10 せめて、眠れ
運命の導きによってジョリスから受け取ったこの籠手は、ラバンネルの術とアバスターの志を彼に伝える。
戦えと、誰かが言う。
自らと自らの大事なものを守るため。
黒い影は先ほどよりも彼らにずっと迫ったが、それでも何だか、まるで互いに譲り合うかのようにもぞもぞとして見えた。
「何なんだよ、本当に」
ヴィレドーンも呟く。
「襲いかかってくるんなら対抗するんだが……何つうか、こっちから襲いかかっちゃいけないような、妙な感覚が」
「俺も、感じた」
オルフィはうなずいた。
「何でこんなふうに思うんだ。これも、罠なのか?」
攻撃させまいとしているのだろうか。実は見かけ倒しで倒そうとしたら簡単だが、それを隠そうと――。
(いや、違うな)
(こいつらは盾、と言うか、柵として使われている)
それとも檻だろうか。彼らを閉じ込め、そのなかで争わせようと。
(そうするとやっぱり罠なのか)
ただ、考えていた方向とは少し違う。
(こいつらは何なんだ。大きさからすると本当に子供みたいだが――)
そう思ったオルフィは、ぎくりとした。黒い影のいくつかに、哀しげな表情が見えたような気がしたからだ。
気づけば籠手がほんのり温かい。彼に何かを見落とすなと言っているかのように。
(哀しげ……寂しげでもある)
(それにこれは)
(恐怖?)
悪魔に召喚された魔物が、何かを怖がるということはあるだろうか。もしかしたらこれら、いや、彼らは。
(まさか)
思い浮かぶことがあった。それはどうにも非道な。冷酷な。
悪魔らしい。
「蹴散らしてみるか?」
うなりながらヴィレドーンが、オルフィにとも自分自身にともつかない呟きをする。
「よせ」
オルフィはぐっと唇を噛んだ。
「何てこった……これは本当に、子供だ」
「は? どういうことだ」
「俺の……いたところで、十五前の子供たちがたくさん殺される事件が起きたんだ。何て言うか、邪な存在がそれに関わっていて、言いたかないが、冥界には導かれていないはずで」
「こいつらがその子供たちの霊魂だって言うのか!?」
判らないところは飛ばして、ヴィレドーンは口を開けた。
『あはは、ご名答! よく判ったね!』
答えることで確定する状況にそぐわぬ、陽気な声。
『この子たちの魂は僕のものだ。ハサレックに取り出してもらった。もともとは死 神 への土産のつもりだったけど、使ってみるのも悪くないかなって』
「この、外道が」
『僕にしてみればとんでもなく正道だよ』
くすくすと悪魔の返事。
『さあ、この子たちを蹴散らせる? 刃では傷つかないけれど、彼ら自身は傷ついたと感じる。本当は痛まないけれど、痛いと感じる。いいよ、やってご覧よ』
「ガキに暴力なんか振るえないじゃないか」
ヴィレドーンは忌々しげに罵りの言葉を発した。
「だがどうすりゃいいんだ。霊魂だってなら、神官でも呼ばないと」
「神官に知り合いはいるけど、ちょっとここには呼べないな」
オルフィは口の端を上げた。
「……可哀想にな。お前らにはまだまだ、未来があったはずなのに。つまんないことに、巻き込まれちまって」
彼は黒い影たちを見回した。
「ごめんな。お前たちのことだって、助けてやれたらと、思う」
『そんなの、簡単なことじゃないか』
ニイロドスが囁く。
『この時間軸で僕を満足させてくれればいい。そうしたら、僕はハサレックに声をかけないと誓おう。もちろんコルシェントにもね』
「この野郎……」
『せっかく彼らを救える好機だ。まさか無駄にしないよね?』
拒絶すればオルフィが子供たちを死なせることになるのだと言わんばかり。
(俺に罪悪感を植え付けようってのか)
負けるものかと彼は唇を噛んだ。
「時間軸は無限にあるんだろ? それなら、ジョリス様が未然に防ぐ軸だって絶対にある。ここがそれだ!」
何の根拠もない。だが信じた。信じようとした。
この子たちが――助かる未来は存在する。必ず。
『さあ、どうかなあ。何とも言えないね』
悪魔は肯定も否定もしなかった。
『でも確かなこともあるよ。君がそこの、もうひとりのヴィレドーンを殺さないと……代わりにこれらの救われない霊魂たちが死 神 の慰み者に』
「何だと!?」
『最初からその予定ではあったんだけれど、せっかくだから君への罰にしよう。ぼうっとしていたら夜が明けてしまう。そうだね、君が十秒迷うたびに一体送るというのはどうかな?』
名案だと悪魔は笑った。
『十秒で倒せとは言わないよ。君同士だものね。でも時間を稼いだり、わざと後れを取るような真似を見せれば数を数える。九秒ごとに攻撃をするなんていうのは駄目だよ? 数え直したりしないで、乗せていくからね?』
ややこしいことを言っているが、簡単な脅しでもある。言うことを聞かなければ子供たちの霊魂をもっと酷い目に遭わせると。
「てめえの好きになんか、させるもんか!」
とは言うものの、どうすればいいのか。恐怖の内に死んでいった子供たちが死んでからも苦しめられることを見逃すなどできない。かと言って「ヴィレドーン」を殺すことも、もちろん。
(この子たちを……安全なところに送ることができたら)
それは漠然とした考えでもあった。
(な、何だ?)
だがそのとき、反応が、あった。
オルフィは左腕に熱を感じた。先ほどよりも強く、温かいと言うより熱いとの感じになってきている。
(何だ、これ)
アレスディアが彼に火傷を負わせようとしているとは思えない。やはり何かを知らせようとしているかのような。
ぱっとオルフィは短剣を右手に移し替えた。そして左腕を曲げ、ぐっと拳を握る。
(力がたまってる。ラバンネルの魔力なのか……いや、アレスディアそのものの力が)
感じたのはそうしたことだった。
(これを――解放、する!)
本当に、彼がアレスディアを使いこなせるようになったのであれば。いや、だからこそ感じるのだと思った。内包された力を。
それは守りの力。
こうして自らを守るのは、他者をこそ守り、救うため。
(熱い)
籠手の温度はますます上昇していくようだった。もっとも、もし彼が右手でそこに触れれば、籠手自体は別に熱くも何ともなっていないことを知っただろう。熱くなっているのは彼の左腕そのものだった。
「お前たち」
オルフィはぎゅっと眉をひそめて影たちを見回した。
「せめて、眠れ。ラファランの導きを受けて」
少し途切れがちな声で言って、オルフィは薙ぎ払うような動作をした。徒手でやっても普通なら何も起きない。魔術師でもなければ。
「行け!」
だが振るわれた。魔術ではない何かが、オルフィから。アレスディアから。
『……ああ』
『ああ、これは』
ざわざわと聞こえたのは、黒い影の、子供たちの声なのか。
『あったかい』
『おかあさんみたい』
『だいじょうぶ』
『もう、怖くない』
寂しい、哀しい気配が和らいでいった。
『大丈夫』
『むこうへ行けばいいんだ』
『行こう』
『さあ、行こう。ぼくたちの』
『僕たちの行くべきところ』
『優しい、大きな河へ』
『怖くないよ。みんな一緒に』
『一緒に行こう』




