01 すごいですね
気持ちを逸らせた彼ら――オルフィよりもむしろカナトが急いでいた――は話の通り、朝一番で協会に向かった。しかし生憎、カナトの知る導師サクレンはまだ協会にやってきていないということだった。
「まあ、協会に住んでる訳じゃないんだろうし、有り得ることだったな」
気軽にオルフィは言ったが、カナトは渋面を作っていた。
「すみません」
「謝るなって」
導師がいないのはカナトのせいではない。
「それで、いつくるって? 昼ぐらいにまたくればいいのかな?」
「判りません」
カナトは首を振った。
「導師方は特に、何刻から何刻に協会にいなければならないというような決まりはないんです。だいたいの目安はありますが、破ったから罰されるというものでもありませんし」
カナトの説明によれば、導師が協会へやってくるのは後進への指導と自らの研究のためということらしい。指導はあらかじめ時間帯を約束しておくが、研究はいつ何時でも自由だ。対外的には協会も店舗のように「開店時間」が決まっているものの、導師ともなればかなり好きにできるとのことだ。
「僕の記憶では、サクレン導師はたいてい朝にはいらっしゃるんです。ですが今日、そうしてらっしゃらないとなると」
ちょっと判らないですねと少年は顔をしかめた。
「だから、カナトが悪い訳じゃないんだからさ」
申し訳なさそうにするなよとオルフィはつい、子供にするように少年の頭を撫でた。
「伝言を託しておきました。導師がいらっしゃったら、僕に連絡をくれるはずです。お時間があればですけど」
「連絡ってのは、魔術で?」
「ええ。魔術で」
またしてもオルフィは当然のことを尋ねてしまう。カナトも呆れずにうなずいた。
「お師匠の知り合いの導師の件ですが、これはあと回しにしようと思います。現状を把握するのが先ですし、サクレン導師にお聞きしたり、協会で調べたりして何か判れば、何人もに話を広げる必要はないでしょうから」
「ああ、判った」
その辺りは任せる、とオルフィはうなずいた。
「じゃあ飯でも食いに行くか。昨夜は途中になっちまったしな」
「そうですね。導師との話になったら長くなるでしょうから」
「腹ごしらえ、腹ごしらえっと」
朝の食事処ならば酔漢もいるまい。彼らは街外れの、出立する旅人たちで賑わう屋台街へ向かった。
「へえ……面白いですね」
「ん? 何が」
「こういう場所、きたことないんです」
「ここで暮らしてたんだろ?」
「そうですけど。食事を摂る店はだいたい決まっていたので」
「そっか」
ナイリアールなら店も屋台も選び放題だろうが、カナト――と、彼の世話をしていた導師もだろうか――は、慣れない場所での食事を敬遠していたらしい。
「まあ、気に入りを見つけたらほかで冒険する気もなくなるもんなあ」
「冒険、ですか?」
「ははっ、大げさかな。でも俺は、ナイリアールみたいな大きな街で店を選ぶのもちょっとした冒険だと思ってる。正直、これまでは失敗しまくりだったけど、昨日は当たりだったな」
酔っ払いのことを除いて、と彼はつけ加えた。
「今日もいい屋台を引き当ててやろう」
つきを取り戻すなどとはっきり考えた訳ではなかったが、そんな気分だった。
悪い夢なんかは、振り払ってやろうと。
「カナト、麺類と米飯と麺麭だったらどれがいい?」
「ぼ、僕は何でも」
訊かれるとは思っていなかったのか、少年は目をぱちぱちとさせた。
「よし、んじゃ麺にしよう。お、あの米汁麺、美味そう」
彼は見知らぬ街びとが食している小椀に目をつけた。
「おはよ、おっちゃん。それ、どこで買った?」
「よう、坊ず。これはあの店だ、ヨンカの店。美味いぞ」
「あんがと。買ってくるよ」
ひらひらと手を振ってオルフィはそちらに向かった。
「オルフィって」
「うん?」
「すごいですね。知らない人にもそんなふうに」
「は?」
何を言われたのか判らなくて、オルフィはカナトを振り向いた。
「いえ、あの……僕はちょっと、知らない人に声をかけるのが苦手で」
「あ、そういうこと」
少年の育った環境がいささか閉鎖的だっただけで、人見知りをすると言うほどでもないのだろう。他人と話すのに慣れていないだけではないかとオルフィは考えた。
「いまじゃ南西部のかなりの村中で俺の顔は覚えててもらえてるけどさ。もちろん、最初っからそうだった訳じゃない。まあ、知らない顔にも積極的に話しかけるのは頑張ったかもしれないなあ」
自分はそれで慣れたという訳だ、と彼は思った。
「すごい」
カナトは感心しきりだ。オルフィはしかし照れ臭くなった。
「こんなの、大したことじゃないって。カナトの魔術の方がよっぽどすごい」
「僕のは生得の力ですから」
「しょうとく?」
「あ、生まれながらに持ってる力ってことです」
聞き慣れない言葉を尋ね返せば、判りやすく説明がきた。
「魔力が発現するまでは本人にも判らないことなんですけど、言うなれば開放先を見つけられずに溜め込んできた魔力が破裂するのが発現であり、力はそのとき急に現れた訳ではないんです」
「成程ね」
ぴんとはこなかったが何となくは判った。
「でも生まれながらに生得って言葉は知らないだろ」
「は?」
今度はカナトが聞き返した。
「だからつまり、カナトも勉強したろってこと」
「まあ、いくらかは」
少年は謙遜した。或いは本気で「それほど猛勉強はしていない」と思っているのかもしれない。
「俺からするとその方がすごい。いや、誰に訊いてもそう答えると思うな」
笑ってオルフィは言った。
「ま、自分が持ってない力はすごいって感じるもんだ。君の言うのはそだけのこと」
片目をつむって気軽に続けたが、カナトは納得いかないという顔をしていた。
(何なんだろうな、ほんとに)
カナトは、オルフィが母親の形見を届けたことと、魔術師だからと言って忌まわしく思う様子がないという理由で彼を慕っているようだが、オルフィにしてみればそれこそ納得がいかない感じだ。
それくらいのことで、と思うのである。
(単に、俺くらいの年齢の奴と話すことがなかったのかな)
そんなふうにも思った。サーマラ村のことはよく知らないが、あまり若者がいない村も確かにある。
(兄ちゃんみたいに感じてるとか、そんなとこか?)
この考えはなかなか腑に落ちるものだった。
(それならそれで、せいぜい、いい兄ちゃんをやりますか)
(……いささか情けない兄ちゃんだけどな)
呪い――かどうかは未確定だが――をかけられて困っている兄である。あまり立派とは言えないだろう。




