08 許してくれるさ
「なあ……あんた」
ヴィレドーン、と呼びかけそうになるのをオルフィはどうにかこらえた。
「眠れなかったって言ったな」
「うん?」
「何か悩みでもあるのか」
「ははっ、別に悩みってほどのことでもないさ」
彼は気軽に笑った。
「俺はいま、親友のところに厄介になってるんだが」
さらりとファローを親友と言う。このヴィレドーンは、いや、彼だってあの日までは間違いなくそうだと言えた。
「これがまたとんでもなく優秀な奴なんだ。少しでも近づきたくてな」
「判るよ」
ぽつりと呟いた。
「俺にも……いたんだ。そういう、奴が」
親友だなんて、もう言える立場ではない。
「近づきたかった。少しでも。肩を並べてもあいつが、いや、俺が俺自身に恥ずかしくないように」
「仲違いでも、したのか?」
過去を言うように語ったせいだろう。ヴィレドーンは気遣わしげに問うた。
「裏切ったんだ。俺があいつを」
淡々と、オルフィは告げた。
「お前は……そうなるなよ」
短く、息を吸った。
「怒りに我を忘れるな。お前の親友は、必ずお前を助けてくれるはずだから。疑うな。都合のいい話に乗るな。親友を信じて、全てを話せ」
そしてほぼひと息に言う。それはラバンネルの忠告に反する忠告のようでもあった。しかし「ヴィレドーン」に何の名乗りも説明もしていない以上、ラバンネルの危惧した状況とは違うはずだ。
「あんた」
ヴィレドーンは戸惑ったような声を出した。
「……そこまで言えるなら、あんたも信じろよ」
「何だって?」
「どう裏切ったのか知らないが、そこまで信じられる親友だったんなら、たとえ時間はかかってもあんたを許してくれるさ」
「――だと、いい、な」
ファローが、彼が殺したファローが彼を許すことはない。あのファローは死んだのだ。ここのファローが生き延びようと。
生きていたなら、その可能性もあった。ファロー個人はやがて彼を許し――騎士としては別だろうが――彼を再び友と呼んだかもしれない。
もっとも彼が、いまオルフィでもあるヴィレドーンが、それを受け入れられたかどうかは判らない。
「必ずさ」
何も知らず、若いヴィレドーンが言う。
「相手の許しがあったら、拒否すんなよ」
「……え?」
思わぬ言葉にオルフィは目をしばたたいた。
「罪悪感があるなら、許しがあれば、受け入れることの方が贖罪だ。だってそうだろ。どうしたって罪悪感が消えないなら、拒否を続けて自分を責め続ける方が楽だ。何しろ」
若者は肩をすくめた。
「相手がいないんだから」
「そう……か」
〈クルリスの目覚め〉を受けたかのように、オルフィは目をしばたたいた。
(何てこった。自分に説教されるなんて)
悲劇を体験していない自分の方がよく判っている。不思議な気分だ。
(それとも、自分の言葉だからこそ、素直に聞けるのかな)
(相手がいない、か)
ひとりでいれば、相手の態度に悩まずに済む。けれどそれはただ、罪から逃げているだけ。彼の通ってきた道では、ファローに許される機会はないが――。
「有難う」
彼は礼の言葉を呟いた。
(お前が、十年後)
(苦い気持ちでいまの言葉を思い出さないことを願ってる)
本心から祈った。「このヴィレドーン」が、親友を斬り殺す羽目にならないようにと。
くすりと、誰かが笑った。
『それは難しい願いだね』
(ニイロドス!)
『何だか妙に仲良くやってるみたいじゃないか? ふふ、せっかくだけど、僕はそんなことを望んじゃいないんだ』
悪魔が笑みを浮かべて首を振るのが見えるようだった。
『どんな形でも面白い。それも本当だけれど、ほかでもない、君にこの場に残ってもらえるのが僕には最上なんだ。ロズウィンドにも都合がいいし、ね』
(ロズウィンド)
きゅっとオルフィは眉をひそめた。
(やっぱりあいつが、黒幕なんだな)
『おやおや。誰に聞いたの? さすがのラバンネル大導師だって、そこまで細かく未来を知ることはできないはずだけれど』
(は、怪しい奴だと思ってたのさ)
彼は嘯いた。
『そう。なかなかの慧眼だね』
ニイロドスは突き詰めなかった。だがその代わり。
『じゃ、そのよく見える目で次の試練も乗り越えてみるかい?』
(試練だと?)
嫌な感じのする言葉をオルフィが心で繰り返したときだった。
「なっ」
それは森から出ようという場所だった。不意に彼らふたりの周囲を囲むように現れたのは、影だった。
文字通りの「影」。
と言っても、遠いナイリアール――時間という意味でも遠い――に発生したような白い影とは違った。人を真っ黒に塗りつぶしたかのようなそれは、子供くらいの小さな背丈だ。それが二体、三体、いやどんどん現れて彼らを囲んだ。
「いつからこの森は魔の森になっちまったんだ!?」
ヴィレドーンが叫んで抜剣する。
「おい、あんた。俺の後ろに」
「短剣を貸してくれ!」
オルフィは言った。
「少々の、『心得』はある」
「……よし」
こくりとうなずくと彼は短剣を背後のオルフィに差し出した。
「無茶はすんなよ。自分の身を守るだけにしておけ」
誰に言ってんだよ?――との軽口は避け、彼もまたこくりとうなずき返した。
「何なんだ、こいつら。伝説に言うような化け物か? 生きてる人間を襲う死霊とかそういう」
ヴィレドーンはうなり、オルフィは考えた。
(ニイロドスの呼び出した魔物にしちゃ、あまり禍々しいって感じがしない)
不気味な感じはするものの、獄界の生き物に対して本能的に覚える恐怖とは違うようだ。
(しかしどうあれ、普通じゃないことは間違いない)
「剣が効くかも怪しいな」
ヴィレドーンが呟く。
「実体があるのかどうか――」
オルフィも半ば同意するように言いながら短剣をかまえた。
影はふらふらとまるで寝ぼけた人のように動き出した。ふたりは――もし誰かが見ていたなら面白がりそうなほど全く同じ表情で多数の影に対峙した。
だがその警戒が必要なかった人物がひとりいる。
影たちは動いた。オルフィを無視するかのように彼の横を通過し、ヴィレドーンに詰め寄った。
「へっ」
オルフィは振り返らざるを得なかった。
青白い月明かりがそこにあることも忘れて。
その瞬間に「ヴィレドーン」が思ったことは、さすがにオルフィでも想像しがたかった。不気味な黒いものに囲まれたと思ったら、それが一斉に自分に向かってきただけでも緊張するだろうが、ましてや――。
「お前」
ヴィレドーンはオルフィを睨みつけていた。
「何者、だ」
彼には、見えただろう。まるでオルフィがその黒い影を操って、ヴィレドーンに向かわせたかのように。
そして、確実に、見ただろう。
その顔が自分と瓜ふたつであることを。
(しまった)
「お前は魔物か!」
ヴィレドーンがその結論に至ったのも、ある意味、当然であった。
「何てこった。俺そっくりに化けて……俺を殺して成り代わろうと?」
「違うッ!」
オルフィは叫び返したが、状況があまりにも不利だ。こうなっては彼自身が黒い影を呼び出した魔物としか見えまい。
「くそっ、魔物に武器なんか渡して、俺は馬鹿か!」
「違うんだ、聞いてくれ、これは」
彼は両手を上げた。
「俺とお前を戦わせようとする罠なんだ。成り代わると言ったな。俺にはそのつもりはない。だが俺にそうさせたい奴がいるんだ」
「訳の判らないことを!」
ヴィレドーンは褐色の瞳を燃やして、彼に剣を向けてきた。短剣で細剣とやり合うのは厳しい。短剣の扱いに慣れていたところで難しいのに、オルフィだって訓練してきたのは細剣だ。
「くっ」
彼は大きく飛びすさった。
「やめろ! 俺はお前と戦うつもりはない!」
「その代わり、これらの影と戦えってか!? はっ、その手に乗るか!」
ヴィレドーンは聞く耳を持たなかった。
「まだ勉強中だがなあ、多少は知ってるぜ。こういうのは、親玉をやれば消えるんだ。覚悟しろ、魔物めっ」




