11 早めに、祈りを
見えた、気がした。子供たちの内、年長に見える少年少女らがより幼い子らの手を引き、導こうとする様子が。
導きの精霊ラファランの姿はオルフィの目には見えなかったが、それでも「何か」が集まってきている気配が感じられた。
事情を知る神官がいたならば、こんなふうに説明しただろう。おそらく、この地のラファランにとってはいま初めて子供たちの死んだように取られたのだろうと。本来ならば、一度導きを失った魂が再びそれを得ることは難しいが、違う時間軸にやってきたことが幸い――とは言い難いものの――したのではないか、と。
黒い影は少し戸惑いがちな、だが怖れのない表情を見せる少年少女たちの姿となり、そして、消えていった。
「は……」
ヴィレドーンは口をぽかんと開けた。
「何だ何だ。あんたの仕業か」
「いや、俺と言うより」
『アレスディアか。浄化の力を持っているとは正直、思わなかったな』
ニイロドスの声がほんのわずかに聞き慣れない色を帯びた。
『参ったね。死 神 に献上しないまでも、僕が十二分に活用させてもらうつもりだったのに』
「……籠手の力、か」
彼だって意外だった。いかな大導師と言えども、ラバンネルに浄化の力なんてないだろう。それを籠手に持たせたとは考えづらい。
(とすると、アレスディア独自の力?)
幻の都エルテミナで作られたというアレスディア。「自己主張の激しい籠手だ」とアバスターは言った。彼なら何か知っているのだろうか。
「ほんと、あんたは何者なんだ」
ヴィレドーンはうなった。
「俺とそっくりな、顔をして。そんな、すごい籠手を」
「すごい籠手を持ってるのはたまたま。ええと……」
「偶然ではない」というカナトやラバンネルの抗議だか指摘だかが聞こえてきた気がして、オルフィは考えた。
「つまり、たまたま出会えたけど、お前だってそれだけの実力は持ってるんだから」
「すごい籠手」に「出会う実力」というのも妙な言い方だった。だがオルフィにはそれ以上巧く言うことができなかった。案の定、ヴィレドーンは首をひねっていた。
『ああ、驚いた、よ』
悪魔の声は耳に届く現実の音ではないのに、かすれていると感じるのは不思議な感覚だった。
『これは何かな。これが『悔しい』という気持ち?』
悪魔の声に笑いは含まれていなかった。
『君が何をしても楽しいと思ってきたけれど……今日は少し、違うみたいだな』
「へっ」
ざまあみろ、などという台詞は騎士の精神の反すると思ってこらえた。
だが何であれ、いつもにこにこ――にやにやしていた悪魔の鼻をへし折ってやれたようなのは、少々気分がよかった。
『なかった』
呟くような声がする。
『こんなものは、なかった』
「ああ?」
『我々の干渉し得ない時間軸が存在するはずはない。では何が、起きた? アレスディア? まさか。人間の作った籠手ごときに事象を歪めるなどできるものか』
(なかった?)
全ての時間軸。悪魔はそれを全て見ていると、それはラバンネルが言っていたことだ。ニイロドスが口走っているのはそのことなのか。
(だとしても、そのなかにもなかったことだったって?)
(意味が、判らん)
それが正直なところだった。「オルフィ」はもとより多くを学んだ「ヴィレドーン」の知識でさえ、判り難かった。ラバンネルが聞いていたなら何と言うのか。
「とにかく」
彼は咳払いをした。
「もう俺に、俺たちにかまうな。俺は勝手に帰るし、こいつはこの軸で過ちを犯さずに生きていく。お前は何もできなかった……ああ、子供たちを無事に冥界へ送る手伝いは、してくれた訳か」
揶揄や挑発のつもりはなかったが、結果的にはそうなった。笑みを――余裕をなくした悪魔がこちらをギンと睨みつけた気がした。
『生意気な、子供には、お仕置きだ……というのは、何度も言ってきていると思うけれど』
「うっ」
(何だ!? 動けない!)
急に四肢が強ばり、金縛りに遭ったようになった。それとも、そのものなのか。
『君がやらないと言うのなら、僕がやろう。どうしても君がここでヴィレドーンを続けないとならないようにしてやろう。そっちを殺してね!』
(よせ!)
逃げろとヴィレドーンに叫ぶこともできない。明らかな彼の異常に向こうも気づいたが、どうしたんだと驚いて声をかけるだけ。
(く……)
視界が暗くなっていく。気を失うと言うのではない。意識ははっきりとしている。だが、ただでさえ薄暗い世界はますます暗くなる。青白い月明かりも、灰色に見える。
世界が色を失う。
いや、かすかに――赤い。
まるで血に染まっているかのような。
(これは)
オルフィは呪縛から逃れようと力を込めた。アレスディアのことも意識した。だが力ずくではもとより、籠手から熱や光といった助力を感じることもなかった。
そうして流れたのはほんの数秒であったが、オルフィには何分にも感じられた。
やがて、金縛りが解ける。ふっと身体が軽くなる。
だが、そのとき、彼は。
「さあ、気の毒だけど死んでもらうよ、ヴィレドーン」
頭のなかではない、現実の声がした。
ぶん、と短剣が振られる。
「君だってこっちのヴィレドーンと同じ素質を持っているのだけど。言うなれば籤運が悪かったとでも思って、諦めてもらおうか」
「何だと。おい、あんた」
何が起きたのか、ヴィレドーンには皆目見当もつかないままだった。
しかし不穏な空気は判る。彼は再び、細剣をかまえた。
「俺の名前を知っている理由、なんてのは訊かないさ。何だか知らんが、俺の姿を持ってるんだからな、名前くらい知ってるんだろう」
低く腰を落とし、彼は迎撃の態勢を取った。
「いまさら、戦ろうってのか? 本気で?」
戸惑いはあったが、ぽかんとしていたらやられるということは判っただろう。ヴィレドーンの相向かう相手には殺気があった。
「さっぱり訳が判らない。信じかけていたのに、やっぱり、魔物なのか」
彼がそう言ったのには、謎の人物の様子が変わったからだけではなかった。
ヴィレドーン・セスタスそっくりであったその黒い瞳が、このとき不気味な赤色に染まっていたからだ。
「君が思うようなものとは違うけれどね。まあ、説明はいいだろう」
オルフィの声でニイロドスは言った。
「これは英雄アバスターと互角に戦えた〈漆黒の騎士〉の技能を持つ身体だ。修行中の君では敵わないだろう。早めに、祈りを捧げておくんだね」
そのヴィレドーンから借りた短剣を左手に、悪魔はオルフィの姿で、笑みを取り戻した。
(第9話・最終話「栄光と正義」第1章へつづく)




