02 褒めておくか
下手に手を出せば何が起こるか判らない。しかしこのままにもしておけない。
相談を終えた彼らは、賭けなくてはならなかった。
最も消極的だったのはサクレンで、最も積極的だったのはレヴラールだった。
メジーディス神殿長ギネッツアは、祭司長の急死と一時的とは言え思わぬ抜擢に動じていたが、いつまでもおろおろしていることはなく、キンロップの信頼に報いようとした。
彼も神官の例に洩れず魔術師によい感情を持っていなかったが、それを露わにすることは避けた。レヴラールが最初に釘を差したこともあろうが、やはり、いがみ合っているときではないという緊迫感が大きかったためだろう。
そのギネッツアの意見もまた慎重寄りであった。しかし確かにこのままでは埒が明かないということもあり、厳重に警戒をした上で陣を破ることが決まった。
そこの相談には、レヴラールはほとんど役立たずだった。意見があれば素人であろうと口を挟むつもりだったが、導師と神殿長の論じる形而上の仮定や可能性について理解しようと聞くだけで精一杯だったのだ。
こんなときでもなければ質問をして学ぶのだが、いまはそうもいかない。どうしても判らないところだけかいつまんで説明を受け――彼が本当にちっとも判らないままでは実行の命令も出しにくい――加われるところが加わった。
決まればいつまでもぐずぐずしなかった。サクレンとて不安があればあるだけ気を遣ってことに当たるだけだ。
と言っても彼女も神殿長も、もちろんレヴラールも、直接その場に出向くことはしなかった。
二組織の代表ふたりは――サクレンは正式な意味では代表と言えなかったが、実質的にはそのようなものであり、この場合幸いなことに、魔術師というのは実質的なことを重視する傾向があった――城内にいたが、レヴラールのもとを離れて、邪魔の入らない一室を借りた。実際のやり方に関しては、王子であろうと「素人」が聞いていることに意味はない。レヴラールは信じて任せた。
もっともそのレヴラールも、彼の執務室を離れていった。しかしながらキンロップの危惧したように、混乱のただなかに飛び込んだのでもなかった。
突然の訪問者が彼を連れ出した、ということになる。
ともあれ――。
導師サクレンから指示を受け、魔術師たちは位置についた。残りの石は神殿の位置から逆算して見つけることができ、ひいては神殿が何らかの標的にされていることを裏付けた。
ひとつのしるしにつきひとりの魔術師を用意するなら二十人が必要だった。しかしサクレンの指示通りに動くことを肯んじた術師はわずか五人、サクレン以外の導師を含めても七人だった。
東西南北は要と考えられ、魔力の強い者が引き受けた。導師ふたりに、地位は特にないが協会に長らく居座っている偏屈な老魔術師と、それから有望な若手という四名だ。あとの三人で残り十六点を見てもらうという非常に厳しい条件だった。
何ごともないという保証があればサクレンひとりだって問題ないのだが、それはことが済むまで誰にも判らないことだ。
何かが起きるか。何が起きるか。それとも起きないのか。石や杭に施された守りの術は、単に陣を守るものなのか。罠なのか。警戒させ、対策を探させて時間の浪費をさせられているのか。それとも正しい警戒であるのか。下手に陣を崩せばもっと厄介なことが起きるのか。
サクレンとギネッツアは、中心点を警戒した。魔術陣であれば、外枠か中心のどちらかが起点となって術が陣を満たしていく。
準備は整い、全員が緊張の面持ちで合図を待った。
やるのであれば全部の点を同時に攻めたかったが、人数が足りない。重要な四点の破壊で陣に「致命傷」を与えられることを望むばかりだった。
「用意はいいわね」
サクレンは全員に声を送った。
「では、はじめます。五、四、三……」
彼らは、しかしその使命を果たせなかった。四つの杭が粉砕される直前に起こったことは、サクレンに酷く衝撃を与えた。
「サクレン殿!?」
ギネッツアは驚いて、身をふたつに折る彼女を支えた。
「どうされました!」
「マーナ、が」
かすれる声で彼女は言った。
「いけない! みんな、すぐにその場を離れて!」
強く鋭く放った警告は、しかし間に合わなかった。四つの杭を担当した力ある魔術師たちが次々命を落とすのをサクレンはその場でただ感じ取るしかなかった。
「何が、あったのです」
それは魔術師たちとつながっていなかった神殿長には理解しかねることだった。
「要の四人が、殺されました」
青い顔でサクレンは端的に事実を告げた。
「何と」
「魔術ではない。魔術ならば容易にやられることなどない人物たちです」
「では、忌まわしきものが」
「悪魔」との言葉を避けてギネッツアは言ったが、サクレンは首を振った。
「おそらく、違います。ですがその力を授かった者……」
「ご名答」
ひゅん、と剣が空気を切る音がした。
「導師なんて言っても、甘いもんだな? 大魔術師と謳われた男が為す術もなく死にゆき、死してなお利用されたのを忘れた訳じゃあるまいに」
「お前は」
サクレンは唇を噛んだ。
「ハサレック・ディア――」
「やあ、導師殿」
元〈青銀の騎士〉は、血の滴る黒い剣を片手に、にやりとした。
「成程ね。協会を挙げて対抗にきたにしちゃ人数が少ないと思ったが、王城の企てか。レヴラール殿下に、コルシェントの後釜をすぐに雇えるだけの割り切りができるとも思わなかったが……ん?」
ハサレックはギネッツアに目をとめた。
「祭司長殿はどうした。レヴラール殿下のお守りか」
その問いかけにサクレンは答えなかった。幸いと言うのか、ハサレックは突き詰めなかった。
「まあ、陣に気づいたのは上出来だ。気づいてからの行動も予想以上に早かったな。これはロズウィンド殿下があんたらを甘く見てたか……いや、あんたらの即断力が大したもんだったと褒めておくか」
「あら、そう」
サクレンは慎重に応じた。
「計算外という訳ね。嬉しいわ」
「生憎だが計算内ではある。こうして俺が控えていたことを忘れるなよ?」
彼は剣を振り、赤いしずくを床に散らした。
「協会のお偉いさんもいたようじゃないか。それでもこの俺に敵わなかった……これが何を意味するかは判るよな、導師殿なら」
「人外、それも獄界の生き物の力は未知数よ。けれど無闇に怖れはしない。だいたい、あなたは人間でしょう」
「どうなのかね」
ハサレックは口の端を上げた。
「試してみるかい」
「やめておくわ」
「何?」
即答が意外だったか、ハサレックは目をしばたたいた。
「彼らが一瞬で絶命した、その力を甘く見る気はない、と言っているのよ」
「は、賢いとも言える。じゃあどうする、降伏するか?」
「両手を上げたら許してくれるの?」
「サクレン殿、何を」
「ここは私に任せて下さい、神殿長」
彼女はギネッツアを制した。
「鞍替えるか? 紹介してほしいってんなら、考えないでもないが。……そういう意味じゃ、ないんだろうな」
「そうね、そういう意味じゃないわ」
彼女は同意した。
「私は、ナイリアン国に特別な愛国心は持っていない。でも、刃を向けられたからって悲鳴を上げて逃げるような可愛らしさも持ち合わせてないの」
「そりゃいい。俺の好みだ。もう十年若かったらな」
「年齢が合わなくてお互いに幸せね」
片眉を上げてサクレンは答えた。ハサレックは笑う。
「若かったら命乞いをして聞いてもらえる、なんてことは思わなかったか」
「言ったでしょう。刃を向けられたら、戦うのみよ」
「やめておくんじゃなかったのか?」
からかうようにハサレックは問うた。
「挑発されて乗ることはしないと言っただけで、戦いを拒否した訳じゃないわ」
「――サクレン殿」
ギネッツアが再び声を出した。
「あの黒い剣、尋常ではありませぬ。あれが彼らの魔力を奪った可能性が」
「奪った、ですって」
「ええ。その剣はあまりにも禍々しい。人の生命力を奪い取る魔剣というものがありますが、それに近いのではないかと」
「はは、その印章からするとメジーディスの神殿長か。さすが、知識はあるようだな」
黒い剣を持った男は楽しげに笑った。
「その通り。この剣は人間の鍛えたものじゃない。この剣が持つ力を俺が全て操れる訳じゃないが、現状でも充分。どんな手練れの剣士だって、突然目の前に現れられて剣を抜く暇もなければ、抗うことはできまい?」
「卑怯な手を使うのね」
「冗談だ。俺にも誇りはあるからな。暗殺者として雇われてでもいるならそれも仕事だが、仕事でもなしにそこまでするほど堕ちちゃいないさ」
「子供殺しの黒騎士が堕ちていないとは、それこそ大した冗談だわ」
「それもそうだ」
ハサレックは怒らなかった。動揺も見せなかった。
「では黒騎士として務めを果たそう。ナイリアンの役に立つ駒は、ひとつずつ消させてもらう」
「くっ」
サクレンは短杖を取り出した。ハサレックは鼻で笑った。
「無駄だ!」
瞬間、杖は微塵に砕けた。
「魔力が」
杖がなくとも魔術は使える。杖があればかけやすくなるというだけだ。
だが、彼女は愕然とした。魔力が操れない。術構成が浮かばない。まるで魔術師ではない人間のように。
「神殿長の忠告を聞いていなかったのか?」
嘲るように黒い剣士は言った。
「人間の魔術なんてものは、この剣の前に何の意味もない。あんたたちには何の恨みもないが、いまこのときに王城の仕事を請け負ったのが過ちだったってことさ」
黒い剣に宿ったものはまるで黒い炎。
四人の魔術師を瞬時に殺した獄界の力が、ナイリアン城の一室に、走った。




