05 わからず屋のままなら
根本的なところに行き当たる。ロズウィンドは何のために湖神を呼び戻そうとしているのか。ナイリアンの支配に必要だと考えているとしても、こんなふうにエクールの民の安全でリチェリンを脅したことが湖神に知れないと思っているのか。そうとは思えない。
(尋ねたところで、まともな答えは返ってきそうにないわね)
「エクール湖にはエク=ヴーがいるべきだからだ」などという、答えにならない答えが返ってくるだろう。簡単に予測できた。
ロズウィンドの目的は先祖が奪われた地の奪還。だが、それだけなのか。ナイリアン王家を滅ぼしたいのであれば、極論だが、その気になればラスピーシュでもクロシアでも、簡単にレヴラールの寝首をかけるところまで近づいていた訳だ。なのに、そうはしなかった。
「あなたの目的が判らないわ。〈はじまりの地〉を自分の手にして、どうしたいの」
「簡単なことだ。エクールの栄光を再び」
「栄光ですって」
「ナイリアン一族が乱を起こさなければ、エクールの民はずっとこの地に君臨していた、とも限らないが」
ほかの部族が反乱を起こしたかもしれず、余所から攻め込まれたかもしれない。彼はそうしたことを言った。
「貴女が思うより、力の誇示は必要だ。かつて南方三地方で支配した禁術師の話を知っているかな? 彼がこちらに手を出さなかったのはエクールの民の力が強大だったから。そうして、彼の地は守られていた」
「禁術……?」
聞き慣れない言葉だった。
「禁術師というのは、ほとんど禁忌のない魔術師たちですら手を出すべきではないとする危険な魔術を追い求める、逸脱者のことだ」
そこで彼はふっと笑った。
「逸脱者か。私もまた逸脱者となろう。そう、エクールの栄光。私はこの地に、この大陸に、〈はじまりの民〉の栄光を取り戻すためならば」
「栄光。そんなものがほしいの。誰も望んでいないのに」
きゅっとリチェリンは眉根をひそめた。
「私が望んでいる。それでいい」
ロズウィンドは全く頓着しないようだった。
「もとより――エク=ヴーとて望んでいるのだ」
「冗談もいいところね」
「そう思うか? では何故湖神は、私たち兄弟に力を与えたのか」
「力? あなたが?」
「ああ、そうだ。魔術のような明瞭な力ではなく、悪魔から授かるもののように便利でもないが」
「悪魔の力を便利だなんて言う時点で、あなたはやっぱり間違っているわ」
「便利なものを便利だと言って何が悪いかな? 肯定し讃えるかと言えばまた別の話だ」
「利用している時点で、肯定しているということじゃないの」
「ふふ、目的のためであろうと『邪なもの』には手を出さないのが善という訳か。そのことによって目的が潰えても悔やまぬと」
「悪魔の力を借りなければ果たせない目的なんて、持つべきじゃないのよ!」
「それは……貴女が何も知らないから言えること」
ロズウィンドはそれでも笑んでいた。
「亡霊の声を……死者の嘆きを……何の咎もなく、つまらぬ権勢のために殺されていった者の無念を知らぬから、言えることだ」
「――私だって、近しい人を失う哀しみは知ってる!」
彼女は両手を握りしめた。
「でも、たとえ悪魔がその人を蘇らせてくれると言ったって、私は応じないわ!」
切った啖呵は、しかし、公正なものとも言えなかった。それは彼女が神父タルーを脳裏に思い浮かべていたからだ。あの神父と悪魔など、断じて相容れないと思えるからだ。
だがもし――それ以外の、慕わしい人物であったなら。
瞬時浮かびかけた怖ろしい想像をリチェリンは聖句を唱えて振り払った。
「蘇らせる? そんな話はしていない」
彼は首を振った。
「私が言っているのは、リチェリン、復讐だ。仇討ちだよ」
「そんなことをしたって……死んだ人が還ってくる訳じゃ」
「ない。もちろん判っている。生き残った者の思い込み。独りよがり。何でもいい。言っただろう、私がそうしたいから、するんだ」
ロズウィンドは全く悪びれなかった。
「下手に正義感持って『人のため』ってやるより、善悪なんかどうでもいいからとにかく自分のためって方が目的全うしやすいんだって。迷わないから」
ジラングは知ったように言った。
「そういう揺るがない奴ってのはほんと、厄介なんだって」
人は通常、何だかんだと世間体を気にするもの。近しい者の評価と言ってもいい。多かれ少なかれ、どんな方向のものであれ「よく見られたい」と望むものだ。
だが確固たる信念を持っている人には、親友や恋人の心からの忠告も届かない。方向は違えども、この点において言えばジョリスもまた同様と言えよう。
(それにしても、仇討ちだなんて)
どことなく違和感を覚えた。身近な人間が殺され、その仇討ちというのなら――容認はできないが――理解できる。しかし紛争は遠い過去だ。
(でも彼はそうした気持ちでいる、ということ?)
感覚が、価値観が違う。どれだけ彼女の理屈を述べても、この男に届くことはない。とっくに判っていたことでもあるが、不意に実感できた。
「私は、あなたに協力なんてできない」
「ほう。では、次の家を。貴女には残念なことに、シレキ殿も手こずっているようだ。次をやれば燃え広がるだろう」
「やめて! そうじゃないの、話を聞いて!」
慌ててリチェリンは言った。
「たとえ口先で約束したってあなたに賛同はできないし、仮に魔術の契約のようなもので縛られたって、エク=ヴーは私の指示で動く訳じゃない」
「かまわないとも」
さらりとロズウィンドは流した。
「私がほしいのは貴女の身体でも心でもない。貴女に付随する神子という地位と、エク=ヴーにつながる力だけだ。賛同も契約も要らない。ただ湖神を呼ぶよう、そう言っているだけのこと」
「だから、湖神を呼んだところであなたには何の益もない。湖神はあなたの指示も私の指示も聞いたりしないわ」
「三十年ほど前」
それには答えず、ロズウィンドは目を細めて燃えさかる火を眺めた。
「こうしてこの村を火が襲ったことがあった。悪魔の火がね」
「悪魔の、火」
「その通り。大導師と呼ばれる男だって消せなかった。湖神の力を借りて初めて、それを追いやることが可能となったんだ」
「エク=ヴーでなければ、助けられないと」
「そういうことだ、神子姫。何故エク=ヴーがあの男を寄越したのかは判らないが、彼がたとえ強力な水の精霊師であったところで火を消すことは無理だ。それどころか下手に力を加えれば彼自身が巻き込まれることもある」
「シレキはそんなへま、やんないわよ!」
ジラングが噛み付いた。ロズウィンドは面白がるような顔をした。
「そうだとよいな。私とて、犠牲者が増えることは望まないのだから」
まるで聖人のように哀しげな顔をするロズウィンドにリチェリンはかっとしかけたが、どうにかこらえた。これも一種、この男の手であると判ってきたからだ。
「あなたが湖神に何を与えられたのであれ、こうしたことに使うためではないはず」
それでもリチェリンは説得を試みようとした。
「どうか、早く火を消して。消させて」
「消させるのは湖神にだ。そんなにいつまでもわからず屋のままなら、やはり一軒一軒火をつけていくしかない。一気に村中を火の海にでもしてしまう方が強烈だが、私は望まないし、貴女には少数の命も多数のそれと同じように重い。ならばやはりこうするのが最上だ」
繰り返しだった。先ほどの制止――懇願は功を奏したが、二度目はないだろう。本当にロズウィンドは「次」を行う。
(呼ぶしかないの? この男の思い通りだと判っていて)
(……でも、村を燃やさせる訳にはいかない)
もっとも、呼んでみたところで湖神がすぐさま応じてくれるとも思えない。先ほどだって光は射したが――。
(シレキさんと、ジラングさん)
湖神が導いたのは彼らだ。彼らが助け手だ。湖神はここにやってくることができないか、或いは彼らが問題を解決すると判断した。
ならば。
リチェリンは火勢の変わらぬ家屋を見やった。
「ジラングさん」
「何よ?」
「やっぱりシレキさんのところは行って下さい! 私は大丈夫です」
「何よ、突然。だから、あたしは火なんかキライだし、あんたとここにいるように言われたん……ま、でも」
ジラングはにっと笑った。
「いいか。あたしがシレキの言うこと、素直に聞く必要もないんだし。だいたい、じっとしてるのなんか性に合わないしね!」
答えると少女はぱっと俊足で飛び出した。
「さて、神子姫は何を思いついたのかな?」
それを見送りながらロズウィンドは首をかしげた。
「彼らは守り人を助けるために送られただけだ。火を消し止めることはできない」
「それは判らないわ」
リチェリンはロズウィンドを睨んだ。
「エク=ヴーが彼らを信じたのよ。だから私も」
信じるの、と彼女は両手を組み合わせてぎゅっと握った。




