06 何かしら能力が
そのシレキはと言えば、燃える小屋の前にたどり着いて、ああでもないこうでもないと頭をひねっていた。
「水……で消せるようなもんじゃないのは判ってる。湖水を運ぶくらいなら、俺でも必死こけばどうにかなるかもしれんのだが」
ぶつぶつと彼は呟いた。
「ええい、それよりまずは救助だが!」
強力な何かで村中の扉が閉ざされているのは判った。魔力ではないものの、何かしらの力が働いているむずがゆさは感じたし、だいたい、誰も出てこないのはおかしい。
「どうすりゃいいんだ……」
見事に全体が燃え上がっているのだ。仮に封じられていなかったところで扉に手をかけられるものではない。窓からの出入りだって無理だろう。
「やっぱり、全体を一気に消すしかないが。ええい、俺にはできん!」
走り出してきたはいいものの、何もできないで手をこまねいている。馬鹿らしいやら情けないやらであった。
「以前には、湖神が力を分散させたそうですよ」
「そうか。だが湖神はいないんだろ?」
思わず返してから、シレキはぎょっとした。
「そうなんですよねえ。どうしましょうか」
「お、おまっ、ライノン!」
眼鏡の青年はシレキの背後で両腕を組んでいた。
「どうも、こんばんは、シレキさん。間に合ったようで何よりです」
「間に、間に合ったってな。お前……ああ、あとだ! お前、お前何か考えられないか。ここの住人を」
「大丈夫ですよ」
「なっ、何が大丈夫だ!」
「ですから、この建物のなかには誰もいませんから」
にっこりと青年は言った。シレキはぽかんと口を開ける。
「まじで?」
「まじです」
「……は」
シレキは額に手を当てた。
「あの野郎、しくじってくれたのか。それとも……」
「判った上で、かもしれませんね。脅迫には充分ですし、彼がエクールの民を傷つけたくないというのは本当ですし」
「本当、なのか? ってかお前、どこまで知って」
「そんなに詳しくは知りません。あなたやリチェリンさんから話を聞いただけですから」
「俺はそんなに話さなかったと思うが」
「そうですか? じゃあ、リチェリンさんってことで」
「何だか適当だな」
「そんなことないですよ」
「……まあ、いい。だが、この火はどうしたら」
「燃え落ちるまで待つしかないですねー。不幸中の幸いと言いましょうか、普通の火じゃないんで隣に飛び火するとかないですから」
「そりゃ実に幸い」
シレキは天を仰いだ。
「ところでお前さんは、何でここに?」
建物から少し離れて――傍観しているのは何だか変な気持ちだったが、消す手段はなく、なかには誰もいなくて飛び火もしないとなれば、見ているくらいしかない――ふたりは話を再開した。
「リチェリンさんをお連れしました」
「スイリエから?」
「はい」
「どうやって」
「そう言うシレキさんは?」
「俺から先か。俺は、何て言ったらいいのか」
ここに向かう途上で突然光に包まれ、気がついたら湖畔にいたという話をそのまました。
「魔術じゃないことは判る。俺だって魔力持ちだからということもあれば、その、言いたかないが、魔術の〈移動〉は苦手でな。体験したあとは絶対に悪酔いするんだ」
「へえ、魔力のある人でもそういうことがあるんですねえ!」
「目を輝かせて面白そうに言うな!」
「すみません」
ライノンはしゅんとした。
「人には、向き不向きがありますよね」
「何だかそう言われても馬鹿にされた気分だが」
ぶつぶつと呟いてシレキは手を振った。
「冗談だ。泣くな」
「泣いてません……」
「いかん。ごまかされるところだったぞ」
「はい?」
「お前さんはどうやってきたんだ。リチェリンだって魔術は使えないぞ」
「ご、ごまかそうとした訳じゃ、ないですよぉ」
「泣くな」
「泣いてません」
「目を潤ませて、涙声じゃないか。全く、いい大人が何なんだ」
「すみません」
「謝らんでいいから説明しろカーセスタじゃ、魔力がなくても〈移動〉が使えるような画期的な魔術符もどきでも開発したのか」
「……ああ! それ、いいですね! そういうことにしませんか?」
「こら」
「すみません」
「本当のことを言え」
「嘘をつくつもりはないんです。でも何て言ったらいいのか」
「それが嘘だ」
きっぱりとシレキは言い、ライノンは目をしばたたいた。
「どういう意味です?」
「その《《場慣れ》》っぷりだよ、兄さん。どっからどう見ても異常事態なのに平然としてる。これくらい屁でもない状況を何度も経験してると見たね。となりゃ、自分がどこの誰でどんなことができるか、説明しなきゃならん状況もあったろ」
「そうでもないです」
というのがあっさりとしたライノンの返事だった。
「確かにその、何て言うか、あまり普通ではない体験をしてる方かなあとは思います。でも僕自身が直接関係することはあんまりなくて、詳しく尋ねられることもなかったんですよ」
「『普通ではない体験をしてる方』ねえ」
ずいぶん控えめな言い方なのではないかと、根拠はないがそう思った。
「……僕は」
ライノンは少しうつむいた。
「特異点を探して、旅をしてるんです。学者見習いというのは嘘じゃないですけど、それについて研究してる訳でもなくて……その」
「特異点」
しかめ面でシレキは繰り返した。
「何でまた」
「ある人を……助けるために」
それが青年の答えだった。シレキは少し沈黙した。居心地悪そうにライノンはもぞもぞする。
「あの……」
「女か?」
そこでシレキはにやりとした。ライノンは真っ赤になった。
「べっ、別にそういうんじゃ、ないです」
「ま、そういうことにしといてやるよ」
彼は片目をつむった。
「ああ、何だか馬鹿らしくなっちまった。お前さんが何者でもどうでもいい」
「す、すみません」
「だが何かしら能力があるなら手を貸してもらうぞ」
「あの、そうしたいのは山々なんですが、僕はそれをちっとも自在に操れなくて」
「少なくとも〈移動〉に似たことはできるんだろう」
「結果的には似ていますが、全然違うんですよ。一瞬で移動できる訳じゃなくて、歩いて移動する時間が短縮できるみたいな感じで……」
「うげっ!?」
考えながらライノンが言い、聞いていたシレキだったが、突然妙な声を出した。
「なっ、何だ、お前、リチェリンといろと言ったろ!」
肩に飛び乗ってきた黒猫に彼はふたつの意味で慌てた。
「リチェリンが行けって言ったのよ。何か知らないけど、あたしがあんたといる方が役に立つって思ったみたい」
「馬鹿野郎、何のためにお前を残したと思ってんだ」
「あいつ、リチェリンを傷つけたりしないわよ。あたしがいたって退屈なだけ」
「……お前が、退屈だった訳か」
「だからそう言ってんの」
ばたん、と尻尾が思い切りシレキの背中を叩いた。
「そんで? やっぱり火が消せなくて、ライノンと雑談してるとこ?」
「まあ、まとめればそんなところだ」
シレキはなかに誰もいないらしいことを説明した。
「お前は、こいつがいることをおかしいと思わないのか?」
「ライノン? だって変な奴だし」
「ええっ? 酷いです」
抗議の声を上げたライノンに、シレキは目を見開いた。
「お前」
「はい?」
「判るのか、こいつの」
彼は黒猫を指差した。
「言ってることが」
ジラングが人の姿を取っていれば、当然、その言葉は判るだろう。だが彼女は猫の姿で走ってきてシレキの肩に飛び乗った。その後つい普通に喋ってしまったのはシレキも慌てていたからだが、まさかライノンが聞き取っているとは。
「えっ、あっ、すみません!」
慌てて彼は謝ると、声をひそめた。
「秘密、でしたか」
「特に内緒話はしとらんが」
シレキはうなった。
「とことん、判らん奴だな……だが、まあ、いい。いずれ落ち着いたら説明してもらうから、覚悟して考えておけよ」
「は、はあ」
ライノンは目をぱちぱちさせた。
「でもさ。そこには誰もいないって言ってもさ。あいつ、ほかも燃やすって言ってリチェリン脅してるよ。本気かはわかんないけど」
「リチェリンさんが拒み続ければ有り得ます」
「んでリチェリンは、あたしとシレキならどうにかできるって思ったみたい」
「俺はそんなたいそうなことはできんぞ」
「でも湖神に選ばれたらしいよ?」
「何かの間違いだ。俺はエクールとも湖神様ともなーんにも関係ない。選んでいただく可能性なんかない」
「それは、どうでしょうか?」
学者見習いが首をかしげた。
「きっと何かがあるんですよ。シレキさんが気づいていないだけで」
「ああん? 何があるってんだ」
「それは、僕には判りませんけど」
「選ばれたんでもそうじゃなくても、〈口をつけたら最後まで飲み干せ〉ってなもんだからな。やるだけのことはやるが――」
そこで彼は言葉を切った。
「何? どしたの?」
「あー……いや、何だ。俺自身じゃないが、近くに関係者はいたな、と」
(オルフィ。あいつ、ここの出身だろ)
(それに……カナト)
(本人は関係ないと言ってたが、あのしるし)
彼らふたりとこの村にやってきたことを思い出す。自分は何か知っているのに、それに気づいていないだけではないのか。シレキは記憶を探った。
「むむむ」
だが、ぴんとこない。彼はうなった。
「ええい、あいつがいないからいけないんじゃないか」
責任を無理矢理に転嫁して、シレキは炎に照らされた黒い空を見上げた。
「いったいどこで何をやっとるんだ、オルフィめ」




