる。それは「あいつならどうにかしてくれる」というような依存ではなく、協力してきっと解決できる。

(俺はひとりでやろうとしたからしくじった)

(お前は誤るな)

(いや、お前は)

(きっと、お前は誤らない!)

 根拠なんてない。ただ信じた。信じることの力を信じた。

(だから、負けるな。こんな、悪魔なんかに)

(俺も――戦うから)

 あのときと異なるのは、対戦者だけではない。

 彼の方にも、異なる点がある。

 それはこの状態から抜ける方法があるということ。

 そして、この、左腕にあるもの。

(自己主張の激しい籠手、だったな)

 アバスターの言葉を思い出す。

(やってもらおうじゃないか、その主張とやらをよ!)

 いみじくも先ほど思ったことを思い出す。

 依存するのではない。共に――協力して。

(アレスディア!)

 ぐん、と身体が重くなった。その瞬間、ヴィレドーンの刃が右肩を襲う。

(うぐっ)

(痛いのは俺なんだから、不公平だ)

 そんな気持ちが浮かんだ。

「何をしてる?」

 訝しげなニイロドスの言葉。それはオルフィに向けられたものだ。

「逆らっても無駄だってことは、判ってるはず――」

(何だ!?)

 だがその言葉はオルフィには届かなかった。

(くそ、傷のせいじゃない、身体中が急に)

 息が詰まった。手足に、腹に胸に背中に、鈍い痛みが走る。負傷の鋭く熱い痛みとは違う、だが紛れもなくそれらは何かしらの異状を訴えかけていた。

 オルフィは身体をふたつに折った。

「う……」

 同時に、そこで気づくことがあった。

(これは、ニイロドスには計算外だ!)

 ヴィレドーンの剣による傷はオルフィに激痛を伝えたが、それでもニイロドスの操り人形としての彼の動きは淀みなかった。しかしそれは、悪魔が彼の負傷を知って遮断したためだ。だが内なる変化による痛みにはそうした対処ができないらしい。

(苦しんでるのが俺なのかニイロドスなのかよく判らんが)

(とにかく、あいつの思い通りにならないで済む)

 この痛みをもたらしているのはアレスディアだ、という見当がついた。籠手に「意思」というようなものはおそらくないが、悪魔に対抗する手段を講じているのだと。

 なれば、示すのだ。オルフィも。

 あの日のヴィレドーンとは違うのだということを悪魔に、いや――。

(天に、示す!)

 この痛みは、アレスディアの「主張」だ。悪魔の制御できない痛みをオルフィ自身がこらえ、立ち上がる。そのことによって、一時的にであろうと悪魔を払えると。

(これでいいか、アレスディア)

 籠手は言葉で「返事」などしない。だがそれでも何も問題はなかった。言うなればよく訓練したふたりの踊り娘が、合図をしなくても呼吸で互いの動きを把握するように。オルフィとアレスディアの「息」は合った。

 守る。その意志。騎士たちが強く持つ、誓いの力。

 忠誠の誓いを破り、国王と親友を手にかけた自分には何の資格もないと思った。思い続けた。

 あのとき、決して誓いを軽く見たのではない。加えて、いかに相手が仕えるに値する人物ではなかったからとて、また、どれだけ悩み苦しんだからとて、誓いを破った罪が軽くなる訳ではない。

 しかし、実際に天秤にかけた彼だからこそ知れること、というのも存在した。

 誓いの力。強くするも弱めるも、彼次第なのだ。

「退け!」

 声を出したのはオルフィだった。

「これは俺の身体だ、お前の好きにはさせない!」

 取り戻した。そう感じるとオルフィは素早く後方に跳び、ヴィレドーンに向かって両手を上げた。息ができなくなるほどの痛みは、まるで何もなかったように引いていた。

「ややこしくてすまん、俺だ。剣を引いてくれ」

「……は」

 ヴィレドーンは呆れた顔をした。

「全くだ。ややこしいね」

 彼は剣先を下ろしたが、まだそれを左手に持っていた。当然の警戒だろう。

「もう大丈夫だって?」

「おそらく、な。あいつの気配が……消えたから」

 あの耳障りな笑い声も聞こえなければ、睨まれているような感覚もない。オルフィはほうと息を吐いて、短剣の柄をヴィレドーンに差し出した。

「もう要らなさそうだ。返すよ」


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